第16回 岡村好子准教授

バイオのつぶやき第16回岡村先生
岡村好子准教授

2016年9月30日

 電子顕微鏡は数nmしかない小さな物質を可視化します。数µmの細菌の体内の分子の配置を知ることができ、機能を知る手がかりになりました。

 遺伝子の転写や翻訳の様子も、テキストや参考書に必ず載っているあの1枚の写真のおかげで、本来見ることのできない分子の動きをイメージすることができます。

 かつて、電子顕微鏡実習の際、何万枚も撮ってようやく撮れた奇跡の1枚、と教わりましたが、つまり奇跡の1枚をとるにはそれだけの努力が積み重ねられたという意味です。

 もし、1万回も実験して、1回しか結果が出なかったら、2度と再現性が取れなかったら、本来その結果こそが間違いというしかないですね。しかし、写真というものは、事実を、瞬間を、切り取ったものなので、2度と再現できない奇跡の1枚でも誰も疑わないのです。可視化するということはそれだけ説得力があるのです。

 ところが、遺伝子増幅の最先端研究では、つい最近まで、写真に現れたそのバンドは無いものとされていました。

 極微量DNAを増幅する時、MDA (multiple displacement amplification)という手法が用いられます。ファージ由来のDNA合成酵素(φ29 DNAポリメラーゼ)を使用すれば、配列によらず、鋳型が1コピーしかなくても、環状であれば、数億倍〜数兆倍に増幅することができるのです。非常に画期的な手法です。この方法が発表されてから、程なくネガティブコントロール(鋳型なしの反応)にも増幅が確認されました。増幅されたDNAの配列を読んでみると、大腸菌のゲノム配列だったり、キメラ配列だったり、まちまちであり、それらは以下のように理由づけられました。

 「組換え酵素生産時、宿主の大腸菌ゲノムが混入したり、プライマー (ランダムな配列の短いDNA) 同士が多量体になったり、結果としてそれらが鋳型になった」

 したがって、「試薬由来のこれらは避けられないもの」として、「試薬由来であるがゆえ常に同程度の増幅が考えられる」ため、ネガティブコントロールに非特異増幅のバンドが現れても「これは常に現れるもの」で許され、配列決定の際は、ネガティブコントロールで増幅したDNAの配列でマスクしてデータを処理すれば良い、ということが通常ルールになりました。

 ところが、ネガティブコントロールで増幅したDNA配列中に大腸菌とは異なる微生物の配列も見いだされると、何由来?と疑問を抱かざるを得ません。

 当研究室は、未知微生物のゲノムを含む「メタゲノム」を解析しているため、微生物DNAの未知配列はサンプル由来なのかもしれない、という解釈も可能です。そのため、共同研究者とともに、混入DNAを同定することよりも、DNAを混入させない方法を考えるべき、という至極普通の考えで研究を行っています。

 まずは、この手法における「常識」の、試薬中のDNAを除去する努力。すなわち、徹底的に酵素を精製し、プライマーをDNAからRNAに変更しました。最初はネガティブコントロールのバンドが消失し、上手くいったと思えましたが、何回か実験するうちに、すなわち何回かチューブのフタを開け閉めしているということですが、すぐに非特異バンドが現れました。

 「空気中の雑菌よね。」誰もがそう思うでしょう。それゆえ、この実験は雑菌が入ってこないクリーンベンチで行われますが、クリーンベンチでもこのバンドは消えません。クリーンベンチ内で微生物の継代作業をしても雑菌の混入は無いのですから、クリーンベンチはやはりクリーンなのです。生き物としては。

 自力で増殖できないウイルスのDNAだろうか?

 クリーンベンチ内に混入した粒子は、その乱気流によって、クリーンベンチ外に排出されないのだそうです。そこで、共同研究企業のノウハウで、世界で1番清浄な空気を保つ装置で、スーパークリーンベンチを作っていただきました。この装置のおかげで、外部からのDNAの混入が完全に防止され、ネガティブコントロールのバンドも完全に消失しました。

 ネガティブコントロールの真のネガティブは、試薬や器具、チューブへのDNAの未混入を保証しました。めでたしめでたし。

のはずだった。

 ところが、この研究を論文投稿すると、意外にも、「ネガティブコントロールの配列でデータを処理することは正しいと認められているのだから、こんなもの必要ない。」という査読者のコメント。

 我々のデータは、DNA混入が無いことが証明された試薬を使用しても、クリーンベンチ内で反応液を調製すると「ネガティブのバンド」が現れ、その配列は、チューブごとに全て異なることを示していました。すなわち、反応チューブへの外来DNAの混入は一定ではないし、限定された種類でもないことを意味しています。査読者は自分の思い込みで目が曇ってしまったのでした。

 本来あってはならないネガティブコントロールのバンドはOK, これまでのスタンダードを否定するデータはNO.

 だいぶ滅茶苦茶な実験を要求され、無理難題を押しつけられましたが、1年半の忍耐の末、論文は受理されました。

 なお、最近、アメリカNCBI (National Center for Biotechnology Information)では、次世代シークエンサーによる配列データは、再現性と信憑性が担保されたデータでないと受理しないという方針にかわりました。
 

実験データは嘘をつかない。

人は思い込みで、見えるものも見えなくなるし、見えないものを見えるとさえ言うときがあります。

想像力(創造力)は大切です。しかし、視る力に影響を及ぼしてはいけません。
 

ところで、外来DNAの正体は何だったでしょう?

ちょっとビックリします。

興味のある方は、原著論文を読まれるか、是非当研究室に遊びにおいで下さい。


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