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第9回企業人材セミナー「博士のキャリア戦略」報告

平成22年6月11日(金)に先端研にて行われました、第9回企業人材セミナー「博士のキャリア戦略」の報告を以下に掲載しますので、是非参考にしてください。

日時

2010年6月11日(金)
・    セミナー 14時00分~16時00分
・    懇談会  16時10分~17時00分

場所 セミナー 広島大学先端物質科学研究科 302S会議室
懇談会   広島大学先端物質科学研究科 304Sセミナー室
講師 奥井 隆雄 氏
(「博士の生き方」主宰・工学博士)
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○医歯薬学総合研究科 博士課程後期修了 下本 順子
博士の就職の難しさを具体的に実感できた。詳しく、現状をより把握できた。それを知った上で、今後どうするか、さらに悩んでしまった。
また懇親会では、セミナー会場にはないアットホームな雰囲気で、皆さんざっくばらんに意見交換ができ、また講師の先生の本音も聞けていろいろと参考になっ た。

 

○理学研究科 化学専攻 博士課程後期4年 山田 朋範
博士号取得者の就職状況などが、とてもわかりやすく整理されていた。そのデータに対していろいろな視点から意見が聞けた。
それらを自分の知識としてストックできたのが良かった。博士課程を出た学生の状況が厳しいのが改めてわかった。
とてもやる気が出た。

 

○先端物質科学研究科 分子生命機能科学専攻 博士後期課程2年 奥 正太
これまで高学歴ワーキングプアや、漂う博士という言葉を度々耳にしてきた。これらの言葉が指す現状を、実際のデータを踏まえ、自分なりに考えることができ たのは非常に良かった。また、講師の方の意見も興味深かったと思う。ただ、具体的にどうすべきかという解釈が困難であり(そもそも解決策が容易に提案でき るのであれば、深刻な問題となっていないのだろうけれど)、話を聞き終えたときに、釈然としない印象が残った。また、懇談会では、講師の方の実体験をもと に、博士卒の学生が企業に入った場合に求められるもの、直面する問題等について、ユーモアを交えつつ有意義な議論が交わされた。セミナーとは違った切り口 から話が聞け、良い経験となった。

 

○総合科学研究科 総合科学専攻 博士課程前期2年 野村 祐子
博士課程修了後の現状について具体的なデータで示していただけたことは非常に参考になりました。しかし,博士課程の間に学生自身が意識すべきことは何かを お聞きした時,企業側の視点からの具体的なアドバイスをいただくことはできませんでした。社会に求められる博士課程修了者の(研究に関する能力以外のもの も含めた)スキルはどういったものなのか,企業側は何に期待しているのかということに関して,企業側の視点からのご意見をお聞きできると良かったです。そ の点の具体策をアドバイスしていただけると,博士課程進学後の自身の目的意識や将来の展望を想定しながら有意義な生活を送ることができるのではないかと思 いました。

 

セミナーの様子
懇談会の様子

 


  1.博士のキャリアデザインとは
キャリアデザインをする上で2つの視点がある。
・キャリア・アンカー
・キャリア・サバイバル

【キャリア・アンカー】
「人は、自分が一番成長できていると感じられたときのイメージに引きずられるもの」といわれている。人はその時は上手くいったというのを拠り所として生きている。アンカーとは錨である。人は迷ったときに拠り所(アンカー)に戻ってさまざまなことを考えるといわれている。キャリア・アンカーとは自分らしく生きるということに繋がるものである。

これには8つのカテゴリーに分けることができ
・専門・職能別コンピタンス
・起業家的創造性
・全般管理コンピタンス
・奉仕・社会貢献
・自律・独立
・純粋な挑戦
・保障・安定
・生活様式
である。

【キャリア・サバイバル】
自分らしさを保つためには、そのときどきの状況に適応して生きていかなければならない。つまり、自分の職務に求められているものの現状と将来を把握して、適切に乗り切る必要がある。これがキャリア・サバイバルである。
分析の視点としては
・現在の職務の置かれている状況を理解する
・どのような環境の変化が起こりうるか?
・そのような環境の変化によって、職務はどのように変わりうるか?

例えば、これから研究を続けていくことを考える場合には
・研究職の置かれている状況を理解する
・研究職の置かれている状況にはどのような環境変化が起こりうるか
技術面での変化、経済面での変化
政治面での変化、社会文化的次元での変化
・環境の変化は、研究職の在り方をどのように変えうるか?

このような環境の変化をとらえて、自分の生き方を調整しながら生きていかなければならない。満足して人生を歩んでいくためには、まずキャリア・アンカーとして自分自身に納得をして生きていくということと、キャリア・サバイバルとしてさまざまな状況を乗り切って生きていく、という2つの視点を相互に行き来しながら、人生は進んでいくものだと考えている。


2.博士の就職の現状を知る
【理工系修士課程修了者の進路の推移】
1991年以来、修士課程修了者(就職者)及び博士課程進学者は共に増加傾向にあった。しかし、博士課程の進学者は2003年度以降減少に転じており、修士課程修了者の就職率は80パーセント以上である。

【理工系博士課程修了者の就職者数の推移】
理工系博士課程修了者は、1991年には2000人程度であったものが、2009年には7000人程度にまで増加している。博士課程修了者の増加に伴い博士課程修了後の就職者の数は増加しているが、同時に就職できない人数も増加している。割合としては博士課程修了者の就職率は2003年までは減少していたが、2003年以降は増加傾向にある。就職者数の増加は科学研究者(ポスドク)と技術者(企業研究者)によるものと考えている。平均してみると博士課程修了者の就職率は60パーセント程度であり、楽観視できる状況ではない。

【理工系博士課程修了者の就職先】
新卒で就職した博士のほとんど(9割)が専門的職業に就いている。博士卒就業者で専門的職業に就いたものの職業内訳としては、大学教員、技術者、科学研究者に分けられる。1991年以降新卒で大学教員になる人数はそれほど大きく変化しておらず、技術者と科学研究者になる人数が増加している。博士課程進学者が増加していることを考慮すれば、これは新卒で大学教員になる割合が非常に低くなってきていることを意味している。特に1991年以降、科学研究者(ポスドク)になる人数が増加傾向にある。

【大学教員数の推移】
1991年以降大学教員数は増加しているが、助手の人数は3万人から4万人程度と大きく変化していない。その代わりに教授の数が年々増加傾向にある。つまり大学教員の割合として、助手の割合が年々減少傾向にある。

【新規助手の採用前の状況】
新規学卒者からの助手への採用人数はあまり変わらないが、その代わりにポスドクや非常勤講師などから助手への採用人数及び採用割合が年々増加傾向にある。助手への採用割合が、新規学卒者よりポスドクからの方が高くなるにつれて、新規採用助手の年齢も高くなってきている。1992年には新規採用助手の平均年齢が30歳程度であったものが、2007年には32歳程度となっている。
これはつまり、大学の教員として定職に就くまでの年齢が高くなっていることを意味している。

【ポスドクの増加と高齢化の進展】
将来助手などの定職に就くことができれば良いが、現状ではそれも難しい状況になってきている。つまりポスドクの高年齢化が進んでいる。2004年にはポスドクの数が1万4千人くらいであったものが2008年には1万8千人にまで増加している。これは把握できる範囲での数字であるから、研究室でアルバイトで雇われている方やお金をもらわずに籍だけを置いている方々を含めるとさらに増えるものと思われる。年齢分布で見てみると、40代以上のポスドクの方が2004年には9パーセント程度であったものが、2008年には13パーセントにまで増えている。
ポスドクの人数を分野別に見てみると、ライフサイエンス、情報通信、ナノテク・材料、人文社会科学で分けられる。特にライフサイエンスの分野のポスドクの人数が最も多く、4割程度を占めている。

【民間企業における採用意欲】
民間企業の採用実績としては大体6割程度の企業が博士課程修了者を採用したことがあるといわれており、ポスドクの採用実績は大体3割程度となっている。概して博士課程修了者への採用意欲も、ポスドクへの採用意欲も年々上昇してきてはいるが、まだ高いとは言えないのが現状である。

【研究者総数に占める博士号取得者の割合】
2003年に80万人程度であった研究者は2009年には90万人程度にまで増加しており、これは世界でも有数の数である。研究者の15パーセント前後が博士号取得者となっている。

【博士号取得者の所属】
博士号取得者の所属の割合を見てみると、主に大学に所属している方が多い。

【企業研究者に占める博士号取得者の割合】
企業研究者に占める博士号取得者の割合はほとんど変わらず5パーセント程度となっているが、人数は年々増加傾向にある。

以上をまとめると
・修士課程から博士課程への進学率は減少傾向にある。
・博士課程修了者の就職率は、修士課程の就職率よりもよくない。
・博士課程修了者の人数は増加したが、助手の新規採用が増加しているわけではないので、助手になるのは大変になってきている。
・企業研究者もしくは、ポスドクになる博士課程修了者が増えてきている。
・博士課程終了後、すぐに助手になれないため、助手就任時の年齢が上昇していっている。
・ポスドクの人数は増加していっている。また高齢化も進展している。
・特定の分野(ライフサイエンス)のポスドクが多い。
・研究者に占める博士号取得者の割合はほとんど変化していないが、人数としては、企業、大学、公的機関ともに増加していっている。



【博士の就職問題に対するメディアの扱い】


1.「理系白書~この国を静かに支える人たち~」講談社文庫2006年6月
日本は、1980年代から、欧米に比べて大学院生の割合が低いという理由から大学院拡充政策に取組んだ。その結果博士課程の枠が拡大している。大学院拡充政策には高度職業専門人の養成も目的の一つになっていたが、未だに研究者を育てる場という雰囲気が強く残ってしまっており、現状博士を積極的に採用する企業もあるが、学術研究で培った専門性が企業には視野の狭さと映ってしまっている。国は、1990年代に若手研究者を養成するために、大学院の定員を倍増し、職に就けなかった人材の受け皿として「ポスドク1万人支援計画」をはじめたが、ポスドクから正規職員の道は細く、博士たちの不安定な状況が続くものと思われる。

2.「大学院は出たけれど~大学院重点化、ポスドク支援政策のツケは誰が払う~」日経バイオビジネス2004年5月
最近、国のプロジェクトが続々と立ち上がり、その資金で雇われるポスドクが増えている。バイオはその最たるものであるが、プロジェクトの修了とともに失業するポスドクが大量に出るのではないか、との懸念も言われている。量の確保は質の確保に繋がるということで、ポスドク支援1万人計画には意味があった。無職になっても動じるな、自分も3年間無職だったと述べる元大学教員の意見も紹介されている。また、論文が書きやすいテーマを選びたがるポスドクが多く、腰かけ気分で民間企業の研究者は勤まらないと苦言を呈する企業研究者の声も紹介されている。

3.「「理系」という生き方~理系白書2~」講談社文庫2007年12月
日本政府は、競争力向上を狙って、競争的研究資金を増やし続けてきたが、この資金で雇われた多くのポスドクは、任期が終ったあとのポストを自分で探さないといけないため、「使い捨て」という批判がある。また、博士課程修了者及びポスドクが就職できないのには、大学のポスト不足とミスマッチの問題もある。2004年の科学技術政策研究所の調査で、博士課程の学生に将来の希望する仕事を聞いたところ、7割が大学や公的研究機関への就職を希望していた。増えたポスドクが原動力となって、論文の質・量ともにレベルアップしたが、彼らの任期満了後の進路を明確に示してこなかったことが、彼らの身分不安に繋がっている。日本全体で貴重な人材を活用する進路を具体的に提示することが必要である。文部科学省がポスドクの就職を支援する新規事業「科学技術関係人材のキャリアパス多様化事業」を2006年度から始める予定である。

4.「博士売り込み大作戦~就職応援の催し、各地で~」朝日新聞2007年10月1日 朝刊
国の政策で急増したものの、就職先がなかなか見つからない博士の就職を支援する動きが広がり始めた。民間企業への就職を後押しするため、大学や学会でお見合いの場を設けたり、民間の就職紹介会社が参入したりしている。また、博士は使いづらいと採用をためらう企業は多いが、そのような状況に風穴を開けて、両者の距離を縮めようとしている。企業の意識を変えたいし、博士の意識も変えたいと担当者は述べている。

5.「就職漂流 博士の末は」朝日新聞2009年1月18日 朝刊
大学院生は増やしたが、企業への就職が少なく、受け皿は広がらない。博士は、専門能力が高いものの、他の分野のコミュニケーション能力が不足している場合が多いというのが企業の言い分。文部科学省の担当者は、博士を増やしたことは間違いだとは思っていない。責任は、彼ら自身や大学院教育、産業界・社会などすべてにあるが、文科省も働きかけが不十分だったと述べている。ミスマッチを解消しようとする試みとして、2006年からキャリアパス多様化促進事業が始まっている。また、電気通信大学などの20大学による企業と連携したスーパー連携大学院では、カリキュラムの作成段階から企業が関わっている。この一方で、博士を増産してきた政策を転換し、博士課程の定員削減を求める声もある。しかし、グローバルな知識社会で日本が生き残るためには、十分な資質をもった博士を今以上に増産する必要があると力説する識者もいる。

6.「揺らぐ産官学連携 下~次代担う人材育成~」日本経済新聞2009年6月8日 朝刊
産業界と大学は、これまで理工系人材の育成をめぐって対立し、特にポスドクはやり玉に挙げられた。企業側は「日本のポスドクは即戦力となる広い知識をもっていない」といい、大学側は「処遇が不十分。創造性を企業が押さえ込んでいる」と反論した。しかし、両者の溝は、世界同時不況を機に歩み寄る機運を見せている。マネジメントや交渉術など、研究開発以外の能力を育てた若手の育成の取り組みの紹介や、企業へのポスドクのインターンシップの取組みの紹介などがなされている。最先端のものづくりには複合的な知識が要求されており、そのように大学教育を改めていく必要がある。またイノベーションを引き起こす人材の育成が求められている。


以上、博士の就職問題に対するメディアの視点をまとめると
①    大学院の拡大は失敗だった
理由は、博士の就職問題が発生したから。
なぜなら博士のキャリアパスが不明確だったから。
②    ポスドクの増員は失敗だった 
理由は、ポスドクの就職問題が発生したから。
なぜならポスドクのキャリアパスが不明確だったから。
③    博士の就職問題が発生した理由は
博士の大半がアカデミックキャリアを望んでいるが、大学・公的研究機関の増員がなされなかったこと。
博士の能力が、企業の求めるものではなかったこと。
④    最近になって、博士と企業が歩み寄る動きが出始めている。
 



3.博士の現状と期待の乖離
【大学審議会における博士課程に関する審議の経過】
1987年諮問として「大学等における教育研究の高度化、個性化及び活性化のための具体的方策について」が挙げられ、社会経済の変化や国際社会での役割の変化を受けて高等教育は今後どのようにあるべきかについて議論が問いかけられた。
これに対して3つの答申があった。時系列で
1988年:答申「大学院制度の弾力化について」
・大学院博士課程の目的に、研究者の養成だけではなく、多方面で活躍できる高度な能力と豊かな学識を持つ人材の養成を加える。
・大学院の組織編制を弾力的に行えるようにする。
1991年:答申「大学院の整備充実について」
・大学院における教育研究を充実させるために、制度面、財政面での充実を図る。
1991年:答申「大学院の量的整備について」
・2000年までに、1991年の学生の2倍にまで大学院の規模を拡大する。
・大学院の側でも、大学院の活性化に努め、必要に応じて、研究科等の改組転換を積極的に進める。

以上のように大学整備や大学院拡大への動きがあったのには、当時の社会的背景がある。
【1980年代後半から1990年代前半の日本と世界に関して】
1.日本はバブル経済に沸いていた(仕事はたくさんあり、給料も急激に増加していた)
2.Japan as No.1と米国から恐れられていた(GNP世界2位、IMD国際競争力ランキング 世界1位)
3.米国経済が疲弊していた
4.米国がプロパテント政策を導入した(親特許権者の政策)
5.米国による日本の基礎研究ただ乗り論(日本の基礎研究に対する科学研究費は少ない)
6.民営化・規制緩和・小さい政府の流行
などがある。

【米国におけるプロパテント政策の導入】
アメリカは元々ハイテク分野に関して非常に強みを持っていた。しかしながら、1986年にハイテク分野において、貿易赤字に転落した。当時、日本を始めとして海外の国々は米国の生み出した知的財産権を無料で使用していた。1982年に知的財産権を侵害されたことによる米国の被害は、売上げで55億ドル、雇用で13万1000人と言われている(国際貿易委員会)。
このような背景から米国はプロパテント政策として、特許を持っている人を優遇する動きを見せた。海外の国々に対しては知的財産権と通商問題をリンクさせ、相手国に輸入制限をちらつかせて、知的財産権保護政策を実施させた。また国内では、特許係争の控訴を単一の専門の裁判所(CAFC)で扱うことにした。その結果、一定の考えに基づく裁判が多くなり、特許権者有利の判断が下されることが増加した。日本企業もさまざまな紛争に巻き込まれることになった。

【基礎研究ただ乗り論】
1970年代、民間企業の研究開発費負担は、米国で50パーセント程度であるのに対して、日本では80パーセントほどもあった。通常基礎研究費というのは国によって賄われるものである。つまりこれは、日本は基礎研究にはあまり力を要れていないことになる。これに対して米国は、日本は基礎研究の発展に貢献しておらず、基礎研究の成果だけを利用してずるいのではないか?と責めた。

【基礎研究ただ乗り論への便乗】
以上のような背景から、日本も基礎研究というものに力を入れていかなくてはならないのではないかという意識が芽生えてきた。特に、「第二次中央研究所ブーム」や「基礎科学窮乏化キャンペーンの展開」などの動きがはじまることになる。
第二次中央研究所ブームに関して、1980年代後半から1991年頃は第二次中央研究所ブームと呼ばれていて、博士課程出身者の話では、「当時は企業で何をやってもよい」とまで言われたという時代であった。これらの理由としては、欧米からキャッチアップする内容が少なくなるのではないかとの経営者たちの懸念やバブル期の好景気の影響、さらには政府による研究費負担の小ささから自前で基礎研究を行う必要があるとの認識があったからであると思われる。
基礎科学窮乏化キャンペーンの展開に関しては、当時の東大総長有馬朗人をリーダーとする国立大学協会による大学予算増額キャンペーンが有名であり、新聞、雑誌等でも多く取り上げられていた。

【ストックする知識の質と量の確保のために】
当時は、知識のストックを増大させれば、それがやがて社会の発展や経済の発展につながると信じられていた。量の確保のために、大学院の拡大により博士課程修了者を増やした。また質の確保のために、厳しい財政事情の中での若手研究者の増員による研究所の活性化、研究者の流動化と競争原理の導入などを行った。さらに博士過程修了者といっても未熟であるので、以下に示すような任期付き研究員を導入した。
・学術振興会 特別研究員制度       1985年
・理化学研究所 基礎科学特別研究員制度  1989年
・理化学研究所 フロンティア研究システム 1986年
・創造科学技術推進制度          1981年

これらの取組みと同時にバブル経済の崩壊が起き、日本の失われた10年へと突入していくことになる。

【グローバリゼーションのはじまり】
グローバリゼーションとは、政府の管理の及ばない直接投資を含む資本の国際的な流動の増加のことである。これにより自国外での融資や投機、新規事業の増加となってしまう。日本のグローバリゼーションのきっかけとしては、ニクソンショック(1971年)やプラザ合意(1985年)である。
ニクソンショックとは、米国のニクソン大統領による金とドルの一次的停止の発表である。当時、各国の通過はドルを通して金につながれていたが、それがなくなったことから固定相場制から変動相場制への移行が決定的となった。これが円高ドル安の進展へと繋がり、日本の工場が世界各国へと移っていくこととなった。
プラザ合意とは、先進国蔵相会議での米国との貿易摩擦への対応のためにドル高是正のための協調介入の合意のことである。これにより急激な円高が進行しバブル経済へと進展していくことになった。

【産業空洞化の進行の段階】
こうした円高が進んでいくにつれ、日本の工場が海外へと進出していくことになった。これを産業の空洞化と呼ぶ。この産業の空洞化は大きくいって3つに分けることができる。
①    第一段階(1970年代~1985年のプラザ合意)
円高の進行に伴い輸出産業の競争力が喪失し、これまでの輸出市場を防衛するために海外に事業を展開していくことになった。当初は雑貨・繊維などの労働集約的な産業が中心だったが、次第に電機・機械・化学へと産業分野が広がっていった。
②    第二段階(1985年のプラザ合意~1990年代前半)
円高のさらなる進行に伴い、輸出拠点作りのための海外移転が開始され、親会社の要請を受けた系列子会社の海外移転が開始された。但し、主力部門は国内に残っていた。
③    第三段階(1990年代後半~現在)
アジア各国の技術力の向上を背景として主力部門の海外移転が始まり、海外からの持ち帰り輸入が急増した。空洞化が生産拠点の海外移転とそこからの持ち帰り輸入の増加によりダブルパンチを受けることになった。例えば現在電化製品の日本製はほとんどといって無い。つまり、これは日本での雇用が急激に少なくなっていることを意味することになる。

【海外生産比率の増加】
1985年には8.7パーセントであった海外生産比率は、2000年には34パーセントにまで増加している。これは、海外へ進出する企業が増加していることを意味している。

【新産業創成のための環境整備】
産業が空洞化するということは、それだけ国内でお金が生み出されなくなるということである。つまりこれは働く場所が減る(失業率が増える)ことを意味する。この問題を解決するために、1995年科学技術基本法が制定されることになる。これには大きく言って3つの項目があり
・新産業創出のための基礎研究の振興
・産学官連携の推進
・科学技術人材の育成と流動化の促進
がある。
新産業創出のための基礎研究の振興に関しては、公共投資として基礎科学研究費を負担した。これにより科学技術関連予算が大幅な増額となった。
産学官連携の推進に関しては、大学等からの民間企業への技術移転の促進を行った。これにより、知的クラスターが形成された。これは、研究機関、企業などの集積を通して付加価値の高い製品やサービスを生み出すことを目指したものである。
科学技術人材の育成と流動化の促進に関しては、ポストドクター等一万人支援計画を提案し、知識を蓄えた研究者を多数創出し、革新的な研究を行ってもらえるように働きかけた。

このような動きに伴い、ポストドクターの数は増加し、日本の科学論文の数も増加していったが、国を潤すことができたか・・・。

【世界における日本の相対的地位低下】
日本の科学論文の数の増加に伴い、国の生産力が増加したかというとそうではなく低下した。高い時には日本の製造業の売上げ世界シェアは3割程度を確保していたが、現在では16パーセント程度にまで減少している。一方米国などはコンスタントに高い割合を保っている。IMD世界ランキングでも1993年には1位であったものが2007年には20番台となっている。これらの生産能力の減少に伴い、失業率も増加している。

【日本企業の博士人材のえり好み】
日本企業は、博士人材に対して能力の低さを強調している。日本経済団体連合会によると、優秀な人材が博士過程に進学しない→博士人材の付加価値が不明確→企業が博士人材の採用に消極的、という負のスパイラルに陥っていると述べている。この問題を解決するためには、優秀な人材が博士に進学する→高い付加価値を持つ博士人材→企業の博士人材の採用増加、という形に持っていく必要があるが、日本はこれに手を出さなかった。

【イノベーション・マネジメント】
これまでは知識をストックすることに重点をおいてきたが、それだけでは社会に活かされないことが分かってきた。このような問題を解決する一つの手段として最近注目されているのが、イノベーション・マネジメントである。イノベーションとは経済的成果をもたらす革新のことである。例えば、生産する新しいものを生産することや、既存のものを新しい方法で生産するといったことである。これにより、まだ消費者に知られていない新しい商品や商品の新しい品質の開発、未知の生産方法の開発、従来参加していなかった市場の開拓、原料ないし半製品の新しい供給源の獲得、新しい組織の実現などが期待できる。
これに対する企業の対応としては、幅広い分野から多種多様な人材を探し出し、意識や意見を求めることによってイノベーションを起こそうと試みているようだ。

このような時代の研究者の在りようは、科学者としての顔(同じ分野の同僚と切磋琢磨する)と専門家としての顔(自分の専門をしらない他の分野の専門家を理解しようとする)を合わせ持つようにする必要があると考えている。


4.就職活動についての助言
以下、2002年に当方のホームページでのアンケート結果をまとめたものからの博士課程の学生の就職活動状況である。
・企業就職した回答者の就職活動開始時期
修了前年度の夏~修了年度の春に75パーセントが集中している。

・企業就職した回答者の就職先での希望業務内容
博士課程時代の研究テーマと近いもの、もしくは大学院での研究活動を通じて身につけた思考様式・行動様式を活かせるものを希望している。

就職希望先・希望業務内容の選択においては、回答者の50パーセントが自分の周囲の博士課程の先輩方の就職活動を参考にしている。また、博士課程出身の方だけではなく、すでに働いている修士課程出身や学部出身など幅広い方面の方々からの意見を参考にすると良いと思う。

 

質問1
講演の中で、優秀な学生が博士に進学しないことによる負のスパイラルが発生しているとありましたが、この問題に対して博士の学生はどういう意識を持って博士生活を送っていけばよろしいでしょうか?

回答
適切なアドバイスを頂ける(自分のことを分かってくれている)先生方と密に相談を行い、幅広い方々との面識を深めていくことが大切だと思います。

 

質問2
博士学生の意識改善を行うために、大学教員ができることは何かありますか?

回答
博士に進学する人の多くは、アカデミック希望者が多い。これらの学生に対してアカデミックへの道が非常に厳しい道だと伝える、つまり現状を正しく伝えることが大切だと思います。また、学生が幅広い視野を持つようにアドバイスをあげ、学生が真剣に今の現状を考えさせることが大切だと思います。

 

質問3
企業側からみて、博士課程出身者に足らないと思っているものは何ですか?

回答
企業の方からの話によると、博士課程新卒者と同年齢の企業人を比べると博士課程出身者の方が実力の面で劣っているように思えるとのことでした。また、実力は同じであっても人間的な面で物足りないものがあるように思えるとのことでした。

 

質問4
私は起業しようと考えています。このような考えを持って博士過程へ進学する人はどの程度の割合でいるのでしょうか?

回答
申し訳ありませんが、あまり存じてありません。ほとんどの人が、大学に残るか企業への就職希望者が多いと思います。

 

質問5
私も博士の生き方を拝見しています。企業で働いてみて、博士課程時での企業で働くことに対する理解と、今現在での企業で働くことに対する理解の違いを教えていただけませんか?

回答
博士課程にいたときは、一人で何でもできると思っていました。そのような気持ちで企業に就職したため、企業に就職した当初はわりとフラストレーションが溜まっていました。今現在企業で働いて7年目になりますが、今は一人で世の中を動かしたいというような一人よがりな気持ちではなく、身近な存在である同僚達と共同して何かを達成したいという気持ちに変わり、その達成感に喜びを感じられるようになりました。

 
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