グローバル・インターナショナル・ローカル【横山雄大】

 物心ついた後、私がはじめて接した歴史に関するものは、日本通史を取り上げた学習漫画であったように思います。ただ、私はほかの子どもたちとは異なり、戦国時代や幕末維新期の巻にはほとんど目を向けず、最後の戦後史の巻ばかり読んでいました。そうした意味で、現在専門として取り組んでいる冷戦史に対しては、そのころからすでに関心を抱いていたのだと思います。
 その後、とりあえず食いはぐれることはないだろうと法学部へと進学しましたが、授業で取り上げられる法律学にはほとんど関心を持つことができませんでした。そのため、もっぱら図書館の視聴覚室にて、現代史に関するドキュメンタリーばかり見ていたように思います。そうした中で、三回生以降、日本政治外交史のゼミに入ったことが大きな転機となりました。関連する文献講読を進める中で、これであれば自分でもやってみたいと思えたのです。
 また、冷戦史の中でもとくに東アジア、中国・台湾を主たる地域としていますが、その選択もまた、強い問題意識・関心にもともと由来するというわけでは必ずしもありませんでした。中国語の学習を始めたのは大学入学後ですし、法学部にもかかわらず中国語を選択した理由も、もっとも単位の取得が簡単な第二外国語だとの噂を耳にしていたからという程度のものでした。
 ただ、たとえ冷戦史を研究するにしても、英語を含めた欧文の史資料をふんだんに使いながら、その本場である欧米の冷戦史の研究者と張り合うというのは、このように怠惰な私にとっては現実には難しいことであったように思います。そのため今から振り返ってみると、日本語話者である私が中国語も併せて学習したことは、自身に比較優位のある東アジア、とりわけ中国・台湾の冷戦史に取り組む土壌を育むことにつながり、結果として良い選択だったように思います。

台湾・台中での出張講義の合間に撮影(2025年12月)

台湾・台中での出張講義の合間に撮影(2025年12月)

 このような背景のために、中国・台湾とその歴史がどのように展開してきたかという点に加えて、翻って、中国・台湾での様々な出来事がよりグローバルな流れの中にどのように位置づけられるかという点にも関心を持っています。一例として、戦後日中・日台間の漁業問題に関してこれまで研究を行ってきました。
 戦後1960年代まで、日本の漁船は世界中の様々な海域へと出漁し、そこで漁撈を行っていました。国連海洋法条約が採択されたのは1982年のことであり、それまでは領海や漁業水域・排他的経済水域について、十分に明確で統一されたルールは依然として形成されていませんでした。そのため日本漁船は、現在よりもかなり広い公海へ出漁することができたのです。
 翻って沿岸国の目には、こうした日本漁船の積極的な活動は自国近海の水産資源の横取りのように映りました。だからこそ中国・台湾も含めた多くの国が、日本漁船の活動を制限するために様々な手段を講じました。その際には、外交交渉によって日本漁船の出漁を押しとどめようとすることもあれば、より強硬に漁船の拿捕といった実力行使に出ることもありました。そうした意味において、日中・日台間の漁業問題は、戦後日本漁業をめぐる国際関係の一部に位置づけることもできるのです。
 他方で、日中・日台間の漁業問題においては、その地域固有の文脈も当然ながら重要です。とりわけ中国の場合、対日漁業政策は東西冷戦下における対日工作のためのツールでもありました。またよく知られている通り、日中・日台間の領土紛争として尖閣諸島の問題がありますが、この問題と個別の漁業紛争が結びつくことも珍しくありません。さらにはこうした国家レベルの問題とは別に、漁業者・漁船・漁港といった現場における利害関係もあり、両者の間には一筋縄ではいかない連関が存在しています。

戦後東アジアにおける漁業問題について、史料調査を実施した函館(2026年5月)

戦後東アジアにおける漁業問題について、史料調査を実施した函館(2026年5月)

 博士論文では以上のような戦後日中・日台間の漁業問題に取り組み、また現在、単著の形での公刊に向けて準備を進めています。これからの教育・研究においても、こうしたグローバル、インターナショナル、ローカルの三つの視点を適宜行き来しながら、様々な問題を検討していければと考えています。「東洋史」という言葉には、ひょっとすると少し伝統的な響きがあるかもしれません。しかし、「東洋史」という枠組みには同時に、広い意味での東洋の歴史にかかわることであれば何でも取り上げることができる、伸縮自在で懐の広いところがあるのではとも思います。みなさんも東洋史の領域で、多様な角度から自身の関心について探求してみませんか。


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