メールマガジン No.29(2009年3月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.29(2009年3月号)
2009/3/19 広島大学大学院文学研究科・文学部

□□目次□□
1.平成20年度優秀卒業論文発表会
2.文学研究科(文学部)退職教員あいさつ(欧米文学語学・言語学講座 田中久男)
3. 文学研究科(文学部)ニュース
4.広報・社会連携委員会より

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【1.平成20年度優秀卒業論文発表会】

 2月19日(木)、文学部大講義室(リテラ)におきまして、「平成20年度優秀卒業論文発表会」が開催されました。
今回は、その中から3人の卒業論文の要旨を紹介させていただきます。また、指導教員からも一言添えていただきました。

○『孟子研究』
応用哲学・古典学コース中国思想文化学専攻 高田哲治

 孟子といえば、〈今にも井戸に落ちそうになっている幼児を目撃すれば、誰でもはっとし、居た堪れない気持ちになる〉という話が直ぐさま連想されよう。  所謂性善説である。この説は、自己の体験に基づいて生み出されたものだと言う人も夙にいなかったわけではないが、それを根拠づけることはこれ迄無かった。

 本論文では、それを根拠づけ、孟子にとって性善説が何如なるものなのかを明らかにした。学ぶ迄もなく、人に元々具わっている働きは、「性」と呼ばれている。例えば、ものが見えるということも「性」である。〈目〉と〈見えること〉との間には間隙がない。付け入る隙がないということ自体、生の奥深くに根差した働きだといえよう。

 このような即発性を、孟子は、人倫の中にも見出すことが出来たのだとした。  打算が入り込む前に痛ましく思う気持ちがふつふつと湧き起こったと、孟子は述べているからである。

 また、孟子は、〈人には善性が元から内在しているのだ〉と主張しているのだが、そう言った後で、〈思いさえすれば、善性に気付くことができるのに、そうしていないだけの話である〉というようなことを多々述べている。これは、善性の存在を、省察を通して気付かせようとしたものであろう。そうだとすれば、内省による善性へのアプローチを人に求めていること自体、孟子自身そのような手立てで、善性に辿り着いたことを物語っていることになろう。

 このようにして、論者は、孟子の「性善説」とは、「性」が善か悪かというような問題ではなく、善性が人間にアプリオリに具わっていることの驚き(確信)であったろうと結論を導いた。  

〔指導教員のコメント:橋本敬司准教授〕

 高田君は、中国古代の哲学思想、先秦諸子の学に興味を持ち、特に性善説で有名な孟子が非常に重要であると考え、卒業論文は性善説をテーマに作成しました。文字数80000字を越える大作であり内容も非常にすぐれた論文です。    
 まず、テキスト『孟子』の中に見られる性善を巡る論争を取り上げ、孟子がどのように対話の相手の説を論破するのかを、言語表現の問題として分析し、孟子の弁説が単なる詭弁ではなく、対話の中で次第に自己の論理に相手を引き入れ論破する巧みなものであることを指摘しました。

 次ぎに、孟子の性善説が自ら善なる性を体験した事による覚醒であったことを論じ、その性善の主張が聞き手・読者をして自己の性が善であることに気づかせることを目的とするものであることを明らかにしました。大学院進学後は、更に研究が広く深くなっていくことを期待しています。

○『大極上請合売心学早染草』研究
日本・中国文学語学コース日本文学語学専攻 久保田愛

 本論文では、『大極上請合売心学早染草』(山東京伝作・寛政二年刊)序にある「画草紙は。理屈臭きを。嫌ふといへども。今そのりくつ臭きをもて。一ト趣向となし」という宣言に着目し、「理屈臭き」を具体的にとらえ直した。

  先行研究はこれを、心学を用いたことにより生じた教訓であると解釈してきたが、京伝による同年刊行の他作品を参照すると、「理屈」を敬遠する姿勢を示している作品にも、時に心学とも関連する教訓的要素が見られることが分かった。従って「理屈臭き」を教訓と結び付けることはできないと考えられる。

 そこで、同年に刊行された京伝の著作物の中から「理屈」の用例を探して字義を帰納的に推考し、それを踏まえて当該作品の趣向を考察した。その結果、「理屈臭き」「趣向」とは、魂の働きに即応してふるまう主人公の様子が幾度も律儀に説明されていることを指すと結論付けるに至った。

〔指導教員コメント:久保田啓一教授〕  

 『大極上請合売心学早染草』は、最も著名な黄表紙作家山東京伝の代表作として早くから注目され、詳細な注釈が施されてきましたが、今回久保田さんは、理屈と教訓を無条件に同一視してきた先行研究の盲点をつき、同年の同じ作者の用例を収集して帰納するという古典研究の基本に立ち返った方法を用いて、見事に京伝の意図を読み解いてくれました。

 近世文学は資料研究や伝記研究ばかりが先行し、作品そのものを詳細に読むという点が欠落しがちです。だからこそ第一線の研究者の目も曇っていたのだろうと思います。
 大学4年生の卒論でこのような成果が出るとは正直思っても見ませんでしたので、驚きながらも心から祝福しています。幸い大学院に進んでくれますので、一日も早く論文にして学界に問うてもらいたいと念願します。 

○『ドイツの新聞における人物の言い換え表現』
欧米文学語学・言語学コースドイツ文学語学専攻 勝田由貴

 ドイツ語の新聞には、例えば「der Amoklaufer(殺人鬼)」「der Autoarbeiter(自動車工)」「der 25-Jahrige(25歳の男)」等、同一人物を指示する場合でも様々な表現が観察される。一方、日本語の新聞にはそのようなヴァリエーションは少ない。このような傾向を生じさせる要因について考察することが、私の論文の目的である。

 データ収集にあたり、私人の考察に秋葉原無差別殺傷事件(2008年6月)、公人の考察に自民党総裁選(2008年9月)の記事を用いた。そしてデータの分析結果として、定冠詞の同一指示性と、日独両言語における諸制約の優先順位の差について言及した。

 定冠詞は既出というシグナルを発している為、それによって導かれる名詞句が新情報を担っていても、同一人物を指示していることが明確となる。そして日本語とドイツ語では、同一表現に関する制約の優先度に違いがある。 
 ドイツ語は日本語に比べて固定表現を避ける傾向があり、これが言い換え表現の多用に繋がっていると言えるのである。(ウムラウト省略)

〔指導教員コメント:稲葉治朗准教授〕

 勝田さんの論文は言語学系のテーマを扱ったもので、文学や舞台芸術を対象とする卒業論文が多いドイツ文学語学分野では、マイノリティーであると言えます。
語学系の研究には対象言語に対するある程度の習熟がどうしても必要であり、いわゆる第二外国語として大学入学以降に学び始めるドイツ語ではそれがなかなか難しい中、勝田さんはこの領域での研究に果敢にチャレンジしてくれました。

 彼女が研究の対象とした新聞記事というのは、外国語学習においてしばしば用いられる教材です。そうした何気ない日常での学習の過程で、ともすれば見過ごしてしまいそうな現象の中に研究テーマを見いだしたという点は賞賛に値すると言えましょう。

 当然のように行っている言語活動を一歩退いて眺め、なぜだろうという問題意識を持つという姿勢は、特に語学系の研究では重要で、その意味でも勝田さんの卒業論文は後輩諸君へのよい見本になってくれるものであります。

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【2.文学研究科(文学部)退職教員あいさつ】
欧米文学語学・言語学講座 田中 久男

 かつて第三講座と呼ばれていた英文研究室の私の上司であった松元寛先生と坂本公延先生の退職を見送ったのが、ついこの前のように懐かしく思い出されるが、いよいよ今度は私が見送られる番になった。「光陰矢のごとし」の感、しきりである。

 文学研究科には26年半もお世話になったが、一番懐かしい思い出は、文学部移転前に、広島の西区のはずれから西条まで、教育学部の授業に3年間通ったことだ。あの当時はまだ未整備のために、キャンパスらしい風景ではなかったが、それでも私自身まだ若かったせいもあって、なにか燃えるような充実感があった。ちょうどフォークナー研究の集大成を目指して、博士論文の作成に熱中していたことも大いに関係していただろう。彼は創作のデーモンに駆られたとき、よく手紙で「ホットになった」という言い方をしたが、私も彼を見習って、できるだけホットな状態に自分を置こうと努力してみた。

 もう一つフォークナーから学んだことは、大きな仕事を片付けた時に、いつもそれを「すばらしい失敗」と呼んで、絶えず自分を苛酷に相対化し、さらなる前進、成長を目指す努力を自分に強いることの大切さであった。それが私自身の教育、研究に反映されたかと問われると、はなはだ心もとないが、そうした努力だけは今後も続けたいと思っている。

 このようなことを考えていると目が覚めた。皆さん、互助会の旅行や学期初めの大学院の合宿授業を始め、たくさんの楽しい思い出をどうもありがとうございました。文学研究科のますますの発展・充実と、全構成員のご健康とご活躍をお祈りいたします。

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【3.文学研究科(文学部)ニュース】
○ 平成20年度広島大学学位記授与式  
日 時:平成21年3月23日(月) 11時 開式
場 所:東広島運動公園体育館(アクアパーク) 

○ 平成21年度広島大学入学式
日 時:平成21年4月3日(金) 11時 開式
  場 所:東広島運動公園体育館(アクアパーク)

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  【4.広報・社会連携委員会より 衛藤 吉則】

 「私は一介の農夫である」。
 ご存じのように、この三月で退職される田中先生が研究対象としたフォークナーの言葉である。南部の影と同化してその内側から紡ぎ出す彼の言葉は、生の重みを広くわたしたちに伝えてくれる。ひとりの偉人やひとつの地域・作品に、生涯をかけて没入すると、そこを窓口に様々な真理がみえてくる。これこそ、わたしたちがたずさわる文学研究の最大の魅力なのかもしれない。田中先生たち先人が築いてくれた本文学研究科のそうした重厚な研究伝統をわたしたちも引き継いでいかなくてはとあらためて感じている。

 大学行政の面では、図書館長として図書館改革に貢献された田中先生に加え、事務局の和泉谷室長も今年度で退職される。和泉谷室長には本研究科教員支援のトップとして長年、多大なご助力をいただいた。おふたりとも温かいお人柄が、多くの人を引きつける魅力であった。文学研究科一同、こころから感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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オーナー:広島大学大学院文学研究科長  富永一登
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