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世界標準化を目指すHiSIMの共同研究開発

世界標準化を目指すHiSIMの研究開発に挑む大学院先端物質科学研究科・三浦道子教授

三浦教授は、数万個を上回る数のトランジスタから成る高性能集積回路の回路特性を限られた時間で高精度に予測するモデルの世界的開発競争の渦中で活躍中です。回路特性の予測は新型コンピュータの開発や高速通信実現に必須の過程ですから、高精度モデルの開発は産業界に大きな貢献をします。現在の世界標準モデルは10年前にカリフォルニア大学バークレー校の研究者が開発したものです。先端技術に対してこのモデルの問題点が明らかになってきたため、次世代の標準モデル選定作業が進んでいます。三浦教授が中心になって開発したHiSIM (Hiroshima-university STARC IGFET Model)は、その有力候補となっています。来年の6月頃までには、選考の最終結果がでる予定です。
以下に、HiSIMの開発研究の背景、現況及び展望について紹介していただきます。

広島大学理事・副学長(社会連携・研究担当)




世界標準化を目指すHiSIMの共同研究開発

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大学院先端物質科学研究科教授 三浦道子

HiSIMホームページ:http://www.hiroshima-u.ac.jp/adsm/purojekuto/sienproject/index.html

[はじめに]
HiSIMとはHiroshima-university STARC IGFET Modelの略で、広島大学と日本の半導体企業11社から成る半導体理工学研究センター(STARC)が共同開発してきたトランジスタモデルのことです。回路シミュレーションを用いて回路特性を予測する際に、トランジスタの電圧に対する応答を解析式で記述しているもので、集積回路を設計する際に不可欠なものです。モデルは高性能集積回路実現にとって大事な役割を果たすので、すぐれたモデルを選出し世界共通のモデルとして皆でサポートしていこうという動きが約10年前にアメリカで起きました。これに選ばれたモデルを世界標準モデルと呼んでいます。カリフォルニア大学バークレー校のBSIMというモデルが第一回目のモデルに選ばれ、現在世界中の数限りない組織で使われています。BSIMの問題点が数100ナノメートル・スケールの先端技術から顕著になってきたことに呼応して、第二回目の標準化プロセスが昨年秋頃から開始されました。そのプロセスを図1に示していますが、HiSIMも第一と第二フェーズの課題をパスし、現在第三フェーズの戦いに進むことができております。

HiSIMの“I”、つまり“IGFET”というのはトランジスタの中でもMOSFET(シリコン電界効果トランジスタ)と呼ばれる産業界の発展を牽引してきたトランジスタのことです。

図1

図1:トランジスタモデルの世界標準化プロセス。SEMATECH,
CMCはともに標準化を進めている組織の名前。

[HiSIMの特徴]
モデルは計算時間が短くて計算結果が高精度でなければならない、という相矛盾する要求を満足しなければなりません。数万個、ほとんどの場合それをはるかに上回る数のトランジスタから成る集積回路を、限られた時間で高精度に予測する使命を持っています。現在世界の標準となっているバークレー校のBSIMは、1972年に同じくバークレー校で初めて開発されたモデルを基幹として開発されており、基本となっている部分が現在のトランジスタ特性を物理的に正しく反映していません。その結果、モデルパラメタも300個を超えており、年々この数は増加しています。HiSIMはこのような既存の考え方から離れて、可能な限りトランジスタの物理原理に忠実に解こうとしたモデルです。つまりこれまでは外部電圧の関数としてモデルが構築されておりますが、HiSIMではトランジスタの内部に生じる電位分布を基にモデルが構築されています。開発当初、他のモデル開発者達にはこのようなモデルは複雑すぎて回路モデルには向かないと考えられてきましたが、HiSIMが先端トランジスタで観測される複雑な現象を一つ一つモデル化していく過程で、実は物理原理に忠実に記述すればするほど、全体としてはモデル記述が簡単になり、モデルパラメタ数も少なくてすむという結果を示すことができました。モデルパラメタ数が少ないということは、モデルがより単純な原理に基づいていることを意味しています。この結果は、図2に示しますようにこれまでのモデル開発の流れを変えさせ、モデルの質を向上させるのに大きな役目を果たしてきました。

図2

図2:開発されている主なモデルの動向と特徴。




[世界標準を目指した産学連携]
STARCプロジェクトに応募し、採択されて共同研究を開始したのが1998年の4月でした。もともとのテーマの提案は、これまで約10年の歳月をかけて開発してきたモデルを利用してコンカレント・デバイス・回路開発を実現してみたいと考えたことによります。つまりトランジスタ製造プロセスの開発と並行して回路設計を開始し、相互に協力しながら目的を達成する手段の構築を狙っていました。これは図3に模式的に示しますように、異なる役割を担っている部品を同じチップ上に集積化するために必要な、製造技術と回路技術の融合を図るものです。このようなシステムレベルの設計が要求されている中で、STARC内で高精度の回路モデル開発に大きな期待が寄せられました。共同研究を開始して2年が経った頃、モデルには名前がいる、それならHiSIMとしようと関係者の間で命名されました。これには現在の世界標準モデルBSIMに取って代わるという意味が込められました。


図3

図3:システムレベル設計の概念図。



一方、企業間の共同研究・開発が進行していく過程で、その基礎となるトランジスタモデルは共通の資産とする考えが育っており、はじめに述べましたように、モデルの標準化という動きも出てきた訳です。実際に、モデルの開発は多くの時間とノウハウを要し、世の中のめまぐるしい変遷に対応を迫られている企業ではもはや保持しきれなくなっていることも大学に期待をかけられる理由と言えます。いいモデルを確保することは、デバイス開発の方向性を模索し、更に設計資産を構築していく上で重要です。STARCも、このように戦略的にも大事な分野でHiSIMを世界の共通資産として開示することに賛同し、これをサポートしていくことを決定しました。これが2001年秋のことです。HiSIMを組み込んでビジネスとして売り込む会社(これをべンダーと呼ぶ)にはソース・コードをHiSIM1.0.0としてリリースし、更に翌年の1月にはインターネットを通して一般公開されました。30日後には世界中から120件のダウンロードが確認されております。一般公開を受けてSTARC内にHiSIM-Working Groupが発足し、ナノスケール時代の世界標準にすべく産業界の取り組みが始められました。
一回目のプロジェクトは2002年春に終わり、引き続き2回目のプロジェクト、HiSIM2が開始されました。これは、これまでメモリーを中心として産業界を牽引してきたMOSFETを、さらに不得意と考えられていた高速通信の分野にも応用する動きに呼応したもので、極限微細トランジスタ(65ナノメートル・スケール)を用いた100GHz対応の回路設計モデルを狙っています。
2003年度には岩田教授率いる21世紀COEプロジェクト「テラビット情報ナノエレクトロニクス」が採択され、ここでは次世代MOSFETとして開発が進められているSOI(Silicon-on-Insulator:絶縁層上に形成された)MOSFETの回路モデルの開発を担当しております。更に、電圧だけではなく光・電磁波応答も考慮したHiSIM-Microwaveの開発へとつなげようとしております。



[研究の方向と産業界との関わり]
既に述べましたように、開発は単に集積回路に留まるのではなく、システムレベルへと向かっています。すべての機能を一つの掌に乗る位の小さなチップに収めようというものです。これには信じられないような技術が必要とされるのは容易に想像できることです。さらに、設計の力と製造技術の可能性とがうまく噛み合って初めて実現できることです。うまく噛み合うということは、設計者が要求するトランジスタの性能を製造技術者が実現できること、ほとんどの場合それが可能でないため、技術者が保証するトランジスタ性能の範囲のなかで設計を実現していくことになります。これまでに多くの研究者がさまざまの角度からこの実現をめざしてきました。たとえば数万個のトランジスタを全く同じように作ることは不可能で、一つ一つわずかずつ異なっています。膨大な測定データを統計解析することによって設計指針を導きだす方法もあります。あるいは、これまでトランジスタでは大事な現象と信じられてきたことが実は回路レベルでは影響ないこともあり得ます。このまま先に進んでいく上で多くの課題が解決されていかなければなりません。我々は物理原理に基づくHiSIMを通して貢献していきたいと思っています。
トランジスタの中でも企業間競争の最も激しいMOSFETの回路モデルはあらゆる機関で開発されており、図2に示されているのは、標準モデルとしての条件を揃えていると判断されたものです。共通の資産となるべきモデルは大学で開発されていることが条件となっており、現在第三フェーズに残っているモデルがカリフォルニア大学バークレー校、ペンシルバニア大学、ローザンヌ工科大学と広島大学で開発されたものです。
この中でも、HiSIMは既に世界初の内部電位モデルとして業界では認知されており、多くの国際会議での招待講演や、国内外との共同研究が進んでいます。しかし、次世代の世界標準モデルに課された課題すべてを一大学の一組織で解決していくことはほとんど不可能といえます。永続的にコミュニティーに最適なモデルを提供し続けるには、企業との連携もさることながら大学間で共同開発する体制を構築していくことがモデル開発者の使命のように感じます。これを実現していくことを模索しているところです。



[学生を育てていくこと]
大学の一番重要な義務は次世代を担っていく人材育成と認識しています。これから益々、いろいろなことがグローバルな協議によって決定されていく時代になっていくと思われます。これを支え、リードしていく力をもつ人材を育てていきたいと考えています。このためには、研究室内に閉じた活動ではなくHiSIMを通じて周囲と共に歩む姿勢を学生達と共に学んでいきたいと思っています。これを具体的に実現していくために、学生自身が自分で得た成果を自分で発表し、外部から直接批判をあびるということを指導しております。これを通して自分の意見をはっきり持つ人材が育成され、ひいては正しいと思うことを先導する力が育っていくものと考えています。この点についても、これまでのSTARCとの共同研究は大きな支えであると同時に刺激です。研究員の方達の惜しみないご協力は、学生達に共に議論することの重要性を教えていることを確信しております。これまでの成果である、学生による国際学会の発表を図4に、学生達の姿を図5に示します。

図4

図4:1998年から2004年までの学生による国際会議発表リスト。


図5

図5:研究室におけるある一コマ。

[研究成果概要]
回路モデルの開発は以下に示すように、3つの部門から進められます:

(1) トランジスタ特性を明らかにするためのトランジスタ設計・試作

(1)

(2) トランジスタ特性の測定

(2)

(3) 特性原理の解明とそのモデル化

(3)

(1)では、広島大学ナノデバイス・システム研究センターを利用して自ら試作する場合と、産業界の最先端技術の試作に便乗する場合とがあります。次に大事なのが、(2)の特性を測定することです。ほとんどの場合、手探りで測定技術を立ち上げていくことになります。数世代の学生によってやっと安定して測れるようになるケースも稀ではありません。先端トランジスタで起きている現象は測定するのが非常に困難なので、回路を用いることによって電子の動きを解明するという新分野の開拓も行っております。これらすべてのデータが正確に測定され、測定値が整理されてくると、そのなかからエッセンスを抽出し、これをモデル化していく(3)の作業にはいります。この3つの部門にはそれぞれ、研究室に蓄えられたノウハウがあり、これを絶やすことなく将来の発展につなげていくのはたやすいことではありません。学生達の力と努力の賜物です。
以下、これまでに得られた、高精度の回路設計実現に必要な現象のモデルをいくつか例にとって示します。

<MOSFETの微細化現象>
これまでの半導体における進歩は、微細化製造技術の進歩によるものと言っても過言ではありません。つまり、図6−1に示すようにMOSFETが単に縮小されたようになってきています。ところがこれによってMOSFETに流れる電流Idsは図6−2に示すように、外部電圧に対する電流変化が小さくなって、いわゆるオン・オフしにくくなってきています。横方向の破線で示されている、回路が動作し始める電流値を比べると、これに必要な外部電圧が小さくなっています。この電圧値をしきい値電圧(Vth)と呼び、図6−3に測定結果を示しております。この減少を食い止めるために、図6−4のようにポケットと呼ばれる高濃度の不純物を加えます。これによって図6−3の丸印の線が示すようにしきい値電圧が下がるのを食い止めていることが分かります。この現象を図6−4の(B)に示すように不純物濃度を単純化して、解析的なモデル式を導いております。図6−3の実線がモデルの計算結果です。



図6-1
図6-2

図6-1:トランジスタの微細化

図6-2:電流Idsとかけた電圧Vgsとの関係を示す。

図6-3
図6-4

図6-3:しきい値電圧とトランジスタサイズLgateの関係を示す。

図6-4:ポケット注入したトランジスタの内部状態(a)
    とこれをモデル化した(b)を比較。

<ノイズは増えるか減るか>
図6−5のようなノイズ経験は誰にでもあるものです。これは図6−6に示すように、トランジスタに流れる電流にノイズがのることも大きな原因の一つです。このノイズの大きさを測る量が電流換算ノイズ密度と呼ばれるもので、測定は非常に困難です。図6−7の(a)に示すように、MOSFETの微細化につれて大きくなると予測されています。もしこれが事実なら、将来、微細MOSFETを最大限利用していく上で大きな障害になります。当研究室で正確に測定する技術を立ち上げ、図6−7の(b)に示しますように、世の中で得られている測定値よりはるかに小さい値を観測しました。しかもこの特性がHiSIMを用いてモデル化した計算結果とよい一致を示すことがわかりました。これによって微細MOSFETのノイズ原因がトランジスタの中を流れていく電子の衝突によるもので、微細化すればこれが激しくなってノイズが増加し、更に、これまで考えられていたほど大きくないということがわかりました。

図6-5
図6-6

図6-5:ノイズによる受信障害。

図6-6:ノイズの原因である電流のゆらぎ。

図6-7

図6-7:異なる研究者による異なるノイズ予測(a)
と、我々が測定した結果をHiSIMの計算と比
較(b)。 Lgは異なるトランジスタサイズを表す。

<高周波動作の問題点>
高周波動作は図6−8に示しますようなネットワークを構築していく上で不可欠のものです。これに耐えるMOSFETかどうかは図6−9に示しますようなS-パラメタ測定で評価されます。これを更に図6−10のようにY-パラメタに変換して、トランジスタの周波数特性を評価します。高周波になれば次第にY-パラメタの値が劣化していることがわかります。これは電流の担い手である電子が周波数の変化に追従できなくなっているためです。これをモデル化した結果も図6−10に示しています。

図6-8

図6-8:情報ネットワークの概念図。


図6-9

図6-9:トランジスタ応答を調べるSmith Chartの
測定値をHiSIMの計算値(NQS,QS)。

図6-10

図6-10:トランジスタ応答を周波数の関数で表示。
実線がHiSIMする計算値。

<電子が速く走らない>
電子がトランジスタの中を走るには、外部電圧からエネルギーをもらいます。しかし、電子は無限に速く走れるわけではありません。つまりエネルギーを得れば得るほど周りの環境の影響を受けてきます。たとえば電子が通り抜ける結晶原子にぶつかったり、電子同士でぶつかり合ったりすることによって速度が限定されてきます。つまり電子がトランジスタの中を駆け抜けていくのに有限の時間を要することになります。この駆け抜ける時間を考慮しなければいけない時代に突入してきております。図6−11には最先端シミュレーション技術を用いて、スイッチ・オンした時の電子の応答を左側に、スイッチ・オフした時を右側に、時間の関数として観測したものです。オンしてもすぐに電子が充分存在していない様子や、オフしても外部の電圧に追従していない電子の存在がトランジスタの真ん中にできる山で確認できます。模式的に図6−12に示したこの応答時間τを考慮したモデル開発によって多くの高周波で観測されている現象が解明されてきています。

図6-11

図6-11:電圧をオン、オフした時の電子の
動きを時間的に追った様子を示す。



図12

図6-12:電子がSourceからはいってDrainにでるま
でにかかる時間をτを考慮するモデルを開発した。