大学院理学研究科・理学部 > 一口紹介の一覧
| 一口紹介の一覧 |
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ロマネスクに魅せられて
人生は旅に喩えられる.物語は,旅の始まりと故郷への帰還で終わる.若者は何を目指し,何処に帰るのであろうか.私も歩んだ旅路を振り返ってみようと思う. 1998年4月のある週末,私はSUZUKI-Escudeを運転してグルノーブルから国道85号線(ナポレオン街道)を南に向かって走っていた. 続きはこちら |
とことん数えてみたい
私が数を好きになったのは,小学1年生のときに先生が出してくれた宿題のおかげです.それは,ノートに2~20までの偶数をたくさん書こうという宿題でした.ただし,どのくらい書くのかは児童にまかせられていました.最初私は,ライバルに負けたくない一心で数字を書き始めたのだと思います.けれども次第に,負けん気というよりも数字を書くこと自体が楽しくなってきました. 続きはこちら |
研究対象そして人との出会い
生命を司るタンパク質の結晶の美しさとの出会いが、奇妙なことに今の私の研究分野になっている。私は学生時代にはおおよそタンパク質に代表される生命科学とは縁のない無機材料科学を専攻した。 修士課程のときは、東工大の工業材料研究所(現:応用セラミックス研)で丸茂文幸教授のもと3元超伝導体結晶のX線解析による電子密度解析、いわゆるX線精密構造解析といわれるものを行った。 続きはこちら |
ケーキ屋さんから研究者!?
これを書かせて頂くにあたり、色々な分野や立場の研究者・先生方の「軌跡」を読ませて頂きました。ひとしきり感心した後で「自分はどうしてココにいるのだろうか」と振り返ってみました。そして気付いたこと…私って不純…というか単純…と。 「研究者への軌跡」を幾つか読んで「やっぱり研究者になるのはこういう人たちなのかぁ」と“別世界”だと思った方、そうとは限りません! 続きはこちら |
フリーターみたいなこと
「ジャーニーマン」的研究者がお勧めだ 私は平成6年4月に広島大学理学部に助教授として着任した。辞令交付式で化学科の藤原先生とともに学部長室に呼ばれた。そこでは、助教授としてまじめに勤務する旨の「宣誓書」にサインをし、西川学部長(現広島大学学術顧問)から辞令をいただいた。 続きはこちら |
なるべく暗記しないで化学の奥儀を究めるために
この小文を書くにあたり、自分の学生時代を振り返ってみた。読者として高校生を主な対象としているそうなので、高校時代から書き始めるのがよいだろう。 高校時代は化学が得意というわけではなかった。高校化学では色々な物質の性質や反応を知ることは楽しかったが、化学は何だか覚えることだらけだな、という印象を抱いていた。 続きはこちら |
夢の光のとりこ
やりたいことをおやりなさい
実家は寺でありました。檀家50件ほどの小さな寺です。住職を務める父が読書好きで、檀家の人も読めるように、本堂に本がいっぱい置いてある、そんな寺でした。もっとも、ご多聞に漏れず、私は本よりも漫画が好きな子供でした。ドラえもん、横山三国志、シャーロック・ホームズ全集(小学館)、エリア学習事典(学研)にこの時期大きな影響を受けたと思います。 続きはこちら |
数理科学者は如何にして鍛えられるか?
なぜ数理科学の研究者になろうと思ったのかな?と、今回考えて見ました。12歳くらいまでは、特に、喘息がひどかった私は家で一人でいることが多く、 NHKの理科教室なんかをみていると「不思議だなぁ」とかは思いましたが、数学については普通の興味しかありませんでしたしね。家にいて午後になるとTVがつまらなくなるので、よく本を読みました。 続きはこちら |
僕らが日々踏みしめているものとは
僕らが日々踏みしめているものとは何でしょう。それは校舎の床であったり道路のアスファルトだったりする訳で、みんなあまり気にも留めていないかもしれません。では、その下に何があるかと言うとそれは小さな頃、公園の砂場で掘ったら出てきた赤土であったりする訳ですが、さらにその下に何が隠れているかと言うと、それは岩石である訳です。 続きはこちら |
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