「文字」に魅せられて【前野弘志】

 文字というものは、何と不思議なものだろうか。例えば、紙に書かれた文字を眺めてみよう。本でも、新聞でも、授業ノートでも、伝票でもなんでもいい。それを私たちは文字として認識しているから文字に見えるのだけれども、それは本来、紙に付着したインクの染みに過ぎないのです。言い換えると、私たちが紙に文字を書くということは、紙にせっせとインクの染みを付けているということに他ならないのです。しかし、そのインクの染みは、デタラメに付けられたものではなく、一定のルールに従って付けられたものです。だからこそ、そのルールを知れば、そのインクの染みは、もはや単なるインクの染みではなく、文字として読む者に語り始めるのです。インクの染みから文字への転換、この瞬間がなんともスリリングで、不思議に思われて、私を魅了するのです。

 私には七歳年上の兄がいますが、私が幼稚園に通っていた頃、兄のいない間に、兄の国語辞典を盗み見したことがあります。国語辞典だから当たり前ですが、ぎっしりと文字が書き込まれ、ところどころに挿絵があって、見ていて飽きませんでした。その中で私の興味を最も強く引いたのは、巻末に付録として付けられていたローマ字一覧表でした。表記される言語は日本語でも、ローマ字は外国の文字なので、その時の私にはもちろん読めませんでした。私にとっては、おしゃれな模様に過ぎなかったのです。しかしその読めない文字を読むためのルールがこの一覧表の中にあることが分かったので、そのルールをどうしても知りたいと思いました。その頃の私は、平仮名、カタカナ、そして小学二年生までの漢字は読めたので、解説を読み、じっくりと表を眺めることにしました。初めは表の見方が分からなかったのですが、しばらくするうちにだんだんと分かってきて、要は、日本語の仮名文字とは違って、音節が母音と子音に分解されていて、母音を表す文字と子音を表す文字の組み合わせによって音節を作るのだということに気づきました(もちろん当時、音節とか母音とか子音という言葉は知りませんでした)。このルールが分かると、そこに挙げてある例文は全て読むことが出来ました。その時に、ある種の快感を覚えたことを今でも記憶しています(ただし、CとQの使い方については、どうしても分かりませんでした)。

 

紀元前5世紀中頃のギリシア語碑文

紀元前5世紀中頃のギリシア語碑文

 小学校三年生の夏のことだったと思います。その頃の僕は、よく町立図書館に通っていました。図書館の雰囲気が好きだったし、何よりもそこはクーラーが効いていて涼しかったからです。ある日『古代文字の謎』という本をたまたま見つけて読みました。緑色の表紙の本だったと思います。そこには、シャンポリオンがヒエログリフを解読した話、ヴェントリスが線文字Bを解読した話、ローリンソンが楔形文字を解読した話などが載っていました。特に記憶に残っているのは、ローリンソンの話で、彼がベヒスタンの磨崖碑文を調査した時に、現地の少年を助手として雇い、吊り下げたゴンドラに乗って、初めは碑文を一つ一つ手で書き写していたが、時間がかかるので、途中から拓本をとることにしたとか、ゴンドラから落ちそうになったことなど、ハラハラする内容でした。それ以来、古代の文字に興味を持つようになりました。石に刻まれた古代の文字、本来それは石にノミで刻み付けられた大量の傷に過ぎませんが、そのルールを知ると、それが文字となり、何千年の時を隔てて、古代人の知恵や物語を語り始めるのです。

 今、私が研究しているのは、古代ギリシアの碑文文化です。初めは歴史をやっていたのですが、気がついてみると、碑文に重心が移っていました(もちろん今でも歴史の一分野の中にいます)。やっぱり三つ子の魂というやつなのでしょうか。碑文文化という視点は、碑文の文字情報のみを読むのではなく、碑文に表された非文字情報、例えば、文字の大きさ、碑の材質、形、大きさ、建てられた場所、碑文に付けられたレリーフなどの意味をも総合的に読み取り、碑文を作らせた人と、その碑文を読んだあるいは見た人との間で、どのようなコミュニケーションが行われ、そのことが社会や国家をどのように規定していったのかということを考えることです。文字がそもそも、石にノミで付けられた傷であり、それが文字として意味を持つのならば、その傷の大きさや、傷が付けられた石の材質、形、大きさ、建てられた場所、レリーフなども、文字と同じように意味を持ち、メッセージを発していたと、どうして考えられないでしょうか。「文字」を広く取れば、モノの形や大きさも「文字」の一種と考えることが可能となり、そうすると、モノを読む文法という概念も成り立つようになるのです。

 振り返ってみれば、僕の研究生活の原点は、幼稚園の頃にあったようです。自分の原点に立ち返ること、それが研究の出発点であり、それを支える柱であり、指針であり、それを推進する原動力であると、私は思います。

碑文拡大写真

碑文拡大写真


up