解題:旧制広島高等学校資料目録

執筆者

小宮山道夫

はじめに

 本目録に収録した旧制広島高等学校資料は、広島高等学校同窓会(以下、「広高同窓会」と略記)が収集した資料群と、広島大学文書館が学内で引き継ぎ、あるいは収集した資料群とで形成したもので、旧制広島高等学校および同校関係者に関わる資料群である。
 広島高等学校(以下、「広高」と略記)は、大正12(1923)年12月10日の勅令第501号に基づき広島市皆実町(現広島市南区翠)に設置された高等教育機関であった。文科甲類80名、文科乙類40名、理科甲類40名、理科乙類40名の合計200名を生徒定員として発足し、翌大正13年4月に第1期の生徒を迎え入れた。入学生の約8割は中学校卒業者、約2割は中学4年修了者であり、19歳前後の学生が入学した(1)。修業年限3年の高等科のみの構成で、昭和25年までに4,300名を超える卒業生を輩出した。卒業生は東京・京都の両帝国大学への進学が中心で、大学進学率も他の高校にひけを取らなかった。一般的には蛮カラで有名な旧制高校の中では穏和で学究的・紳士的と評されることもあったが、その存在は文理大、高師、高工を擁する広島の町でも人目を引いたと伝えられている。広高は戦後の教育制度改革にともない広島大学に包括され、昭和25年3月に閉校となり26年間の歴史の幕を閉じた。広高の人的物的財産は広島大学皆実分校(のちの教養部)の基礎をなした。

1. 旧制広島高等学校資料の来歴と概要

 旧制広島高等学校に関わる資料の所在状況は平成20(2008)年7月現在の段階で、図1のとおりとなる。本目録に収録する資料は、このうち広島大学文書館が所蔵する「旧制広島高等学校資料」(以下、「広高資料」と略記)2,119点である。

図1 旧制広島高等学校関係資料の構造

 広高資料は、移管・継承の経緯から、大きく2つの資料群に分けることができる。ひとつは広高同窓会が平成15年まで資料を託していた広島市立中央図書館(以下、「市立図書館」と略記)から広島大学が移管を受けた資料群であり、もうひとつは広島大学が収集または受贈してきた資料群である。さらにこの2つの資料群は、整理状況と形成時期により下記のとおり2群と4群との合計6群に分けることができる。以下その6群について概略を述べる。
 第1群は平成6(1994)年10月以前に広高同窓会が収集し、市立図書館に寄贈して整理されたもので、『旧制広島高等学校資料総目録』(市立図書館編、広高同窓会・広島高等学校資料保存委員会協力、平成6年10月刊。以下、「『総目録』」と略記)に掲載された資料1,359点(1,304種類)である(2)。この資料群は、広高同窓会が昭和47(1972)年の『広高創立50年記念誌』編纂のために収集をはじめたもので、昭和57年には松浦道一氏(9文甲・広島大学名誉教授)を委員長とする広島高等学校資料保存委員会を立ち上げ、翌年の創立60年記念大会の企画として本格的に収集が行われたものである。その後の5年おきの記念大会前後で資料は順次蓄積され、資料保存と公開を促進するため、広高同窓会が市立図書館に対し昭和58年10月(271点)、昭和63年10月(259点)、平成5年10月(441点)の3次にわたり寄贈を行った資料群である。なおその後も『総目録』作成の時点までに随時資料が追加され、最終的には著書類305点、教科書類145点、文芸誌・会誌類79点、文書類547点、写真類166点、絵葉書23点、ポスター9点、物品類50点、その他35点の総点数1,359点となった。
 第2群は平成6(1991)年の『総目録』出版後から平成15(2003)年までの間に、同じく広高同窓会から市立図書館に寄贈された資料285点(263種類・うち6種類22点は既存資料群内の資料と重複している)である(3)。第1群とは異なる仮整理番号が付され、また一部については未整理のままとなっていた資料群である。
 以上2つの資料群が平成16年2月に市立図書館から本学が移管を受けた資料群である。
 つづいて広島大学の各組織が収集または受贈し広島大学文書館に移管した資料群として、次の4つがある。第3群は昭和47年から54年にかけて行われた広島大学二十五年史編纂事業の過程で収集された資料30点(28種類)であり、一部の文芸誌や同窓会名簿を除き、当時の学内所蔵または広高同窓会関係者の個人所蔵の複製資料である。
 第4群は平成10(1998)年から平成14年にかけて存在した広島大学五十年史編集室が収集した資料17点(14種類)である。古書店より購入した文芸誌、広高同窓生遺族の橋本美恵子氏より受贈した卒業アルバム、広高同窓会の福田寛氏(19文2)より受贈した広島大学関係者の著書類などで構成されている。
 第5群は平成15(2003)年度の1年間存在した広島大学文書館設立準備室が、広高同窓会より寄贈を受けた資料210点(205種類)である。平成15年10月の広高創立80年記念大会の記念企画「広高26年の歴史」展は、広島大学文書館設立準備室と広島大学総合科学部とが全面的に協力することとなった。この経緯により、75年記念大会以降80年記念大会までの間に広高同窓会が収集した資料が寄贈されることとなった。広高事件関係の文書、同窓生の手元にあった生徒記録、校友会各部の会誌、卒業アルバム、同窓会会誌、広高関係者著書類、寮歌祭パンフレット、他校同窓会会報などで構成されている。
 第6群として平成16年に発足した広島大学文書館が受贈あるいは収集した資料305点(305種類)である。この資料群は、(1)広高同窓会の福田寛氏(19文2)が80年記念大会後の残務整理を終えて寄贈した関係資料、(2)同氏が個人的に収集を続けてきた広高関係者の著書類や書画、(3)平成17年に広高同窓会が自前の事務所をたたみ、広島大学総合科学部を公称の同窓会事務所とした経緯で寄贈を受けた旧同窓会事務所所蔵資料、(4)文書館が独自に収集した卒業アルバム、絵葉書、メダル等の物品等、の4つの出所の違う資料で構成されている。
 ちなみに広島大学内での組織変遷が多く、また受贈時期も数次にわたるため、厳密に分ければさらに資料群の細分化は可能であるが、それを明らかにする意義はあまり見出せないため、分類は上記6区分にとどめる。本目録においてはこの6区分が明白となるよう「旧目録番号」の項目を設けて区別している。詳細については凡例を参照いただきたい。
 市立図書館が所蔵していた第1群と第2群の資料の広島大学への移管については、平成15年10月の広高創立80年記念大会への広島大学文書館設置準備室の協力がきっかけとなっている。広高同窓会は前述のとおり昭和58年以来収集した資料を市立図書館に寄贈し、保存・公開を望んできたが、経年による市立図書館の人事異動で次第に資料の価値や寄贈の意義に対しての理解が薄れつつあり、また『総目録』も館内閲覧用の目録に等しく、広高資料が市立図書館に所蔵されていることすらも一般に知られていない状況があることが当時の広高同窓会関係者にとっての懸案事項となりつつあった。図書資料の扱いを専門とする市立図書館としては、おそらく文書資料や物品資料を多く含む広高関係資料の整理には苦心し、また保留せざるを得なかった事情があったものと想像するが、『総目録』出版後の資料整理が広高同窓会の期待するほどに進まなかったことも大きな課題となっていた。そうした中、文書資料の専門的保存・公開機関として平成16年4月に文書館が設置されることが決まっていたことを背景に、広島高等学校の流れを汲む広島大学へ、市立図書館から資料を移管する話が本格化した。すでに広島市の所有となっている資料の国立大学への移管については手続き上の若干の問題があったが、広高同窓会の熱意と広島市教育委員会および市立図書館の長期展望の視点に立った理解のもと、移管が実現し今日に至っている。

2. 分類項目と概要

 以下、分類項目ごとに概要を記す。

(1)学校刊行物

 本分類項目には、広島高等学校が刊行・配布した資料で構成し、(1)一覧(19点)、(2)便覧(3点)、(3)規則等(6点)の合計28点を採録した。一覧は初年度にあたる『広島高等学校一覧自大正十三年四月至大正十四年三月』(広高01010010)から『広島高等学校一覧自昭和十七年四月至昭和十八年三月』(広高01010190)まで、公刊されたものが揃っている。便覧は所蔵がわずかであるが、昭和10年代の規則や各種組織のありようを見るためには簡便で良質の資料である。規則等に分類した昭和9年度の受持教官名簿(広高01030060)は学年や学級を超えて編成された生徒と受持教官の対応表である。各教官はこれに基づき受持生徒の保証人や過程との連絡にあたり、入学から卒業まで補導の責任をもつことになっている。編成の基準は不詳だが、当時の教官と生徒、あるいは生徒間の交流を推量する上での基礎資料となるであろう。

(2)創設関係

 本分類項目には、創設期の資料として(1)設置運動(3点)、(2)開校式関係(21点)の合計24点を採録した。「広島高等学校設置要望の理由」(広高02010010)は設置運動の功労者である熊平源蔵が、市・郡部有志百数十名を商業会議所に集めて期成同盟会を組織した際に詳述したという創設に関わる重要文書である。ただし複製である点が残念である。昭和8年に発行された『広島高等学校設置運動史』(広高02010020)も創設期の状況についてまとめられた唯一の資料集として重要である。同書は昭和63年の創立65年記念大会の際に記念品として復刻(広高02010030)され配布された。
 開校式関係には「開校式次第」(広高02020010)をはじめ式場図(広高02020040)や日程表(広高02020070)、「生徒催物係[分担表]」(広高02020080)などもあり、式典の様相がよくわかる資料が揃っている。開校式祝歌についても歌詞のみならず、作曲家信時潔により作曲された楽譜もある。

(3)校務関係

 広高資料中には、本来学校が継承保存すべき学校文書が存在しない。資料を失った経緯は定かではないが、終戦直後の棄損、大竹地区への移転、皆実町への復帰、新制広島大学への包括と廃校、教養部の附属学校との東千田地区への交換移転、教養部校舎の建て替え、大学紛争による封鎖、広島大学の統合移転など、紛失・遺失・焼失の機会はあまりにも多く、資料保存には不利であったといえよう。しかし昭和2年4月から昭和25年3月の広島高等学校閉校までの23年間、地質鉱物、地理製図の教官として奉職した鈴木正利教授(通称ベーブ、その後昭和35年3月まで広島大学皆実分校(教養部)教授、広島大学名誉教授)の寄贈した資料により、多様な校務の一端をうかがい知ることができることは幸いである。
 本分類項目には、(1)規則等(4点)、(2)教職員(24点)、(3)入学関係(30点)、(4)生徒関係(15点)、(5)卒業関係(5点)、(6)戦時関係(54点)、(7)その他(4点)の合計136点を採録した。とりわけ教練に関する資料(広高03060040、広高03060050、広高03060150など)や戦時体制下での報国隊編成に関わる資料(広高03060210、広高03060240、広高03060300など)は当時の学校の様子が分かる貴重な資料といえる。

(4)広高事件

 本分類項目には、8点を採録した。昭和7年から9年にかけて学校を賑わした広高事件は、はじめは教授間の対立だったものが、同窓会・生徒をも巻き込み左翼運動とも絡んで一大事件となった。広島高等学校の学風樹立に敏腕を奮った初代校長十時弥が昭和7年3月に第五高等学校へ転じ、松本高等学校長の新保寅次が後任に就くと、思想事件に関与した生徒の扱いをめぐる問題等で対立していた国語の北島葭江教授と法制経済・ドイツ語の上浦種一教授との対立が激化した。昭和3年から生徒主事を務めていた北島教授は8年4月に突如生徒課長の職とともに任を解かれ、漢文の松本正六教授が後任となった。また哲学・ドイツ語の日高第四郞教授は教務課長を、歴史の星野歳馨教授は庶務課長を辞任することとなり、上浦教授がこれらを兼任し、学校の主要ポストを上浦派が掌握することとなった。この突然の人事異動に関し、北島教授を擁護する正論派と上浦教授の暗流派との対立が深まっていくことになる。同窓会の東京支部や京都支部などが声明書(広高04010010~40)を発し、生徒も学園浄化達成を目標とする授業ボイコットを広高史上はじめて実行した。問題が激化したことにより文部省と広島県特高課が動き始め、最終的には両派の関係教官を罷免・更迭して教授陣を一変し、寮生についても大量の処分が行われたことで沈静化に向かった。地元中国新聞や芸備日日新聞は事件経過を逐次掲載し、事件後には中国新聞をはじめ大阪時事新報や読売新聞もこの事件を総括する関連記事を掲載した(広高04010050~80)。

(5)戦後復興関係

 本分類項目には、復興寄付金に関する資料として、申込書(広高05010010)や礼状(広高05010020,40)、領収書(広高05010050~60)など6点を採録した。戦後に大竹の旧海軍潜水学校校舎へ移転して授業を再開していた広高に対し、昭和21年10月23日に呉の占領軍から同校舎の接収命令がくだった。このため広高では全校生で350万円を目標とする皆実本校への復興資金獲得運動を展開することとなった。10月31日から11月10日の間を復興休暇と定め、生徒は帰郷して運動を開始するとともに広島・呉・大竹の3地区で募金演説を行うなどして収益金を集めた。運動の過程で大竹校舎の接収の話は取り消されるが、募金活動は継続し、運動会・バザー・寮生劇・音楽祭を開催。広島総合グラウンドに巨人軍を迎えてグリンパーク・オール広島両軍の野球試合を開催するなど募金活動が精力的に行われた。このためかどうかは不明であるが、昭和22年卒業生の大学進学は不振であったといわれる。建築工事請負会社から工事費用を借用することで昭和22年4月には3年生が皆実町に移転した。大竹の1,2年生全員は三菱化成・岩国燃料等で一週間のアルバイトを実施して学校に渡し、同窓会の協力も得て工事費用はすべて補填できた。この甲斐あって同年9月には全学年の皆実町移転が実現した。

(6)授業関係

 本分類項目には、(1)規則等(16点)、(2)教務文書(57点)、(3)教育内容(153点)、(4)試験問題(37点)、(5)生徒作品(27点)の合計290点を採録している。残存する資料は特定の学生や教官により寄贈されていることもあって資料の残り方に偏りがあることは否めないが、時間割や成績表などの教育課程に関する資料(広高06020010~280)やクラス名簿(広高06020290~440)、いわゆる閻魔帳と呼ばれる生徒記録(広高06020450~570)などは旧制高等学校生の置かれた教育環境を知る貴重な記録となるだろう。広高同窓会の手によって教科書類が積極的に集められていることも特徴の一つで、集書の数は144点におよぶ(広高06030010~1440)。講義プリント(広高06031450~1490)とノート(広高06031500~1530)、あるいは試験問題(広高06040010~370)や授業中に描かれた生徒作品(広高06050010~270)とあわせて旧制高校の教育水準の高さを推し量ることのできる有効な資料である。

(7)学園生活

 本分類項目には、(1)証書等(8点)、(2)校内行事(15点)、(3)寮生活(51点)、(4)校友会(43点)、の合計117点を採録した。生徒の手元に残された授業料の領収書や生徒割引証などを「証書等」に分類した。校内行事に分類した資料は点数こそ少ないものの、生徒の諸活動が良くわかる資料となっている。「黄金文学全集内容見本[生徒ビラ]」(広高07020010)などは生徒独自のサブカルチャーもしくはカウンターカルチャーを表す愉快な資料である。蛇足となるが黄金文学とは名作古典文学を表しているわけではない。
 運動会や水上運動会のプログラム(広高07020040~120)からは生徒たちにとっての行事の重要度や校友会の活動の様子が見て取れる。
 また、旧制高等学校の特徴のひとつともいえる寮生活に関わる資料として、寮祭や寮歌の資料を中心に採録した。寮歌は生徒の心の拠り所となる重要な文化である。生徒が作成し、生徒が選定し、生徒が共有した。広高の寮歌には「銀燭ゆらぐ」や「怒濤の譜」など、全国の高校の寮歌の中でも名曲と呼ばれる歌が残されている。また作詞は生徒であるが、作曲は信時潔、近衛秀磨、永井建子、藤井清水、山本壽などの専門家によるものがいくつかあることも広高の寮歌の特色のひとつである。
 校友会各部の資料が揃っているわけではないが、校友会に分類した資料からは生徒たちの熱心な活動を見ることができる。

(8)文芸誌・会誌類

 文学的才能を存分に発揮し、文芸誌や会誌を多く生み出したのも旧制高校生の特徴のひとつである。なかでも羽白幸雄(4文乙、のち昭和19年よりドイツ語の教授として奉職、広島大学名誉教授)の発案で誌名が決定し、昭和2年に創刊された『移動風景』は、全校規模の本格的文芸雑誌であり、英語の小日向幹夫教授に「これだけの同人雑誌は大学(東京)にもない」と言わしめたとされている。同誌は12号まで発刊されたといわれるが、残念ながら昭和2年刊行の第1巻第5号(広高08010010)1冊のほか、昭和3年の第4号と第5号の複製を所蔵するのみである。なお、長らく中断の後、昭和23年に復刊第1号(広高08010040)が出されている。
 その他には教室ごとや寮、校友会各部等で様々な雑誌類が発刊されており、上記の(1)全校(4点)のほかに、本分類項目には、(2)教室関係(19点)、(3)寮関係(21点)、(4)校友会関係(55点)の合計99点が現存している。

(9)写真類

 本分類項目には、(1)恩師写真(117点)、(2)卒業アルバム類(21点)、(3)プリント(60点)、(4)フィルム(8点)、(5)同窓会アルバム(46点)、(6)展示パネル(5点)の総計257点を採録している。中心資料となっている恩師写真は、広高同窓会が周年記念大会において資料展を開催する際に掲げるパネルとして作成されたものである。各パネルの元にしたプリントが別途ある(広高09011050)。

(10)頒布物

 本分類項目には、(1)絵葉書(19点)、(2)ポスター(9点)の合計28点を採録した。絵葉書は①開校記念、②薫風寮、③建築等の3種に分け、年代順位配置している。

(11)著書類

 本分類項目には、(1)教官(63点)、(2)生徒(338点)、(3)参考(46点)の合計447点を採録している。広高同窓会が精力的に集め、また同窓生も自著を寄贈したことで充実した集書群である。

(12)物品類

 本分類項目には、(1)記念品(43点)、(2)衣料・日用品(9点)、(3)シンボル(9点)、(4)その他(1点)の合計62点を採録している。寮祭や運動会、同窓会でその都度制作されたメダル、手拭いなどが中心となっている。特異な資料としてサッカーインターハイ優勝カップ(広高12010170)と全国高等学校野球大会優勝時のウィニングボール(広高12010180)がある。
 広高は官立高校の中でも最後に設置された学校であるが、運動部には強豪校に名を連ねる部がいくつかあった。蹴球(サッカー)部や野球部もそのひとつである。蹴球部は大正12年にはじめられた全国高等学校ア式蹴球大会(インターハイ)には大正15年の第4回大会から参加をはじめ、20回の出場のうち準決勝進出3回、決勝進出4回、優勝4回と、優勝回数7回を誇る第六高等学校に次いで好成績を収めている(4)。戦後の学制改革のため旧制高校によるインターハイ実施が不可能となり、昭和23年の最後の優勝を飾った広高に優勝カップが残された。野球部のウィニングボールは昭和17年の記念品である。

(13)同窓会

 本分類項目には、(1)会員名簿(37点)、(2)刊行物(22点)、(3)会報(105点)、(4)音声・映像(28点)、(5)記念行事(59点)、(6)記念誌編纂資料(37点)、(7)資料展示関係(16点)、(8)事務資料(16点)、(9)寮歌祭(33点)の合計353点を採録している。

(14)個人資料

 本分類項目には、(1)書簡(4点)、(2)書画(25点)、(3)文化功労者(31点)の合計60点を採録している。書簡のうち2点は大谷正信教授が山本外吉教授に宛てて在職中に記されたもので、病状の説明を含むなど両者の親密度が良くわかる資料となっている(広高14010010,20)。文化功労者の項目は、広高創立80年記念大会の資料展の際に収集したものを中心として構成しており、①丹下健三(8理甲)、②近藤芳美(9理甲)、③阿川弘之(15文乙)の3者に関わる資料を配列したものである。このため他の資料のような形態ごとの分類とはなっていない。

(15)その他

 本分類項目には、(1)娯楽(24点)、(2)乗車券(8点)、(3)地図(2点)の合計34点を採録している。時期が不明のものが多いが、広高生たちの娯楽のひとつとして映画鑑賞が位置付いていたことがよくわかり、また当時の映画文化を知る上でも貴重な資料となるだろう。資料として残りづらい乗車券の存在も昭和10年代当時の交通事情を表し興味深い資料である。広島市俯瞰図(広高15030020)には市内の名所や生徒たちの行きつけの場所が描かれている。

(16)関連資料

 本分類項目には、(1)広島大学関係(4点)、(2)旧制高等学校資料保存会(1点)、(3)旧制高等学校記念館(26点)、(4)他校資料(140点)の合計171点を採録している。広島大学関係としては広島大学50年史編集室の『広島大学史紀要』など、文書館に関わる雑誌が広高同窓会の資料中に存在したが、これらについては目録より削除した。他の旧制高等学校同窓会の資料を含め、同窓会同士の交流関係の分かる資料群となっている。

3. 本目録外の広島高等学校関係資料の状況

 全国の旧制高等学校は昭和25(1950)年3月に最後の卒業生を輩出してその歴史に幕を閉じた。それから既に60年近くが経過している。旧制高等学校資料の散逸や歴史の風化を危惧して旧制高等学校資料保存会(以下、「保存会」と略記)が結成されたのは昭和48(1973)年のことである。この保存会によって実施された全国規模の資料調査から数えても最早35年以上が経過している。
 保存会による資料調査結果は『旧制高等学校史研究』(第1~20号、昭和49~54年)や『資料集成旧制高等学校全書』(全8巻および別巻、昭和55~60年)に相次いで公表されていることは関係者の周知するところである。また『旧制高等学校全書』等の編纂のために保存会が収集した資料は、財団法人大倉精神文化研究所に受け継がれ、同研究所により『旧制高等学校文庫目録』が平成元(1989)年に刊行されている。
 これらの資料目録の公表によって、利用者は多大な便宜を得てきたといえる。しかしこれらの目録の公表以降も、関係者や関係機関は新たに資料を入手しており、機関によって本目録のように目録を随時作成し公開を進めている。このためここでは広島高等学校関係資料について、本目録掲載資料以外の現存する資料について情報を整理する。

(1)旧制高等学校資料保存会の調査した広高関係資料

 広高は、昭和24年に発足した新制広島大学に包括され、一般教育を担当する教養部設置の基盤となった。このため広高の行政文書は、広島大学教養部に引き継がれ、現在は教養部の後身組織にあたる総合科学部に所蔵されている。
 広島大学に所蔵されている広高関係資料については、保存会の高橋佐門氏が昭和52(1977)年2月に調査を行ない、調査結果は『旧制高等学校史研究』13号に目録として、また14号には「資料調査旅行報告記」として、それぞれ公表されている。この時の調査によれば、広島大学総合科学部保管分として12種類、同窓会関係保管分として4種類があったと記載されている。

『旧制高等学校史研究』13号(1977年)掲載の広高関係資料目録

 総合科学部は平成7(1995)年に現キャンパス(東広島市)に移転した。このため高橋佐門氏が目にした資料保存状況とは大きく異なっている。広高関係の資料は現行の事務組織に合わせてその内容により、教官人事に関わる文書、生徒の記録に関わる文書とに分けられ、それぞれ別室に保管されている。
 総合科学部所蔵の広高関係資料を見ると、人事記録と生徒記録という最低限の重要資料を除くと、行政文書をほとんど所蔵していないことがわかる。前述のとおりその原因は不明であるが、教養部当時以来たび重なる資料の移動が影響している可能性がある。昭和52年当時の高橋氏の調査時の状況と現在の状況とに大きな違いはない点が幸いである。

旧制広高目録・解題_図・3

 つづいて広高同窓会の保有していた資料について状況を整理したい。広高同窓会では昭和48(1973)年に広高創立50周年記念事業を実施しており、これに合わせて同窓生から資料を収集し、『広島高等学校創立50周年記念誌』『広島高等学校創立50周年記念アルバム・青春の譜』を編纂して同年中に刊行した。この時に集めた資料は、刊行後にほとんど資料提供者に返却されたという。高橋佐門氏は記念誌の編纂に中心的な役割を果たした松浦道一氏の手元に残っていた資料を昭和52(1977)年に閲覧しているものと思われる。そしてその資料は、内容から見ても本目録に掲載の広高資料と重なっており、資料移管の経緯からみても、広高同窓会が保有していた資料はそのまま全て文書館に引き継がれたとみて良いだろう。

(2)大倉精神文化研究所所蔵『旧制高等学校文庫』内の広高関係資料(1990年6月現在)

 「旧制高等学校文庫」は、保存会が収集した資料について、その「永久保存を図り、また一般に対し公開し、今後の研究者、利用者の便に供」するために(5)、大倉精神文化研究所に寄贈された史料群である。「旧制高等学校文庫」には、広高関係資料として、沿革史誌類14点(うち複写資料9点)、設置関係資料2点、学校一覧6点、図面1点、同窓会名簿3点、同窓会報1種(ほぼ揃)、創立記念関係1点、卒業生座談会テープ1点、を見出すことができる。目録から該当項目を抜粋すると以下のようになる。

広高関係抜粋

おわりに

 広高同窓会はその会報(第34号、2003年3月20日発行)において、創立80年記念大会を指して「同窓会をあげての行事としては、恐らくこれが最後になるであろうと思われる」と述べた。旧制高校関係者の高齢化は進み、最年少の「昭和24修」の年代であっても70代半ばに達している。すでに述べたとおり、実際に広高同窓会はすでに自前の事務所をたたんで広島大学総合科学部を公称の同窓会事務所とし、これに伴い事務所で保管していた資料のほぼ全てを当館に移管した。
 広高資料を引き受けることになった当館にできることは、継承した資料を適切に保存し、旧制高等学校の意義について冷静な目で検証をし続けるとともに、一般公開を含めて教育に役立て、次代へと引き継いでいく努力をすることと言えるだろう。旧制広島高等学校は過去の遺物ではない。本目録の公開を通じて、先人の歩んできた道に真摯に向きあい、将来に役立てる視点を持つ人々にこの広高資料が活用されることを望む。そのことこそ、教育・研究の基盤を提供する場として設けられているわれわれ大学アーカイブズの望みである。

 

〈参考文献〉
  • 『銀燭ゆらぐ旧制高等学校物語広高篇』財界評論社、昭和42年
  • 広島高等学校創立五十年記念事業準備委員会記念誌部編『広島高等学校創立五十年記念誌』広島高等学校同窓会、昭和48年
  • 広島高等学校創立50年記念アルバム委員会[編]『広島高等学校創立50年記念アルバム 青春の譜』広島高等学校同窓会、昭和49年
  • 広島大学二十五年史編集委員会編『広島大学二十五年史 包括校史』広島大学、昭和52年
  • 広高青春回想録編集委員会編『広島高等学校創立六十年記念 青春回想録 -広高その永遠なるもの-』広島高等学校同窓会、昭和58年
  • 広高七十年誌編集委員会編『広島高等学校創立七十年記念 落暉燃ゆ』広島高等学校同窓会、平成5年
  • 広高七十年誌編集委員会編『広島高等学校創立七十年記念 広高グラフティ』広島高等学校同窓会、平成6年
  • 広島市立中央図書館編『旧制広島高等学校資料総目録』(広高同窓会・広島高等学校資料保存委員会協力、平成6年
  • 「薫風寮史」復刻刊行会編『薫風寮史』(復刻版)広島高等学校同窓会、平成10年
  • 広島高等学校寮歌集編集委員会編『広島高等学校寮歌集』広島高等学校同窓会、平成15年
〈註〉

(1)広島大学二十五年史編集委員会編『広島大学二十五年史    包括校史』(広島大学、昭和52年)374~375頁
  参照。
(2)広島市立中央図書館『旧制広島高等学校資料総目録(』平成6年10月)に掲載されている資料数は合計1,359
  点となっている。この目録では重複資料についても1件として立項されており、重複資料を除外すると1,304
  種類の資料が掲載されていることとなる。
(3)広島大学文書館設立準備室が平成16年2月に広島市立中央図書館より移管を受けた際、整理済みおよび未整
  備分をあわせて274点がリスト化されていたが、そのうち2点は紛失をしているとの報告を受けた。その後の
  文書館設立準備室による再整理の過程で1点を発見し、広高11023140(市図書館資料(1099)の図書『歌
  集晴朗』を失うに止まった。
(4)竹内至『若き血は燃える旧制全国高等学校蹴球大会誌』(旧制全国高等学校ア式蹴球大会誌編集委員会、
  1985年)参照。なお、同書は稀覯本であり一般に閲覧は難しい。筆者は富山高校昭和22年卒で東京都サッカ
  ー協会の小野津博好氏にお借りすることができた。ここに記して謝意を表したい。
(5)高橋佐門「旧制高等学校文庫について」『旧制高等学校文庫目録』平成2年6月、2頁所収。


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