第41回青井議輝准教授

バイオのつぶやき第41回青井准教授
青井議輝准教授
青井 議輝 准教授

代謝変換制御学研究室

(2019年2月)

 何年か前にベルリンで開催されたとある国際会議での講演を終えた日のことです。その日は最終日でなおかつ午前中で会議自体も終わったため、気になっていたベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所跡に足を伸ばしてみました。処刑場、拷問設備、生活設備などさまざまな遺構を見学しつつ、ふと何も考えずにとある小屋の中に入ってみました(村の診療所といった雰囲気の平屋の小さな小屋です)。入った瞬間、すぐに飛び出したくなる異様な感覚に襲われました。部屋の壁はまぶしいほどの一面真っ白なタイル張りで、中央に同じくタイル張りのベッド状の台(排水溝つき)が2つ設置されていました。異様な雰囲気を感じたため、外に出て建物の名前を確認しました。「Pathologie(病理学)」と書かれていました。レトロで地味な建物の外観と内部の白さとの相反、そして何か嫌な想像をしてしまう二つのベッド状の台、サスペンスホラー映画というと表現が軽くなるのですが、それに似た一種の異常性を感じ、体中の毛が逆立つような感覚に襲われました。案内文を見つけて読むと、人体実験が行われていたまさに狂気の部屋でした。地下室の入り口を見つけたので勇気をだして階段を下りてみました。薄暗い、湿った空気の広い空間(地上部の10倍はある)が広がっていました。遺体安置室でした。地上部との大きさのギャップがそこで行われた残虐性の強さを表しています。地下室から地上にでるスロープがありました。車1台は入れそうなスロープが存在する忌まわしい理由が想像できます。この建物では写真を撮るという考えが浮かびませんでした。恐怖というよりも周りの空気の重さが手を押さえつけているような感覚でした。空気に重量を感じたのは人生で初めてです。

 この強制収容所では、他のナチスの収容所同様に想像もしたくない蛮行(人体実験)が行われていたのですが、計画者はもとより実際に実行した施行者、そして政権を支持していた多くの市民もそこに正義を感じていたはずです。私がその強制収容所で本当に恐怖を感じたのは、実は過去に起きた事実に対してではなく、自分が加害者になる(なった)可能性を想像したからでした。私はもちろん歴史の教科書、様々な書籍、テレビ番組などを通じてナチスの強制収容所で何が行われたのかについて、知識ではそれなりに知っているつもりでした。しかし大人になってここまで心から学ぶという経験ができるとは思ってもいませんでした。そして言語的な情報だけで学ぶことと、「心に刻み込まれるように学ぶ」という行為は実は全く別物だということを改めて感じました。

 さて、「前ふり」のつもりが、予定していた以上に長くシリアスな話になってしまいました。話は「恐怖」から一転して小さな「感動」についてです。卒論の研究を初めたばかりの4月頃でした。環境中の微生物叢解析のイロハについて教えを請いにいった他大学の研究室(東京大学都市工学、味埜先生)にて、指導していただいた小沼先生(現日本大学、当時大学院生)に、最初にDAPIで染色した活性汚泥を対物100倍のレンズを用いて顕微鏡のレンズを覗かせてもらったときの小さな感動が忘れられません。DAPIとは、DNAと結合し、紫外光で励起され水色の蛍光を放出する試薬であり、DAPIで特異的に光るものは生物(細胞)と見なすことができます。そのような原理を教えてもらい、実験というには簡単すぎる手順で下水処理場の活性汚泥をサンプルにDAPI染色を施しました。肉眼ではスライドグラス上にかすかに白っぽいゴミのようなものがうっすらと張り付いているのが見えるだけですが、蛍光顕微鏡のレンズを覗くと想像をはるかに超えた別世界が広がっていました。漆黒の闇の中に多様な形をした微生物細胞が水色に光っています。まさに満点の星空でした(これは私だけが言っている表現ではありませんが)。大きさや形態も多様でありながら、種類ごとに均一性もあり、また複数の細胞が塊のようになっているものや直鎖状に連なっているものなど、存在形態も多様で・・むしろ夜空の星空よりも形態の多様性が美しく、楽しく、ずっと見ていても飽きませんでした。

 私が人生で最もゴージャスな星空を見た場所はアメリカのブライスキャニオン国立公園です。その一帯は世界で最も美しい星空が見られる場所の一つとして知られていることを後で調べて知ったのですが、実際に車のヘッドライトを消して車を降りて空を見上げた瞬間、おもわず「うおおおっ!!」と声をあげてしまったほどです。ブライスキャニオンで見える星の数は最大で7500個くらいだそうですが、それらのほとんどの星について人類は何も分かっていないはずです。ましてや宇宙全体では銀河の数だけで2兆個存在すると言われています。さらに宇宙には暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる「質量は持つが、光学的に直接観測できない仮定上の物質」で満たされていることも分かっています。つまり宇宙は「未知」で満たされています。

 一方で、実は前述したDAPI染色で光る無数の微生物のほとんどは、夜空の星と同様に未知なるものばかりです。実際にほとんどの微生物は培養できないことが知られており機能が未知、未解明、未利用のまま残されています。そして分離株自体が存在しない「門」が全体の半分程度占めていることが近年判明し、それら全くの未知なる微生物のことを、宇宙を占める暗黒物質になぞらえて、「微生物ダークマター(Microbial Dark-Matter)」と呼称することもあります。夜空の星に直接アクセスすることは現実的には不可能であると同様に、実は未知微生物にアクセスすること(性質・機能の解明や有用微生物として利用すること)も容易なことではありません。満点の星空を見上げて、地球外生命体に思いを馳せたり、宇宙そのものにロマンを感じるのと同じように、私はあの時、たしかに顕微鏡の中の星(微生物細胞)にロマンと多くの可能性を本能的に感じました。活性汚泥をDAPI染色すると多様な微生物が青白く光る現象はごく当たり前であり、そこには感動する要素は理論的にはないはずですが、なぜか自分自身の心に何かが刻み込まれてしまったのです。

 結局、今でもその時に感じた感動や可能性をそのまま引き継いでその延長線上にある夢を追いかけています。「それ」が単なる感覚ではなく理論的に正しそうだということを自分の仕事で証明していくという作業は10年単位で時間がかかり大変だけれどもとても楽しいものです。科学的真実の前では教員も学生も対等です。どちらかというと対等な友人関係であるほうが研究を進める上では合理的かもしれません。だからこそできるだけ多くの学生さんや研究室のスタッフと前述のような「小さな感動」をできるだけ多くシェアしたいと思ってやみません。


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