考古学との出会いー小学校のある日の朝礼からー【竹広文明】

 小学校三年のことです。朝礼の際、教頭の今田三哲先生が、自分の先輩の児童が近くの畑で縄文時代の石器を発見したのを紹介され、大変貴重なものだと説明されました。今田先生は、広島県で熱心に考古学を研究されていた方で、この時、私の母校である五日市の観音小学校に赴任されていました。この話を聞いて、自分でも昔の遺物を発見してみたいと強く思い、それからすぐに先輩が石器を見つけた遺跡などを歩き回るようになりました。

小学生の頃に発見した石鏃(矢尻)

小学生の頃に発見した石鏃(矢尻) (2018年5月5日撮影)
佐伯区観音地区・三宅川遺跡採集

 五日市では、ちょうどその頃、現在の観音台と呼ばれる地域で弥生時代の住居などが発見された寺山遺跡、三宅地区で円明寺(延命寺)遺跡の発掘調査がおこなわれました。円明寺(延命寺)遺跡は、中世寺院址として知られていましたが、先輩が発見した石器は縄文時代初期に遡る資料で注目されたのです。昔の遺物に興味を募らせるようになっていた私は、当然、しばしば見学(邪魔になっていたかもしれませんが)にでかけ、いろいろな遺物に接する機会となりました。円明寺(延命寺)遺跡の発掘で、出土したばかりの押型文土器の楕円や山形の美しくエキゾチックな文様、調査員の先生に「そのまま置いておくのだよ」と言われたことが、今でも鮮明に思い浮かびます。押型文土器は縄文時代早期の土器ですが、私がこのように認識して覚えているのは今田先生に教えてもらっていたのかもしれません。調査には、広島大学の先生方も参加されており、今思えば、これが、後に恩師となられる先生方との最初の出会いにもなっていたのです。

 また、親に頼んで考古学関係の本を買って貰ったりもしました。タイトルと遺物の写真や図面に惹かれて芹沢長介先生の『石器時代の日本』も買いました。小学生には文章は難しかったので読んだかどうかは覚えていませんが、写真や図面、その説明文を何回も見た記憶があります。大学入学後に、改めてこの本が基本文献の一つであることを知るようになりました。この本は今でも私の研究室の書架にあります。

 小学校五年の夏には、父に帝釈峡へ遺跡見学に連れて行ってもらいました。広島大学が帝釈峡で、縄文時代の洞窟、岩陰遺跡の発掘調査をしていることは、新聞などでもよく紹介されていたので、ぜひ行ってみたいと思い、父におねだりしたのだと思います。帝釈峡では、バスを降りてすぐに畑を歩きまわったこと、寄倉岩陰遺跡、帝釈郷土館を見学したことを、渓流でソーメン流しを食べたこととともに、よく覚えています。帝釈での見学記はノートにまとめ、確か夏休みの自由研究として提出しました。

観音地区の高台から望む広島湾

観音地区の高台から望む広島湾(2018年5月5日撮影)
左の山塊は鈴ヶ峰、開発は進んだが高台から海を望む風景は変わらない。

 このようにして遺跡、遺物への興味を深めた私の五日市での遺物探しは、小学校の時にとどまらず、その後、中学校、高校と続くことになります。はじめの内は、なかなか遺物を発見できませんでしたが、その内、目が慣れてきたのか石鏃なども発見できるようになりました。そして、今まで知られていた遺跡だけでなく、ここは遺跡になっていそうだと思われる場所も歩いて遺物を探し、新たな遺跡も見つけていくようになりました。新しく見つけた遺跡は、国土地理院の地形図を買って、これに場所を記していきました。また、採集した遺物は、発見地点を記したラベルとともに袋詰めにし、石鏃など目立った遺物はペイントで発見地を記入して、ケースなどに入れておきました。小学校から高校におよぶ遺跡、遺物探しによって、五日市観音地区で地図に記入した遺跡は、今まで知られていた遺跡も含めて三〇遺跡となり、多くが縄文時代の遺跡です。

 いわゆる考古ボーイとなっていた私は、大学への進学にあたりあまり迷うこと無く考古学専攻を志望しました。ただ、高校時代に遊び回っていたつけが回ったのか、一年余分に受験勉強をして、広島大学文学部へ入学しました。大学入学後は、先生方に考古学について幅広く教えていただきましたが、自分の専門とする分野については、小学校のころから興味を募らせた石器時代を専門の中心に据えるようになりました。

 私が五日市観音地区で採集した資料は、学部生の時に、先生に指導していただきながら先輩や同級生とともに、遺物の実測などをおこない、「広島県佐伯郡五日市町観音地区の遺物」と題して三編におよぶ報告をおこなうことができました。また、恩師の一人、中越利夫先生が『内海文化研究紀要』掲載の論文で、観音地区の資料について、分布調査の進んだ地域として取り上げていただいたのをみて、自分が子供の頃にしたことも、研究に貢献できる面があることを感じることができました。中越先生のつくられた広島湾岸地域の縄文時代遺跡の地図をみると、五日市観音地区に遺跡が集中する状況となっていたのです。恐らく、観音地区以外でも調査が進めばもっと遺跡は確認されると思いますが、いずれにせよ自分で現地をよく歩くことの大切さを教えてくれています。

 私が、考古学を志すようになったきっかけは、小学校の朝礼にあったわけですが、その後数十年間その思いが変化していないというのは、進歩が無いということになるのかも知れませんが、プラス思考で初志貫徹とみて、これからも研鑽を積んで行きたいと思います。


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