メールマガジン No.53(2013年1月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.53(2013年1月号)
2013/1/24 広島大学大学院文学研究科・文学部
    
□□目次□□
1.普陀洛伽山の慧萼史跡について
2.ヴェトナム越冬日記 (前編)
3.文学研究科(文学部)ニュース
4.広報・社会連携委員会より
      
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【1.普陀洛伽山の慧萼史跡について 日本・中国文学語学講座准教授 陳 翀】
    
 さる12月3日、内海文化研究施設第25回季例会公開講演会において、NHK広島放送局ディレクター佐々木英基氏と、「開国~厳島神社に込めた平清盛の「夢」」というテーマで、厳島神社と中国の普陀山との関係についてお話しさせていただいた。ここでは、講演会でお話しできなかった普陀山の慧萼史跡について紹介したい。
  
 唐代の大詩人白居易の詩集『白氏文集』七十巻を将来した、平安時代の入唐僧慧萼を研究するため、この数年間、私は中国大陸に残されている慧萼史跡地へ何度も調査に訪れた。廬山の大林寺をはじめとして、無錫の南禅院、寧波の天台山、そして普陀洛伽山、いずれも中国古来の有名な仏教聖地である。
  
 しかしながら、予想した通り、慧萼に関する史料や史跡は、殆どの場所に何一つ残されていなかった。慧萼の足跡を確認できたのは、普陀洛伽山のみであった。そこで、以降、普陀洛伽山へ何回も足を運んだ。とくに平成20年8月下旬、文部科学省特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成」の研究調査の一環として普陀洛伽山を訪れた際には、運良く、普陀山と洛伽山の慧萼史跡を全て調査することができた。
  
 普陀洛伽山は、正確に言えば、中国浙江省の東の海に浮かぶ普陀山と洛伽山の二つの海島のことである。この二つの小さな海島は、中国のみならず、東アジア随一の観音霊場として、古から民衆の篤い信仰をあつめてきた。とくに改革開放以後、中国における宗教信仰への統制が緩くなったこともあり、参拝者の数は増加の一途をたどっている。一説では、年間二百万人以上もの人々が訪れるとも言われ、地方政府の最も重要な財源にもなっている。
  
 普陀山の仏教活動は、現在概ね普済寺・法雨寺・慧済寺の三つの寺院に集中している。多くの寺院は、現代になって修復されたものであるが、元朝の「多宝塔」、明万暦年間の「楊枝観音碑」、清の康煕帝の勅命で南京から移築された明太祖朱元璋の故宮の一部である「九龍殿」(法雨寺の本殿)は、この島の最も重要な文化財であり、「鎮山の三宝」とも称されている。
  
 一般のガイドブックにも紹介されているように、この普陀洛伽観音霊場は、入唐僧の慧萼によって開かれた仏教聖地である。そのため、島の東南部に位置する西方浄苑院の一角には、「慧萼大師記念堂」が設けられている。この記念堂は、一般公開されておらず、島の僧侶たちが座禅や法会を開く神聖な場所となっている。堂内前方中央には、慧萼大師の座像が奉祀されている。また、慧萼大師像の前には、日本中国地区観音霊場会によって寄進された観音像が祀られており、両側には、観音霊場会三十三箇所の観音本尊の模像が厨子の中に奉納されている。寺の僧侶によれば、この西方浄苑院は、もともと慧萼大師が建立した不肯去観音院の跡地に、清朝の人が建立した浄土宗の寺院であるという。現在の建物は、1991年に再建されたものであり、その際、慧萼大師の功績をたたえるため、この慧萼大師記念堂が併設され、また、慧萼大師とのゆかりのある日本中国地区観音霊場会からも、各寺院の観音本尊の模像が安置されたのである。
  
 近年、改めて慧萼大師の普陀洛伽開山の功績を記念するために、西方浄苑院のそばに不肯去観音院が再建された。院門の両側には、慧萼の開山逸話をモチーフとする石の彫刻画が見られる。また廊下には、日本中国地区観音霊場会の各寺院を紹介する大理石の石碑が陳列されている。不肯去観音院の院門から海を眺めていると、院門のそばにある島一番の霊場潮音洞から美しい潮音が聞こえてくる。この潮音は、観音菩薩が潮音洞で修業を行った際に、心を静める梵唄の役割を果たしたと伝えられている。
  
 あまり知られていないが、普陀山と少し離れた洛伽山にも、慧萼大師の史跡がある。洛伽山の山腹に、普陀洛伽山の歴代の長老や、山の復興に大きく尽力した居士らの納骨塔が建立されており、その納骨塔の一番上に、慧萼大師の像が奉納されているのだ。決して多くの人に知られているわけではないが、少なくとも、島の僧侶たちは、この島を観音信仰随一の聖地に導いた異国の僧侶である慧萼大師を、香火を絶やさずに今日まで奉祀してきたのである。
  
 現地での調査で特に印象に残ったのは普陀洛伽山と広島地区との深い繋がりである。日本に帰って調べてみると、実は古くから広島地域の観音寺は、普陀洛伽山を本山としているようである。例えば、江戸時期、広島藩の藩儒として名を馳せた頼春水は、「寄題釈豪潮所蔵江大来畫巨幅天台山畫、肥後教授辛憲伯所托」という詩の中で、「君不見、貞観年間僧慧萼、停船孤島普陀落、さん削巖壑嵌佛陀、更起銅塔與珠閣」と、慧萼の功績を大きく賞賛している。慧萼と普陀洛伽山、如何なる経緯で広島地区と結ばれたのか、これからの課題として、更なる研究を進めていきたい。
           
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【2.ヴェトナム越冬日記 (前編) 歴史文化学講座教授 八尾隆生】 
    
  歴史文化学講座教授 八尾隆生 新年、おめでとうございます。歴史文化学講座の八尾でございます。日々きびしくなる日常から逃れる手段が科研による海外渡航。本学に赴任した翌々年の2002年より12年連続で元旦はヴェトナム滞在(逃亡?)となりました。しかし文明の利器の発達は両刃の剣。彼の地まで「メルマガ原稿を書け」との追っ手メールが来る時代となりました。毎回いろんな問題が起きるヴェトナム渡航。今回のどたばたの一部を今号と次号の2回に分けてお届け致します。一休みの時にでも読んでいただければ幸甚です。一部脚色はありますが捏造はしてません。
   
<ハノイにも冬はあるんです>
 12月15日、いよいよ出国。朝8時の関空の気温は12度。ヴェトナム航空にて一路ハノイへ。幸いまだ旅行シーズンではなく機内は空いており、アオザイ姿のCAからもらったお酒をちびちびやりながら早くも持ち出し校務開始。書を捨てても電子書類はパソコンの中にぎっしり・・同行のH君(院生・研究協力者)は早くもすやすやお休み。このやろ~。そして5時間ほどして機内放送が。「現在、ハノイの気温は摂氏28度」えええええええええ~ 皆さんヴェトナムは南国と勘違いされておられますが、北半分は亜熱帯でちゃんと冬があるんです。留学中は暖房機を買いました。それが28度! やはり地球は狂い始めております。着後、汗だらだらで入国、通関を済ませてホテルに到達。その夜は現地で合流した他の協力者とビールをしこたまあおり、冷房をがんがんにつけて眠ることとなりました。
  
<家電店にて>
 17日、今日は地方へもっていく買い物日。相変わらずハノイは30度前後でげんなり。ハノイもどんどん変わっていきます。郊外に家電量販店ができており、そこで調査に使うスキャナーを購入。昔は町の中心部に小さな家電店がずらりとならび、日本製のテレビやらラジカセ(懐かしいですね)を売っていたことから「日本通り」と呼ばれていたところもあるのですが、現在はほとんど韓国製・・・コレアンタウンとなっておりました。諸行無常。最近の円安で巻き返しなるか?? くだんのスキャナーはハノイ・キヤノン社製です。
  
<とてもヴェトナム>
 19日、いよいよ今回の調査地タインホアへ。ところが話の行き違いか、頼んだ車とはかなり小さいのがお出迎え・・予想通り、全員のスーツケースを積んだらぎゅうぎゅうで、それで4時間、暑い中を南に向かって走ることとなりました。日本なら当然道路交通法違反なんですがそれでも行くのです。英語では「とてもいい」は、very nice と言いますね。veryの後に形容詞。ヴェトナム語もそうで、rat ○○なんですが、名詞もOK。だから rat Viet Nam だと「とてもヴェトナム」。毎回何が起こるか分からない、だから「とてもヴェトナム」
  
<ちょっと豆知識>
 さて同省には二つの観光遺産があります。一つは最近世界文化遺産に登録された胡氏城。14世紀末に築かれた都城で、当時の都城としては群を抜く規模のものです。ただ宮殿などはすでに戦火で焼け、残っているのは四方(一辺1Km強)を囲む城壁のみ。もう一つが私の専門とする黎王朝(1428-1527、1533-1789)の発祥の地藍山(ラムソン)。ここにも黎朝皇帝の陵墓や廟所が多く築かれたのですが、やはり戦火で荒廃。それを近年かなり雑な調査だけで復元工事をやってしまったため、もう世界遺産登録申請は無理でしょうね。タインホア市の市役所前に建つ巨大な黎利(黎朝始祖)の像も泣いています。
  
<ここは研究室?ここはスポーツサークル?>
 今回の渡航目的は二つ。一つはタインホア省図書館に所蔵されている古文書の調査・整理。これを4日間やりました。留学中に知り合ったブイ・ズアン・ヴィというこの図書館の研究員が遺した文書がターゲットです。段ボール箱1箱の文書を分類し、番号をつけ、目録をつくり、スキャンし、原本はファイルにいれ整理してゆく。皆で役割分担して仕事をするとrat Japan!(とってもニッポン)、予定時間の3分の1で作業が終わりそうだあ、と喜んでいると、誰かがぼそり。「これじゃあ日本の研究室でやってることと同じやん」そうでした。文明の利器憎し、ここまで日本を持ち込むか・・持ち込んだのは自分でした。そんな我らを癒してくれたのがフレンドリーな同図書館の司書さんたち。
4時を過ぎると誘いに来るんです。「バドミントンやろー」って。「あのー、勤務時間は4時半まででは??」「客来ないしー」「客????」かくして4時半頃から中庭にて日越混成バドミントンが始まるのです。延々6時まで・・日が落ちてくるとなんとコートを照らす照明まであって・・「これって税金だよねー」「問題なし」 やはり「とてもヴェトナム」でした。ちなみに老眼が最近特にすすむ私はもっぱらカウント取り。ううん、一応わたし教授なんですが・・・ちっとは尊敬しろー。ヴェトナムでは日本以上に大学は象牙の塔で、「教授」は国家が任命し、任期は終身。なれない教員は60歳で定年。教授は定年後も役職から免除されるだけで教壇に立ち(立たなくてもいい)、給与も定年前と変わらず亡くなるまで出ます。特に優秀な教授は国葬待遇です。文系でも(自虐ネタか?)。「定年」ってヴェトナム語では意味が違うのか?何度聞いても理解不能。うらやましいですね。
  
<サド・ヴェトナム>
 さて、この4日間に気候は激変。いつも通りの冬となり、気温は朝夜だと10度前後。ヴェトナム人は『徒然草』を読んでいたんでしょうかねー「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」(第55段)。確かに夏の暑さや湿気を減じるために家屋のつくりは通気良くできてます、てかすきまだらけ。でもどうして暖房が無いんだろう・・・寒いよー 夜は上下3枚ずつ着て寝ることになります。史料侵略にきた外国人にヴェトナムはひたすらサディスティックです。しかも・・「これなら5年計画だったけど2年で終わるねー」と話していた矢先、「こんなのあるよー」と最終日になって司書さんたちがもってきてくれたのは、ヴィ氏の遺産箱その2と膨大な数のタインホア省内にある(あった)碑文拓本及び碑文手写し文書集。「こっちを先に出さんかい!」「えーでもこっちは漢文よめないしー中身なんだかわかんないしー」やはり5年かかりそうです。サド・ヴェトナム。これでアメリカも負けたんです。(メルマガ54号につづく)
  
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【3. 文学研究科(文学部)ニュース】
  
○「古文書を見る会」(猪熊文書を見る会)を開催します
【日時】2013年2月7日(木)13:30~16:30
【場所】大学院文学研究科1階 大会議室[東広島キャンパス]
    
〇文学研究科を定年退職する教員の最終講義
山内廣隆教授 (応用哲学・古典学/西洋哲学)    
【日時】2013年2月12日(火)10:50~ 1時間程度 
                
〇平成24年度優秀卒業論文発表会を開催します    
【日時】2013年2月15日(金)13:00~16:00(予定)
【会場】大学院文学研究科大講義室(リテラ)
  
○「2013 リテラ ウィンターコンサート」を開催します
広島大学大学院文学研究科主催リテラ ウィンターコンサート 2013 WINTER CONCERT

【日時】2013年2月16日(土)14:00開演(13:30開場)
【会場】広島大学サタケメモリアルホール(広島大学東広島キャンパス内)
【ステージ構成】広島交響楽団木管五重奏
☆入場無料
  
○広島大学応用倫理学プロジェクト研究センター第14回例会を開催します
【日時】2013年2月23日(土) 13:30 ~ 18:00
【場所】大学院文学研究科1階 大会議室[東広島キャンパス]
  
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【4.広報・社会連携委員会より 川島 健】
  
 第53号(2013年1月)をお届けいたします。
 東広島の西条にとって最も陰惨な季節がやって参りました。晴天の日は少なく、市内比べて気温が2,3度低いこのキャンパスでは、未だ「師走」が続いているかのように教職員が背を屈めてせわしなく歩いております。学内では学期末試験や入試など気が重くなること盛りだくさんですが、本号に掲載された陳先生と八尾先生のエッセイは一服の清涼剤のようです。視点は異なるとはいえともにアジアをテーマにしたもので、異郷への思いが掻き立てられました。「とてもベトナム」なフォーとか食ってみたいなとか、行き詰まると異国の空に思いを馳せてしまうこの性分は小さい時から。周囲から精進が足りないといわれ続けて数十年。そろそろ本気でこれからも自分を考えた方がいいでしょうか。ああ、そうそう陳先生のエッセイは広島とアジアの交流しでした。まずは足元を見つめて観音寺にでもいってみようかしら。
  
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