第46回 妙なるスキル

 昨年4月から、本研究科は新たなカリキュラムを導入し、より堅実な分析能力を修得できるように教育改善を行いました。これは、神戸大学法科大学院との教育連携により、そのハイレベルな教育成果を支える継続的な改革・改善の手法をモデルに実施しました。新たなカリキュラムでは、アウトプット系演習科目を十分に展開し、同時に、弁護士による学修フォローゼミを課外で同時並行させることで、知識を理解する、事案解決に使えるようにすることが目指されていますし、実際、教育効果も上がっています。あと2年はその教育成果の客観的な評価を行い、必要であれば適宜改善措置も講じていくこととなります。

 知識はそれを使って何をどれくらいできるかが重要です。しかもできることの量ではなく、質が問われると思います。情報量であればすでにAIに太刀打ちできないでしょう。これからは情報量(あるいはその収集の速さ)で勝負するのではなく、抱える問題の解決にいかに最適な情報を選択するか、集めた情報から解決策を創造するかで競うのでしょう。

 AIにも(現状では)苦手な領域があるようです。AIは、読解力、特に2つの文章の意味内容が同じか否かの判断に問題を抱えていて、完全なる論理(数式で表せるということ)に確率と統計を加えて問題解決を図っているそうです。交通事故における過失割合についてその算定にAIの利用が始まるとの新聞記事もありました。法曹の仕事も、AIに任せられるところは任せて、最終的に確認することが必要になるのでしょう。

 事案解決の最終確認は事案処理能力の基礎を身につければ(ブラッシュアップは常に必要ではあっても)当然にできるはずのことです。しかし、そこに疑問を抱くことがしばしばあります。アウトプット系科目を強調するなかでその懸念はいっそう強くなっています。アウトプット系科目では、事案解決能力を高めるというよりも、司法試験の過去問やそれに出題されそうな論点の事例に書けばよい情報だけが求められているようです。確かにその気持ちもわからなくもないですが、それによって逆に遠回りを強いられている学生も多々います。正直もったいないなあと思います。試験に受かるのに遠回りをし、試験に受かってからも過去の情報に頼るのであれば、その仕事は統計や確率を使うAIよりも難しくなるのではないかと思います。

 もちろん、遠回りが一概にどうだとは言えませんが、そこに自分自身が気づきを得なければ、その経験を活かすことができないのではないでしょうか。気づきを得るためにはそれに向けた意識付けが必要です。これまで目標達成に向けての効率化と迅速性が問われてきた中で、その意識の作用により、最終目標から当面の目的や課題の解決に目を移してきています。しかし、とりあえずの手段を講じても、それで生き抜いていけるのかを考えて自省することは気づきを得るには必要です。

 法曹になる志をもっているのにその養成プロセスにある関門に応急的な対応で済ませようとしていることに気づかせ、一定の自制を働かせることができるようにはしておきたいところです。対策を立てるには原因の追求が不可欠です。どうも法曹の仕事にどれほどの論理性が必要なのか、まだまだ認識が甘いようです。判決文を書くのに何がどれだけ考慮され精緻に考え抜かれているのかを、一つの裁判例をテーマに、条文を見、言葉に留意してその構造を解析すること、疑問を持ちつつ批判的に検証することを繰り返すことも有効であると思います。この教育手法は神戸大学法科大学院の事前授業を参観させていただいて強く感じたところです。実際にこれを入学前の段階から意識付けられていることが成果につながる強味なのだろうと自省させられました。

 判決文をじっくりと何がどのように争われ、裁判所はそれにどのように回答したのかを、事実認定や規範的分析を楽しみつつ、考えることが、実践的な問題発見と法的解決のヒントを感得できるようになる途であると思うのですが、手っ取り早くとの感覚からは、これは苦しいのでしょうね。苦しみで信仰を判断するなと言われますが、学修も勉強も同じなのかもしれません。

 次回は「察する」です。


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