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原爆と向き合ったジャーナリスト 金井学校の二人展 ~平岡敬と大牟田稔~

■開催報告

広島大学文書館主催の特別展示「金井学校の二人展」には、 多数のご来場をいただき、ありがとうございました。

公開講座「広島から世界の平和について考える」の受講者の皆様に加えて、 遠方からご来場される方もおられました。また、各種メディアでも報じて頂き、 報道や記事をご覧になって、来場される方も少なくありませんでした。

来場された方からは、「よくぞ取り上げてくれた」 「広島市内でも是非開催して欲しい」等の温かいご感想を頂きました。 中でも、御後援頂いた中国新聞社様には、 大きな署名記事(2005年9月20日付朝刊文化欄)でお取り上げ頂きました。 故金井利博氏、平岡敬氏、故大牟田稔氏の「ヒロシマを問う志」を本展示企画から感じて頂けたとの内容に、 当文書館スタッフ一同、大いに勇気づけられました。

今後は、展示しました資料群に、未整理分のものを加え、 「平和学術文庫」として整理・保存、公開作業に引き続き努力して参ります。

最後になりましたが、資料をご提供くださった、故金井利博氏のご遺族、平岡敬氏、故大牟田稔氏のご遺族、 そして、御後援を頂いた中国新聞社様、中国放送様など、 開催に御協力・御支援頂いた方々に対して、深く御礼申し上げます。

金井宏一郎RCC社長と小池館長

自ら関わった平和行政関連資料を見つめる平岡敬前広島市長

きのこ会資料を前にした大牟田聡氏、斉藤とも子氏、村上須賀子氏

牟田学長と小池館長

故大牟田氏の映像資料を見つめる斉藤とも子氏

現在の平和行政に携わる方々も来館されました

展示を見学する、公開講座「広島から世界の平和を考える」受講者の皆さん

■日時
平成 17 年 9 月 12 日(月)~ 22 日(木)(期間中の平日のみ)
 午前 10 時~午後 4 時 30 分

■会場
広島大学中央図書館(東広島キャンパス)
 1階 地域交流プラザ

■企画趣意

「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか」と、1964年(昭和39年)の8月5日、中国新聞記者金井利博(後に中国新聞社論説主幹)は問いかけました。金井氏のこの問いは、被爆60年を経過した今も、苦い思いとともに私たちに訴え続けています。

故金井利博氏、作家大江健三郎氏が『ヒロシマ・ノート』で「生真面目な維新の下級武士」になぞられた彼の「強烈な個性と、原爆への執念に影響された“社員塾生”たち」を、人は「金井学校」と呼びました。この中国新聞社・金井学校の優等生とされたのが、後に広島市長となられた平岡敬氏(中国新聞社編集局長をへて、中国放送社長、前広島市長)であり、「創る平和」を提唱された平岡氏とともに広島市の平和行政を二人三脚で担った広島平和文化センター理事長故大牟田稔氏(中国新聞社論説主幹)です。

「人間的悲惨」として原爆の実相を明らかにしょうとする金井氏の執念は、「原爆被災白書をつくる運動」となり、平岡氏は原爆症と貧困そして差別に苦吟する在韓国、韓国人被爆者にはじめて光をあてられました。また、大牟田氏は当時、まだ占領下にあった沖縄の被爆者について取材し、胎内被爆者・原爆小頭症患者とその家族の会である「きのこ会」を支えられたのでした。本展示では、これらの事象について取り上げるとともに、「威力」として原爆・核兵器が知られ続ける今だからこそ、原爆被害と正面から向き合った彼等の仕事を風化させることなく、被爆地広島ならではの固有性もった事績として検証、継承する必要性をも問いかけたいと思っております。

最後に、「自由で平和な一つの大学」を建学の精神とする広島大学では、戦後60年を一つの区切りとして広島大学文書館に「平和学術文庫」を創設し、所蔵資料を広く一般に公開するとともに、本学の研究・教育にも活用してまいります。本展示に使用された資料は、その「平和学術文庫」の中核となるものです。この場を借りて広島大学文書館(平岡資料は、原爆放射線医科学研究所所蔵、広島大学文書館保管)に、貴重な資料をご寄贈いただいた大牟田聡氏、平岡敬氏、金井満津子氏に、改めて感謝致します。また、ご後援をいただいた中国新聞社および中国放送にも感謝いたします。

今後、広島大学文書館では、一人でも多くの方にご利用いただき、研究・教育に活用できるよう、緒についた本資料群の整理・保存、公開作業に努力してまいります。

2005 年 9 月
広島大学文書館長
小池聖一

○展示は無料でご覧いただけます。
○土日祝日(17~19日)は,図書館閉館日につきご注意下さい。

中国新聞社・中国放送 後援
広島大学文書館 企画展示


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