メールマガジン No.49(2012年5月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.49(2012年5月号)
2012/5/22 広島大学大学院文学研究科・文学部
    
□□目次□□
1.文学部・文学研究科長からのご挨拶
2.新任教員挨拶
3.「総合人間学」特別講義レポート
4. 文学研究科(文学部)ニュース
5.広報・社会連携委員会より
      
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【1.文学研究科長からのご挨拶 文学部・文学研究科長 勝部眞人】
  
昨日またかくてありけり、今日もかくてありなむ
―研究科長就任のあいさつにかえて―
    
 このたび文学研究科長に就任しました勝部です。   
 この2年間副研究科長として、山内前研究科長を間近で見てきましたので、「研究科長って大変だ~」と思ってきました。そこで次期研究科長を選出しなければならないということになった時、"気"を潜めて嵐が過ぎ去るのをじっと待っていた…はずだったのですが、まだ修行が足りなかったようであっさりと見つかり"刑場"へ連れ出されました。
   
 いま文学部・文学研究科をとりまく環境はきわめて劣悪で、誰が研究科長になっても大変なことは目に見えています。曰く運営費交付金削減による教職員の減員、曰く自然科学系万能の風潮のなかで強く求められる「見える結果」、文系ドクター院生の就職難、平成24年度入試における広大文学部の志願倍率1.5倍という低さ(1.5倍ショック!!)…などなど。
   
 しかし、とにもかくにも就任した以上は、最低限度の責任は果たさねばなりますまい。ドラえもんが側にいないのび太が、キッパリと決意を固めた…というような心境です。
  
 それにしても、なすべきことはいろいろあります。とくに1.5倍ショック対策は、緊急かつ重点的な課題です。ちなみに、倍率の数字だけでは見えてきませんが、志願者の層は非常にハイレベルで、センターテスト900点満点中700点以上が圧倒的…という少数精鋭の激戦だったのが実情です。それでも、「広島大学文学部・文学研究科を出たら、どういう進路を歩むのか」という、いわばブランドイメージがつかみにくい…という外の声もあるようです。
   
 これまでの卒業生は、専門的研究者の道に進んだり、高校の先生や公務員になる人も多く、それぞれの場で活躍し高く評価されているのですが、それがあまり知られていないようです。とくにかつては高校の国語・英語や日本史・世界史・地理・公民の先生になる人が多かったのですが、ここ20年くらいの傾向でいえば「めっきり減ってきた」というのが現状です。これは教員採用が教科の専門性より生活指導などが重視される傾向にあったこと、教員採用試験の激化によって一次試験の突破すらままならなくなってきた等が大きく影響しているのかもしれません。
   
 その結果専門的力量を持った先生が減って「教員の学力不足問題」が起こってきたのも、また自然なことのように思われます。そう今こそ、専門的力量を持った広島大学文学部・文学研究科出身のような優秀な人材が求められているのでは…と、手前味噌ながら思います。   
 そのブランド力を文学部・文学研究科としてもう一度作りあげていくこと、そのための施策が必要になってくると思います。  
 ともあれ、それは課題の一端で、なすべきことは他にもたくさんあります。一つずつ、着実に前進するしかないでしょう…。
  
 本当に「人生一寸先は闇」です。まだまだ勉強が不足しているので、本来なら勉強に打ち込まねばならない身なのですが、これも「天の与えた試練」なのでしょう。  
 (天の声)"忙しいを口実に勉強せん奴は、暇になっても勉強せん!"…ひぇ~!?確かに、勉強してこなかった…!?
   
 ともかく「人生一寸先は…」というのは、7年前に家内をガンで亡くした時、というかその1年前に医者から「平均的には残り4ヶ月です」と宣告された時に実感しました。以来人生観が大きく変わり、1日を生きることの重みをかみしめるようになりました。家内が静かに息を引き取るまでの1年間、1日々々生きていることの重みを胸に刻んできました。   
 それからは、「たとえ医者から"あと3ヶ月の命です"と宣告されることになったとしても、昨日まで生きてきたのと同じように生きていけるよう、今を生きていきたい」と思いながら日々を過ごしてきました。
   
 「今日もまたかくてありなむ」と藤村が「千曲川旅情の詩」で歌った心情とは少し違うかもしれませんが、少なくとも私にとっては天命を受け入れつつも淡々と日々を務めていきたい…と思っております。
   
 そういえば、昨年再婚してこの年にして新婚生活を始める…なんてことも、「一寸先は闇」のなかのできごとです。まさに、韓国農業史学会初代会長だった金沈鎮先生が私たちに語ってくれた「人生生きてみないとわからない」の言葉通りです。   
 ということで、2年間よろしくお願いします。
   
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【2.新任教員挨拶】 
  
 文学研究科では、4月に7人の教員が着任いたしました。今号から3回にわたって、新任教員のコラムを掲載いたします。
  
○ 着任の御挨拶 応用哲学・古典学講座教授 有馬卓也
   
 4月1日付で徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部(総合科学部)より応用哲学・古典学講座に異動してまいりました有馬卓也と申します。よろしくお願い申し上げます。
   
 中国の前漢時代の思想を主な研究対象としています。これまでは、特に戦国時代の老子・荘子の思想から展開した黄老思想、その集大成としての『淮南子』の研究を行ってまいりました。現在は『淮南子』を編輯した淮南王劉安(高祖劉邦の孫)に関する文化的背景に関心を持ち、研究を進めています。
   
 淮南王劉安は全国から学者を集めて『淮南子』を編輯したのですが、その中には当時にあっては最先端の科学とも言える不老不死の研究者も入っておりました。その証拠に、劉安は後にクーデターを計画し、それが発覚して自害するに至るのですが、淮南王国から劉安は自害したのではなく、かねて製作中の仙薬が完成し、実は登仙したのだという偽情報がリークされます。もちろんこの情報の発信源は劉安の下にあった不老不死の研究者であったと思われますが、興味深いのはこの偽情報が後漢期のいくつかの著作で声高に否定されるという事実です。声高に否定されるということは、その偽情報が事実として広く伝播していたということを示します。偽情報が事実として伝播するには、偽情報を事実であると認識する文化的土壌があったことをさらに示します。先に述べました文化的背景とはこれであり、現在は当時の医学・薬学・呪術・迷信・俗説の収集を行っております。思想史というよりも文化史の研究に近いでしょうか。
     
 また幕末から明治期(日露戦争のころまで)における日本漢学の研究も行っております。こちらは中国の古典文化を教養として共有する維新志士たちの漢詩を材料として公文書には現れない志士たちの心情の発露を追っています。
 ちょっと変わった研究を行っておりますが、人間的にはいたって普通のつもりです。

☆有馬卓也教授のプロフィールは、こちらをご覧ください。

○史料との対話 歴史文化学講座准教授 足立孝

 2012年4月1日付で本学文学研究科に着任いたしました。雪深い青森は弘前大学人文学およそ8年間勤務してまいりましたが、このたび縁あって陽光降り注ぐ広島の地であらためて教育・研究に励むこととなりました。
   
 私の専門は西欧中世社会経済史ですが、9世紀から13世紀までを時間的枠組みとして、主にカタルーニャ、アラゴン、ナバーラといったピレネー山脈以南の諸地域を研究の対象としてきました。これらイスラームと相対した地域は、一般にラテン・ヨーロッパの形成という観点から典型的な「辺境」とみなされ、後進的とはいわないまでもその特殊性ばかりが強調されてきた空間です。けれども、それらを「辺境」とみなしうるのは何らかの「中心」が措定されてはじめて可能になることですし、何をもって「中心」とみなすかが自明のこととしておよそ不問に付されたままの現状では、そうした「中心」と「辺境」という構図そのものの妥当性から疑ってみる必要があるでしょう。だから、単に「辺境」から「中心」を逆照射するだけでなく、「辺境」と称せられてきた空間のモデルを構築することで地中海、ひいてはヨーロッパそのものの発展様式をあらためて捉えなおさなくてはならないという問題意識をもって取り組んでまいりました。
   
 とはいえ、一介の歴史研究者として、その作業の根幹をなすのはつねに史料との対話です。ここ数年来、スペインのとある地方都市に足を運び、司教座聖堂教会に付設された文書館で12・13世紀の史料を読んでまいりましたが、そこは文書館とは名ばかりで正式には公開されておらず、14世紀に建造された石造りの小塔の最上階に設けられた穴倉のような文書庫のなかで朝から晩までただ一人膨大な羊皮紙と向き合うのです。まさしく自らが往時の写字生になったかのような錯覚に陥る瞬間です。およそ修行と呼ぶにふさわしいそうした作業に至福の時を見出せるような学生を一人でも多く育て上げられれば、それに代わる喜びはほかにありません。

☆足立孝准教授のプロフィールは、こちらをご覧ください。

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【3.「総合人間学」特別講義レポート 比較日本文化学講座教授 河西英通】

 大学院の俯瞰型科目である「総合人間学」は従来合宿形式をとってきましたが、今年度から学内リテラを会場に全日程を行うこととなりました。
   
 これを機に学外から特別講師を迎えたいと思案していましたところ、幸いにも昨年夏以来、札幌を拠点に日本近世・近代史の研究を進められているハーバード大学東アジア言語文明学部のデビッド・ハウエル教授をお招きする運びとなりました。4月10日、リテラアワーを兼ねた「総合人間学」特別講義には受講生はもとより多くの教職員学生の参加が見られ、ほぼ座席が埋まるという盛況ぶりでした。
   
 ハウエル教授には「アメリカにおける日本史研究の現状」と題して、ご自身の体験談も織り交ぜた、たいへんわかりやすいお話しをしていただきました。今日、さかんに大学の国際化が叫ばれていますが、来年の「総合人間学」特別講義も、今年同様に実践的で具体的な学術交流を図るものにしたいと願っております。
  
 この特別講義に参加した学生の感想を紹介します。 
   
○デビッド・ハウエル氏講演会参加記120410 博士課程後期(日本史学)平下義記  この参加記では、デビッド・ハウエル氏の講演の論点をまとめることはしたくないが、あえて簡潔に表現すれば次のようになろうか。
   
 アメリカにおける日本史研究は、その黎明期から日米両国の政治経済的関係に深く規定されて展開してきたが、近年は日本における日本史研究と研究テーマが類似する傾向にあり、それは両国研究者間の交流の活発化や、マルクス主義史観が凋落したことによると、ハウエル氏は強調されていた。このようにまとめれば、氏の講演内容をほぼ間違いなく読者にお伝えすることができよう。
     
 ところで、このような理解に達したのは、筆者が予備知識を持っていたからでは、もちろんない。逆に言えば、氏の講演は筆者と学問領域を異にする他の聴衆にも、確実に理解されていた。明快な論理展開とカラフルな比喩を駆使し、身にしみる実例を挙げて、退屈させることのない講演を聴けば、誰でもこのような理解に導かれよう。
   
 講演後、氏と個別にお話をうかがう機会に恵まれた。学生にどのような指導をしているのか、と質問したところ、日本語の研究書を多く読み、一次史料を解読していると返答された。日本の大学以上のレベルで厳しい指導をされているのであろう。そうでなければ、史料的制約の著しいアメリカにおいて、日本史研究の業績をあげることは困難であろう。
   
 ハウエル氏の主著に『ニシンの近代史』がある。一読して驚いたのは、その研究水準の高いことであり、巻末記載の参考文献・史資料一覧を見れば分かるように、それは問題設定の鋭さと手堅い実証能力によって裏打ちされている。本書を読めば、アメリカにおける日本史研究に対する理解は、一新されるだろう。
   
 自国史研究に特権的な地位があるわけではないし、そのことに無自覚な研究者であってはならない。これがデビッド・ハウエル氏の講演「アメリカにおける日本史研究の現状」を拝聴した一学生の率直な感想である。
  
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【4. 文学研究科(文学部)ニュース】
○文学研究科・文学部主催公開講座 リテラ「21世紀の人文学」講座2012
【テーマ】「『古事記』から日本を読む」
【日時】平成24年10月13日(土)13:30~16:30
【場所】広島市まちづくり市民交流プラザ 研修室
【内容】2012年に、日本最古の歴史書として伝わる『古事記』が編纂されて1300年を迎えます。
 古事記(こじき、ふることふみ)とは、712年(和銅 5年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)、太安万侶(おおのやすまろ)によって天皇に献上された、現代確認できる日本最古の歴史書であり、上・中・下の全3巻に分かれます。
 『古事記』の内容は神話・伝説・歌謡など多岐に及んでおり、またそこに登場する神々は多くの神社で祭神としてまつられています。
 このように、『古事記』は日本人のルーツを探る第一級の歴史書であるのみならず、今日に至るまで日本の宗教・精神文化に多大な影響を与えているといってよいでしょう。
 そこで今年度の講座では、『古事記』の成り立ち、またそれがどのように読み伝えられてきたのかを検討しながら、日本人の歴史認識や宗教・精神文化のルーツについて考えてみることにします。  
【講師】 
久保田啓一教授(広島大学文学研究科 日本文学語学教授)
西別府元日教授(広島大学文学研究科 日本史学教授)
【対象】一般市民(高校生以上)
【受講料】750円   
※申込受付開始は、8月の予定です。申込等の詳細が決まり次第お知らせいたします。
  
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【5.広報・社会連携委員会より 広報・社会連携委員長 友澤和夫】
  
 文学研究科の運営組織の顔触れは、隔年で変わります。この4月がその時期にあたり、広報・社会連携委員会も全員が新メンバーとなりました。勝部新研究科長の下で、一層充実した広報・社会連携活動につとめる所存ですので、引き続きよろしくお願い申し上げます。
  
 今年度の研究科の話題としては、何と言っても7名の新任教員を迎えたことです。教員の1割が新しくなったわけで、研究科に新風が吹くことを期待するのは私だけではないでしょう。新任教員の方には今号より順に自己紹介をしてもらいます。皆様、楽しみにされて下さい。
  
 ところで、今「おしい!広島県」が全国的に話題となっています。「おしい」が「おいしい」に変わる日を目指した観光キャンペーンの一環ですが、広報活動としてみても大変ユニークな試みと思います。広島大学もこれに便乗せずともブランドイメージを高める名案は何かないものでしょうか。私は、広島市民球場の命名権を買い取り「広島大学スタジアム」とする、広島大学の教育・研究機能の一部を東京都心部に移転する、といったような大金がかかり現実味がないことばかりを考えてしまいます。このように「おかしい」ことを夢想しがちな者が編集長ですが、「おいしい」メルマガとなるように、皆様のご協力を得ながら頑張りたいと思います。2年間どうぞよろしくお願い申し上げます。
                        
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