本研究成果のポイント
- 物質内を伝導する電子・スピンを精密に観察できる走査型顕微鏡を開発
- 約10万分の1メートルまで微小な領域のスピン流を可視化することに成功
- 超省電力スピントロニクスデバイスの精密な評価手法として期待
概要
広島大学大学院先進理工系科学研究科博士課程前期2年の岩田拓万と黒田健太准教授を中心とする研究チームは、広島大学放射光科学研究センター(HiSOR)の奥田太一教授と宮本幸治准教授、量子科学技術研究開発機構の岩澤英明上席研究員らと共同で、数マイクロメートル(10万分の1メートル)まで微小な空間を分解しながら電子とスピン(*1)の運動を超精密に観察できる空間・スピン・角度分解光電子分光 (顕微SARPES) (*2) の開発に世界で初めて成功しました。
IoT化に向け情報端末の超低消費電力化・高性能化を実現する「スピントロニクス」が期待され、その中でもトポロジカル絶縁体(*3)におけるスピン流 (スピンの流れ) が注目されています。しかし、物質内の電子が持つスピンの運動を微視的に観察することが困難であるため、集積化に向けマイクロメートルまで微小化された場合にスピン流がどのように振る舞うかまで明らかにできる実験技術は存在していませんでした。本研究で開発した顕微SARPES によって、これまで困難であった「スピン検出」の技術と微小な空間まで分解する「顕微鏡」の技術を融合させることで、微小領域のスピン流を超高精密に観察することが可能になりました(図1)。この新たな実験技術は、スピントロニクスデバイスの評価や動作原理の開発などに適用できる実験手法であるため、物質・材料科学や応用科学の分野に渡って大きく貢献することが期待されます。
本成果は英国Nature誌が発行するScientific Reportsに2024年1月4日に掲載されました。
論文情報
- 〈雑誌〉Scientific Reports
- 〈題名〉Laser-based angle-resolved photoemission spectroscopy with micrometer spatial resolution and detection of three-dimensional spin vector
- 〈著者〉Takuma Iwata, T. Kousa, Y. Nishioka, K. Ohwada, K. Sumida,
E. Annese, M. Kakoki, Kenta Kuroda* (*責任著者), H. Iwasawa,
M. Arita, S. Kumar, A. Kimura, K. Miyamoto, T. Okuda
- 〈DOI〉https://doi.org/10.1038/s41598-023-47719-z
背景
IoT化に向けてスマートフォンを代表とするエレクトロニクスに対する需要が益々高まる中、これらのデバイスを動作させるためには多くの電力が消費されるため、電力不足といったエネルギー問題が深刻な課題となってきています。この問題を解決するために、エレクトロニクスの基本となる電子の電荷自由度に加えて、電子のスピン自由度まで利用する技術であるスピントロニクスが注目されています。その中でもトポロジカル絶縁体を代表とするトポロジカル物質では、散逸しないスピン流 (スピンの流れ) が報告されており、エネルギーロスゼロを実現するスピントロニクス材料として世界中で競って研究が行われています。特に、スピン・角度分解光電子分光 (SARPES) は、スピン流を直接的に観察できる強力な実験技術として知られていましたが、情報集積化に向けて微小化されたスピン流の性質を調べることが急務となっていました。しかし、「スピン検出」すること自体が非常に困難な実験技術を要するため、微小な空間を分解できる「顕微鏡」技術の両立は達成していませんでした。
研究成果の内容
本研究チームは、広島大学放射光科学研究センターにおいて「スピン検出」と「顕微鏡」を融合して両立させた顕微 SARPES の開発に世界で初めて成功しました。開発された顕微 SARPESは、低速電子線回折型のスピン検出器と深紫外レーザー(*4)を組み合わせることで「スピン検出」の実験効率を大幅に向上させ、さらに深紫外レーザーを数マイクロメートルまで集光することで走査型の「顕微鏡」としての機能も組み込んだ新たな実験技術です。従来の実験技術ではトポロジカル絶縁体の代表例であるビスマステルライド(Bi2Te3)のスピン流の観察には数時間の測定を必要としていましたが、研究チームはその観察が「スピン検出」の高効率化された顕微 SARPESを用いることで数十分程度に短縮して行えることを示しました。さらに、顕微 SARPES の「顕微鏡」と「スピン検出」をうまく利用することで、多元素を含む特殊なトポロジカル絶縁体PbBi4Te4S3の微小表面に異なるスピン流が発生している様子を明らかにしました(図2)。
今後の展開
本研究チームが開発した顕微 SARPES は、物質内で伝導する電子・スピンの運動を可視化する基礎物質科学の測定ツールとしてだけでなく、微小なスピントロニクスデバイスや更にはデバイス動作下でのスピン流の可視化など幅広く活用できます。そのため、本研究成果は超省電力・情報集積化を実現するスピントロニクス技術の発展に貢献し、世界中で問題とされているエネルギー問題を解決する糸口となることが期待されます。
参考資料
図1:本研究チームが広島大学放射光科学研究センター(HiSOR)で開発した顕微SARPES装置の概略図。
図2:本研究チームが観測することに成功した、トポロジカル絶縁体の微小な表面で異なるスピン流が発生している様子。
用語説明
(*1) スピン:電子が持つ自転のような性質で、電子スピンは磁気(微小な磁石)を帯びています。電子スピンは物質の磁性の源です。
(*2) スピン・角度分解光電子分光 (Spin- and Angle-Resolved Photoemission Spectroscopy, SARPES): 角度分解光電子分光は結晶中を伝導する電子の運動を直接的に観察できる実験手法です。この手法は、結晶に光を照射することで電子が結晶表面から放出される光電効果を測定原理としています。この手法によって、電子のバンド構造(エネルギーと運動量の関係)を調べることで、電子の運動を明らかにできます。SARPES は、この電子バンド構造のスピンの情報まで決定することで、伝導電子の運動を完全に決定することができます。
(*3) トポロジカル絶縁体:結晶内部が絶縁体である一方で、表面(エッジ)では電気導体となる新種の物質です。この性質は数学のトポロジーと量子力学から導かれる「バルク-エッジ対応」として知られています。表面で伝導する電子はスピン偏極しており、散乱の無いスピン流を示すため、スピントロニクスなどへの応用が期待されます。
(*4) 深紫外レーザー:深紫外領域(波長280 nm より短い)に波長帯を持つレーザー。特に、高強度で単色性の高い深紫外レーザーは光電子分光の励起光源としても利用されており、トポロジカル絶縁体や高温超伝導体など様々な物質を超高精密に調べるのに活躍しています。
【お問い合わせ先】
<研究に関すること>
広島大学大学院先進理工系科学研究科物理学プログラム
准教授 黒田 健太
Tel:082-424-7396
E-mail:kuroken224*hiroshima-u.ac.jp
量子科学技術研究開発機構 関西光量子科学研究所
放射光科学研究センター 先進分光研究グループ
上席研究員 岩澤 英明
Tel:022-785-9444
E-mail:iwasawa.hideaki*qst.go.jp
<報道に関すること>
広島大学 広報室
E-mail:koho*office.hiroshima-u.ac.jp
量子科学技術研究開発機構 経営企画部 広報課
E-mail:info*qst.go.jp
(注: *は半角@に置き換えてください)