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【2019/8/5~開催・霞】企画展示「ヒロシマに挑む~原爆投下の広島で実相究明に取り組む医学者たちの始動期の軌跡~」を開催します

 広島大学文書館、総合博物館、医学部および原爆放射線医科学研究所(原医研)の所蔵資料をもとに、原爆投下の広島で実相究明に取り組む広島大学医学部および原医研の医学者たちが取り組んだ始動期の軌跡・活動の一端をご紹介いたします。

 また、特別展示として、1945年10月より広島文理科大学(現・広島大学)の地質学鉱物学教室の研究者たちが広島の被爆地に入って調査を行った活動を示す 秀 敬氏(当時大学院生/広島大学名誉教授)の調査ノートをご紹介します。今回、医学だけではなかった広島大学のヒロシマへ挑む姿の1つとして、原爆の高精度な線量推定に不可欠であった調査ノートを特別展示いたします。

* 2019年4月22日『中国新聞』朝刊掲載記事「被爆直後 岩石研究ノート 広島大に現存」(山本祐司記者)参照

是非皆様のご来場をお待ちしております。

 

【日 時】 2019年8月5日(月)~9月20日(金) 10:00~16:00
   ※休館日:土曜日・日曜日・祝日・夏季休暇日(8/13~8/15)

【会 場】 広島大学霞キャンパス 医学部医学資料館
     (広島市南区霞1-2-3 )
 
【入場料】 無料

 

企画趣旨

 原子爆弾の影響は爆弾が投下されてすぐ終わりとならなかった。ある意味、被爆地では1945年8月のその日から原爆にまつわるさまざまなことが始まり、そして75年目をまもなく迎える今でも終わってはいない。1945年8月に日本は確かに戦争を終えた訳だが、被爆地では、この戦争終結による解放の安心や喜びという幸運や空気が、他の地域ほどに人々にもたらされたとも限らなかった。被爆地の人びとは、この、敗戦し、占領された国のなかで、新たな戦い “ヒロシマ” への挑戦が始まることになったのである。
 しかし、被爆地の人びとは実に不屈に生き抜いた。そこには、被災し、被爆した本人たちの底力がまずあった。そして彼らを支え、また、その大元(おおもと)となった原子爆弾の影響そのものを調査研究する人々も多くいた。
広島大学医学部は、そういったものの1つであった。医学部の源流となる広島県立医学専門学校は、1945年8月5日に開校式を行い、そのスタートを切ったため、実態としてはむしろ被災した側でもあった。しかし、そこから被爆者医療に尽力すべく調査研究も進めていった。また、その流れのなかで、広島大学には1958年に原爆放射線医科学研究所の基盤となった研究組織が設立された。
 本展示では、広島大学のこうした初期の活動を中心に、当時の様子の一面をお伝えすることを目的としています。

特別展示:秀 敬氏調査資料

 被爆地・広島には、アメリカや日本(文部省、日本学術会議)の調査団がやってきて、そして調査が済むと彼らは帰っていった。その調査団を受け入れ、また広島のその現場に居続けて被爆者とともに歩んだのが、広島の科学者であり、その一部に広島大学があった。広島平和記念資料館の創立者として著名な長岡省吾は、広島大学の人間として原子野を歩き研究のために被爆石を収集したが、青年であった秀 敬氏は、そのそばで同じく調査研究に従事していた。今回はその際の貴重な、そして大変に緻密に書き込まれたノートおよび関連資料を皆様にご覧いただきます。

【お問い合わせ先】

広島大学原爆放射線医科学研究所 附属被ばく資料調査解析部
TEL:082-257-5877
FAX:082-257-5878
E-mail:kohosha*hiroshima-u.ac.jp(注:*は半角@に置き換えてください。)


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