第71回 省察(2)

自分が歩く姿を見ることはありますか? 

街中の電器屋で商品のビデオカメラで撮った店内が大型画面に映し出されていて、そこに映り込んだ自分の姿に驚くことがあります。背が丸まり顎が上がって歩いていました。これはまずいと思い、毎日時間を作って木刀で素振りをしています。

それでも、歩く姿勢が良くならないときがあります。いろいろ厄介に見える問題をいくつも抱えて今一つ先が見えないときなどは、ついつい背中を丸めて伏し目がちに歩くようです。どこかに一抹の不安や心配をかかえてしまうからでしょう。しかし、そんな姿で歩いていては、抱える問題を解決することはできず、うまく解決できる問題さえも難題に変えてしまうかもしれません。陰は陰を呼び、陽は陽を集めるものです。

身体が健康で、自分自身に自信を持ち、大いなる期待を自らに寄せているときには、背筋を伸ばし、胸を張って、顎を引き、しっかりと前を見て歩いています。気持ちが姿勢を決めるといってもよいかと思います。立ち姿や歩く姿勢からその人の精神状態を読み取ることもあるくらいです。

姿勢を正すにも、何事かに挑戦しそれを成し遂げるにも、自分に自信を持つことが重要です。司法試験でも受験者が試験会場で問題を見たときに自信が揺らいで取りこぼしてしまう修了生が時々います。揺るがぬ自信を持てるまで努力しろで済ませてしまうかもしれませんが、自分の何に自信を持てばよいのかを考えることも有益です。

努力できることも1つの才能です。日々の勉学で優秀な成績を得ることも1つの能力です。しかし、それらの能力に自信を持っても、自らの才能や能力をはるかに超える方々がいらっしゃるので、そういう方々に会えば簡単に自信を喪失してしまうかもしれません。

ただ世の中不思議なことに、才気にあふれて賢い人でも成功しているわけではありません。時の巡りや地の利を得なければ、才能だけでは花は咲きません。一言でいえば、運のよさです。それゆえ、自分は運がよいと信じて努力することが重要だと思います。
何かの報告に来た修了生がこんなことを言いました。

「先生は、僕が司法試験に合格するかどうかと尋ねた時に、『コイン・トスと同じ』と言われたのを覚えています。『何言ってんだ。実力で合格できるだろ』と正直思ったのですが、修習とか外に出るとすごい奴はたくさんいると実感し、自分はまだまだと思い、時にこれでいいのかと落ち込むことが多々ありました。それでも、先生が言っていたことを思い出して、『自分は運がよい』と信じて、努力すれば必ず実ると頑張りました。司法試験の時よりも死に物狂いで5年、やっとそれなりのことができるようなりました。これを支えてくれた周囲にも感謝しています。」

実力ゆえと思えば傲慢になるだけですが、運がよくてと思えば感謝の気持ちが湧いてきますし、運をよくするために自分の行動を律するようにもなります。

自分の運を信じるといってもなんの裏付けもなければすぐに瓦解してしまいます。運のよさに対する自信が確固たる信念となるには日々の行動と意思が肝要です。

運をよくするには、明確な目的・目標を設定すること、それを達成するプロセスを具体的にイメージし言葉で表すこと、いつも笑顔で明るく元気であること、他人に優しい言葉をかけ親切な行動をとること、どんなにつらいとき厳しいときでも自分は運がよいと信じることを実践することと言われています。

次回は「アプローチ」です。

 


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