メールマガジン No.27(2008年11月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.27(2008年11月号)
2008/11/28 広島大学大学院文学研究科・文学部    

□□目次□□
1.新任教員特集
2.「広島大学祭ホームカミングデー文学研究科企画語学カフェ」リポート
3. 文学研究科(文学部)ニュース
4.広報・社会連携委員会より
------------------------------------------------------------------

【1.新任教員特集 】
 10月に着任された3人の教員のコラムを自己紹介を兼ねて、掲載いたします。

○『〈故郷〉としての広島』
日本・中国文学語学講座 准教授 瀬崎圭二

 私は1974年に広島市で生まれ、小学校6年生までを広島市安佐北区白木町にある井原という地域で過ごしました。芸備線に「井原市」という駅がありますが、広島駅からおよそ1時間、その地域は広島市の辺境にあたり、「井原市」の次の駅である「向原」は安芸高田市となります。井原という地域はひどい田舎で、私の記憶では1980年代の井原には道路交通信号機というものも存在せず、私の友達の家は牛を飼育し、小学校の前にあった家はまだ藁葺屋根でした。私が通っていた広島市立井原小学校は全校生徒130人程度、私の学年は25人程度で、1学年1クラスしかありません。当然クラス替えなどあるはずもなく、1年生から6年生までずっと同じクラスメートと過ごしました。私は、中学入学とほぼ同時にその井原を引っ越すことになり、今度は同じ安佐北区でも高陽と呼ばれる地域で暮らすことになりました。当時、高陽はニュータウンとして開発されていた地域で、私の両親はそこに家を買い、私はそこから東区の戸坂にある広島城北中・高等学校に通っていました。

 ありがちな話ですが、10代の男の子にとっては、自分の家など居心地がいいはずもなく、私は早く家を出て一人暮らしがしたくて仕方ありませんでした。高校卒業後、京都の私大に合格したことをきっかけに、念願の一人暮らしをスタートさせることができました。盆や正月などに両親は私が帰郷することを望んでいましたが、私はなるべく実家には帰らない/帰れないための理由を考えることに苦心していました。大学卒業後、京都、名古屋、東京と様々な街で暮らしましたが、それらの街と比べると、どうも広島という街は魅力に乏しいと、そう思わざるを得ませんでした(ただ一点、広島東洋カープの存在を除いては…)。

 正直、広島大学に勤務することが決まったとき、私は、採用されたことを喜ぶと同時に、広島への帰郷を複雑な気持ちで捉えていました。広島駅から西条駅に至る山陽本線の窓から見える景色は、私が幼少期を過ごしたあの井原の風景と大差はなく、赤い色の瓦屋根の家々を見るにつけ、何とも悲しく切なくなっていたのでした。

 そのような思いを抱えていたとき、もうじき一歳になる自分の子どもがなかなか泣き止まないので、自宅のマンションのベランダに出て、子どもを抱きながら日曜日の青空を眺めていました。広島の空は名古屋や東京よりも少し澄んでいることを知ったとき、ふとこの街にかつて原子爆弾が落とされたことを想いました。しかも、奇妙なまでのリアリティをもってそれが身に迫って来たのです。自分がかつて広島で受けていた〈平和教育〉からは、このような感覚を持つことは決してありませんでした。およそ15年前に広島を出て、その15年間、広島とは別の街で学び知ったことが、広島で再び暮らすようになって奇妙にも接続されていくような感覚でした。そのとき、この街で考えることはたくさんあるのだという、ごくごく当たり前のことに思い至りました。

 私が15年間かけて学んだ〈人文科学〉という学問は、このような感覚のことかもしれないと、子どもと空を眺めながら考えていました・・・。

○『はじめまして』
欧米文学語学・言語学講座 准教授 宮川朗子

 10月より文学研究科(フランス文学語学専攻)に赴任してまいりました、宮川朗子です。出身は静岡県で、富士山のふもとで生まれ育ちました。大学進学を機に、日本では、東京や名古屋に住み、留学先のフランスでは、まず、南フランスはマルセイユに近く、画家のポール・セザンヌが生涯描き続けた山、サント・ヴィクトワール山のある街、エクス=アン=プロヴァンスに一年間滞在し、その後一旦帰国しましたが、再び渡仏し作家スタンダールの故郷、アルプス地方のグルノーブルに留学しました。このように、いろいろな街で暮らしましたが、広島に住むのは初めてです。広島は、自然が豊かで、食べ物もおいしく、住みやすいところだと感じました。

 専門は十九世紀フランス文学で、ドレフュス事件に参与した作家として知られるエミール・ゾラの著作に興味を持っています。私がゾラを読み始めたのは遅く、大学に入学してからですが、その小説の筋立ての面白さに魅かれて、たちまちとりこになりました。そのうちに、ゾラの作品における、社会の描かれ方や当時の社会思想のゾラ独特の評価の仕方に興味を持ち、グルノーブル第三大学に提出した博士論文では、とりわけゾラの同時代の思想に対する総合的な評価が見られる後期小説群におけるレアリズムとユートピアの問題を分析しました。

  最近は、それまで扱ってきた小説において表現される思想とその特異性という観点とは逆に、ゾラの批評及びマニフェストやパンフレといった論争的なテクストに見られる文学的意図や文学性について考えています。ドレフュス事件の流れを変えたことで有名な「私は告発する…!」を中心とするドレフュス擁護論を読み解きながら、擁護論の戦略や文体から、ゾラの文学的思想的特徴を取り出すことを試みています。

 私自身、趣味の読書からゾラを知り、徐々に研究として本腰を入れて研究するようになったのですが、読書の他の趣味しては、ワールドミュージックと呼ばれるジャンルの音楽を聴くことが好きです。特に、ジプシーの音楽やアラブの歌謡曲を、くつろぎながら気ままに聞くのが好きです。これは、私が本格的にフランス文学に興味を持つ以前からの趣味なのですが、偶然にもフランスは、ユッス・ンドゥールやサリフ・ケイタといったアフリカのミュージシャンやシェブ・マミ、ハレドといったライミュージックの歌手を世界的なスターにするきっかけをつくるなど、ワールドミュージック界において重要な役割を担っている国なので、こんなことからも、フランスとフランス語文化圏との縁の深さを感じています。

○『西条 一期生』の歩み
総合人間学講座 助教 藤田 英里

 最初はインド近代史を専攻するつもりだった。外国史には現地語の習得と、それを学べる環境が必須であることなど、ろくに考えもしなかった。東洋史ならば、アジアの国のことは何でも学べるだろうと安易に考え、期待に目を輝かせて意気揚々と門を叩いた十代の若造に、しかし某教授は穏やかな口調と笑顔でこう宣った。「君は入る大学を間違えたね」

 以来十数年。あの時の衝撃は今でも忘れられないが、その教授の下で、語尾に「ネシア」が加わった国の歴史にここまでどっぷりと関わることになろうとは、人生とは分からないものである。

  もともと宗教に興味があった。なぜ信仰する神が違うというだけで、深刻な対立が生じるのか。その背景には何があるのか。植民地期の歴史を抜きにして、今の世界は語れない。ヒンドゥー教とイスラームについて考えるつもりが、イスラームとその他諸々の混淆になったが、庶民の生活の実態とその変容過程が知りたいという点では変わらない。ジャワ島西端・バンテン地方を自分のフィールドと定めて約十年。大きなプランテーション企業もなく、土地も痩せている。住民は自立心が強く、イスラームの信仰心が篤いことから、異教徒政府には反抗的。村長には住民を従わせる力がなく、イスラーム指導者やジャワラと呼ばれる任侠層などが幅をきかせる。植民地期のバンテンとはそんな地域だ。首都バタヴィア(今のジャカルタ)からの近接性にもかかわらず、オランダ植民地政府にとって旨味のない(むしろ厄介な)「辺境」であるが故に、これまであまり注目されず、残された史料も反乱関係を除けば微々たるものだ。千の山から一欠片の原石を掘り当てるための地道な作業が続く。

 取り立てて語学の才能がある訳でもない。知識の量では若手研究者に勝ち目などない。誇れるとすれば、語学力や経験値の差を若さ故(?)の体力と集中力で補い、数打てば当たる方式でがむしゃらに文献を紐解いていくことぐらいだ。先人の残したオランダ語とインドネシア語、時にジャワ語やスンダ語、地方の方言まじりの史料を、十数冊の辞書と首っ引きで調べてはメモをとる。たった一文に半日を費やしても訳が分からず、文法書から読み直しては頭をひねる。論文を書く段になると、日本語や英語でさえ思うように操れないことにため息が出る。

  しかし周りから見れば牛歩の歩みでも、どうにかここまで辿りつけたのは、先に挙げた某教授他、周囲の方々の暖かい励ましがあったからに他ならない。一人、また一人と同世代が学舎を後にしていく中で、孤立無援では続けられなかった。まだ何の恩返しもできていないが、足を向けて寝られない方角ばかりが増えていく。

 思えば私が入学したのは、文学部の移転と同じ年だった。キャンパスも西条の町並みも少しずつ整えられてきたように、私もここで一から育ててもらった。未だ明日をも知れぬ身分故、自分のことだけで精一杯の日々ではあるが、少しずつでも次世代のために貢献をしていけたらと思っている。

------------------------------------------------------------------

【2.「広島大学祭ホームカミングデー文学研究科企画語学カフェ」リポート】
 11月1日から3日までの三日間、広島大学東広島キャンパスにおいて、第57回広島大学大学祭が行われました。

 文学研究科では1日にホームカミングデー文学研究科企画として「フォトギャラリー」と「世界とふれあい/語学カフェ」を開催しました。学生ロビーを会場にした「フォトギャラリー」では、「これが「日本」です−私が見たニッポン・ヒロシマ」と題して、留学生が日本各地を旅行して撮りためた写真を展示しました。また、「泣いてください−懐かしき東千田キャンパス」と題して、昔の東千田キャンパスの写真や当時の学生たちの様子を写した写真を展示しました。

 今年で3回目になる「語学カフェ」では、4人の留学生(トルコ・ベトナム・中国(貴州省)・韓国)の協力で、楽しい時間を過ごしました。お国のお茶やお菓子・料理をいただきながら、文化や習慣などを話していただき、参加された皆さんとも和やかな雰囲気のカフェでした。
 ここで講師をしていただいた留学生のなかから、ふたりの感想を紹介します。

◇フイン・ヒエン・トロンさん(ベトナム)
 はじめまして。ベトナムのフイン・ヒエン・トロンです。
 今年4月から文学研究科の研究生です。専門は日本史です。「語学カフェ」で母国のことを紹介することができてとても嬉しく思っています。最初、「語学カフェ」ってどんな雰囲気、どんな人が来る、何をしたら良いのか本当に迷っていました。当日、緊張しながら思う存分母国のことをしゃべりました。良かったと思います。「語学カフェ」に残った印象とは、まず発表者みんな日本語がとても上手で、もっと頑張らないと思っていました。そして、世界一つなので、文化の面からいうと、どこか繋がっているところがたくさんあり、言葉でもそうでした。びっくりなのは、日本語の語順(文法)はかなりトルコの言葉に似ていることでした。さらに、韓国での大学受験制度で、国を挙げていこうという意思を込めた受験でした。中国でも文字のない民族が歌で気持ちを伝わるなんて感動しました。なんといっても、語学カフェ担当の先生方々の考えおよび努力がない限り今回、私たち留学生はこんな素晴らしい経験を体験できないでしょう。この場を借りて、感謝の言葉を言いたいと思っています。ありがとうございました。また、来年の語学カフェでお会いできることを楽しみにしています。

◇袁 俊さん(中国・貴州省)
 今回、語学カフェを参加するのは初めての体験でした。でも、私にとっていい思い出になったと思います。徹夜で準備したり、発表する時緊張したり、皆さんの興味がある顔を見て安心したいろいろのシーンがひとつひとつ目の前に浮かんできます。今回参加した感想は、いろいろがあります。簡単に言えば次の二つをあげることができます。第一は、初め30分間で自分の故郷を紹介することは簡単なことだと思いました。自分の故郷でしょう?しかし、実際にはそんなに簡単なことではありませんでした。今回の語学カフェを通して実は自分の故郷なのに、知らないところがまだたくさんあると感じました。資料を探しながら自分にとってもいい勉強になりました。故郷の少数民族の文化に対して、これからもっと深く興味を持っていこうと思います。第二は、語学カフェが終わってから、広島大学理学部元教授・中村先生と話をしました。中村先生は5年前、数ヶ月間貴州省に滞在したことがあるそうで、私の紹介を聞いて懐かしく思い出したそうです。私は中村先生のお話にすごく感動しました。このようなことが経験できて、今回参加して本当によかったと思いました。

-----------------------------------------------------------------

【3. 文学研究科(文学部)ニュース】

○「2009リテラ ウィンターコンサート」
 広島大学大学院文学研究科主催
リテラ ウィンターコンサート 2009 WINTER CONCERT−広島交響楽団木管五重奏−

日時:平成21年1月31日(土)14:00開演(13:30開場)
会場:広島大学サタケメモリアルホール(広島大学東広島キャンパス内)
入場無料

公開講演会「源氏物語千年紀の年を振り返って」広島大学図書館・文学研究科共催 

 今年2008年は、日本が世界に誇る古典文学の傑作『源氏物語』の存在が初めて文献に記載されてからちょうど千年目にあたるので、「源氏物語千年紀」 としてさまざ まな記念の行事や出版がおこなわれました。『源氏物語』研究の第一人者であり、千年紀の企画にも中心的に関わってこられた伊井春樹国文学研究資料館館長(本学出 身)に、この一年を振り返って「源氏物語千年紀」の意義について語っていただきます。

講師:国文学研究資料館館長  伊井 春樹(広島大学大学院文学研究科出身)
日時:平成20年12月15日(月) 14:30〜16:00
場所:広島大学学士会館 2F レセプションホール

※来聴無料・事前申し込みは不要です。
※お問い合わせ先  文学研究科 部局長・教育活動支援グループ 矢野
TEL 082-424-6606 
-----------------------------------------------------------------

【4.広報・社会連携委員会より 矢野 久美】

 4月より財務室から文学研究科部局長・教育研究活動支援グループへ異動いたしました矢野久美と申します。同時に広報・社会連携委員会委員を拝命いたしました。

 私は4年間長崎大学で勤務した後、結婚を機に広島大学へ転任して参りました。長崎生まれの長崎育ちです。異国情緒あふれる長崎の田舎でのんびりと陽気に過ごしてきたせいか根っからの「お祭り大好き人間」です。特に長崎の「精霊流し」と「長崎くんち」は大好きです。まず、精霊流しですが毎年8月15日に実施され、初盆で自宅に帰ってきた故人を西方浄土へ送り出すための仏事です。一般的にはしめやかに厳かに行われる仏事も、長崎っ子は、爆竹や花火で陽気に賑やかに送り出し、まさにお祭りにしてしまいます。

 次に、長崎くんちですが10月7〜9日に諏訪神社で行われる長崎で最大のお祭りです。祖母の家が龍踊り(じゃおどり)の踊町だったせいもあり、幼い頃から龍踊りのシャギリが聞こえてくると外に飛び出し龍を追っていったものでした。そして、自分も大きくなったら綺麗なチャイナドレスを着て龍踊りのシャギリの一員になるんだと夢見ていました。(その夢は引っ越しとともに叶いませんでしたが)

 このようにお祭り大好き人間の私ですが、広報・社会連携委員会の様々な企画に微力ではありますが私なりに盛り立てていければと思っております。皆様どうぞよろしくお願いいたします。

////////////////////////////

リテラ友の会・メールマガジン

オーナー:広島大学大学院文学研究科長  富永一登
編集長:広報・社会連携委員長  河西英通
発行:広報・社会連携委員会

広島大学大学院文学研究科・文学部に関するご意見・ご要望、
メールマガジンへのご意見、配信中止・配信先変更についてのご連絡は
下記にお願いいたします。
広島大学大学院文学研究科 情報企画室
電話 (082)424−4395
FAX (082)424−0315
電子メール bunkoho@hiroshima-u.ac.jp

バック・ナンバーはこちらでご覧いただくことができます。

////////////////////////////

 

 

 


up