文学部ロビー【厳島研究資料ア・ラ・カルト】の展示替えをしました

観光パンフレットから見る宮島航路桟橋の今昔

 2020年2月末、宮島口新旅客ターミナルの利用が始まり、4月には隣接して商業施設「etto(エット)」が開業して、新たな賑わいを見せています。この機会に、宮島口および宮島桟橋付近の変遷がわかる古い観光案内パンフレット類を展示しました。
 宮島側では、ずっと早く昭和48(1973)年に、それまでいくつにも分かれていた桟橋を統合して船と客の流れをスムーズにするために桟橋付近の埋め立て工事を開始し、国鉄・松大汽船が統合した現在の厳島桟橋が昭和51(1976)年に完成しました。
展示資料からは、宮島桟橋や宮島口付近の今昔を窺い知ることができます。

「宮島廣島名所図絵」広島瓦斯電軌 昭和3(1928)年〈個人蔵〉

 発行先の広島瓦斯電軌は、現在の広島電鉄の前身の会社です。大正15(1926)年に宮島線西広島~新宮島(現在の阿品)間を開通、昭和6(1931)年2月に宮島口まで延長することで、現在の広島電鉄宮島線が全通しました。展示資料には現在の宮島口までの路線が書かれていますが、昭和3年当時の路線は新宮島(現阿品)までで、実際には宮島口まではまだ延伸されていなかったものと思われます。

「宮島遊覧」大阪商船 昭和8(1933)年〈個人蔵〉

   発行元の大阪商船は、明治26(1893)年宮島に定期寄港を始めた最初の会社です。当時の宮島桟橋は複数に分かれており、地図には現在の桟橋とほぼ同位置に「鉄道桟橋」、その西側に大阪商船が寄港する桟橋が書かれています。この桟橋は現在の宮島桟橋の南西へ約300メートルのところ(現在の広島経済大学セミナーハウスの位置)にあり、「商船桟橋」と呼ばれていました。「商船桟橋」は、大正2(1913)年9月に海岸を埋め立てて作られた桟橋で、各地の船舶会社や汽船会社が寄港し、宮島のもうひとつの玄関口として売店や切符売り場、待合所が並んでいたと言います 。

「みやじま」国鉄宮島口駅長監修 昭和17(1942)年〈あき書房寄贈〉

  現在のJR「宮島口駅」が「宮島駅」から改称された昭和17年の観光案内パンフレットです。 戦時色が濃く反映された広告が掲載されていて、戦時下の様子が窺えます。

「観光案内 宮島めぐり」 別府龍古堂 昭和25(1950)年頃〈あき書房寄贈〉

  昭和25年には、宮島全島が瀬戸内海国立公園に編入されました。その機会に発行されたと思われる観光案内です。地図中の「鉄道桟橋」には当時の国鉄フェリーが寄港しました。この桟橋は明治36(1903)年3月に山陽鉄道がそれまで運営していた宮島渡航会社(宮島口-厳島航路)を買収し、「厳島桟橋」として営業を始めたことが記録に残っており 、現在運用している桟橋よりもやや西側にありました。

展示ケース全景

展示ケース全景

【お問い合わせ先】

人間社会科学研究科
人文社会科学専攻 人文学プログラム
妹尾研究室

TEL: 082-424-6668
E-mail: yseno@hiroshima-u.ac.jp
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