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【研究成果】新たな数理モデルが解き明かす 柔らかな細胞たちの混雑と流動化

本研究成果のポイント

  • 変形する細胞の集団を高速でシミュレーションする新手法を開発
     
  • がん転移の仕組みの解明などへの貢献が期待される
     
  • 高密度の細胞集団は質的に異なる二つの流動化状態を取りうることを予言
     
  • トポロジカル欠陥パーコレーション”という概念から二つの流動化状態の遷移を引き起こす理論を提案

 

図:(A)細胞輪郭のフーリエ基底による表現。(B)相互作用計算を高速化する、細胞の粒子場表現。(C)1万細胞シミュレーション。(D)発見された流体-流体相転移。

 

概要

 細胞の変形能力は、生体組織の柔らかさ・硬さ・流動性を決定する重要な要素であり、組織の恒常性や安定した発生過程に不可欠です。また癌浸潤や創傷治癒などに見られる細胞移動にも重要な役割を果たします。しかし、変形する細胞の大規模シミュレーションは、これまで細胞同士が隙間なく接着している上皮細胞の数理モデルに限られており、それ以外の細胞集団ではどのような現象が生じうるかの理解は不十分でした。
 広島大学、自然科学研究機構 生命創成探究センター、東京大学の共同研究チームは、細胞変形を高速度で記述する数理モデル・数値計算手法を開発し、多様に変形する細胞集団の大規模シミュレーションを可能としました。この手法を用い、密集した細胞集団の解析を行ったところ、ゆるく結合した上皮や間葉系様の形状を持つ細胞の集団では、強く密着した上皮細胞集団とは質的に異なる流動状態が出現しうることを明らかにしました。
 さらに、提案手法は、組織規模の細胞集団に対する柔軟なアプローチを提供し、様々な研究へと発展・波及することが期待されます。

 本研究成果は、「Science Advances」(オンライン版)に令和6年5月8日付で掲載されました。
 

論文情報

  • 論文タイトル:Cell Deformability Drives Fluid-to-Fluid Phase Transition in Active Cell Monolayers
  • 著者名:Nen Saito, Shuji Ishihara
         ※筆頭著者
  • 掲載誌:Science Advances
  • DOI番号:10.1126/sciadv.adi8433
     

背景

 組織中の細胞は、力学的相互作用を通じて周りの細胞と押し合いへし合いしています。このような混雑環境であっても、個々の細胞の変形の度合いによって細胞同士の配置換えが起こり、細胞の流れが生じることがあります。このようなプロセスは胚形成や癌浸潤などの重要な生物学的イベントと密接に関わっています。特に近年、生物物理学や発生生物学の分野で、そういった細胞の流れを物質科学の言葉で捉えなおすという試みが注目されています。細胞の移動や配置換えが可能な組織の状態を“流体”状態、どちらもできない状態を“固体”状態として捉え、組織が “固体”から“流体”へと変わる条件や生物学的意義について大きな議論と関心を呼んでいます。

 これまでシミュレーションに基づく理論研究が、組織の固体化/流動化現象の研究を先導してきました。しかし変形細胞の数が多くなると数値計算が困難になるという問題点があり、計算が容易である4〜8角形程度の多角形形状を持つ細胞の研究が主でした。これらの多角形形状は隙間なく接着している上皮細胞の表現としては適していますが、他の条件の細胞には適用できません。しかし多角形から逸脱した形状を持つ細胞は、発生、再生、病態を含む様々な生物学的プロセスにおいて遍在しており、組織の硬さ・柔らかさなどの物性的な性質に寄与すると考えられています。そのため、任意の変形を示す細胞の大規模シミュレーションを容易に行える理論的・計算的枠組みが求められていました。

 

研究成果の内容

 広島大学大学院統合生命科学研究科の斉藤稔准教授(兼任:生命創成探究センター)と東京大学総合文化研究科の石原秀至准教授の共同研究チームは、二次元的な細胞形状をフーリエ基底で表現することで、多数の変形細胞の力学的相互作用を高速で計算できる枠組みを開発しました。この手法を用いると、1万個程度の自由変形可能な細胞を数値計算することが可能となります。提案手法を用いて、高密度細胞集団のシミュレーションを行った結果、高密度の細胞集団は質的に異なる二つの流動化状態を取りうることが理論的に予測されました。
 1つ目の流動化状態(「流体相」)では、個々の細胞は円形を保ちつつ細胞の遊走性に駆動されて組織全体が流動化します。もう一つの流動化状態(「ソフト流体相」)では、個々の細胞は大きく変形し、変形と遊走性により組織が流動化を起こします。またこの二つの流動化状態間の遷移は、トポロジカル欠陥と呼ばれる細胞配置上の特異点のパーコレーション転移として理解できることが理論的に示されました。さらに物質科学で知られる「ヘキサティック相」という流動化状態の存在も示唆されました。この研究から、細胞集団は従来考えられていたより多様で複雑な流動化状態を生じうることが明らかとなりました。
 

今後の展開

 本研究は、発生、再生、病態形成を含むさまざまな生物学的プロセスで広く観察される非多角形形状を持つ細胞に光を当て、これらの細胞がどのようにして流動性や移動性を獲得するのか、そしてそれがどのようにして生物学的な相転移に寄与するのかを理解する新たな視点を提供しました。この視点から発生や創傷治癒の数理的な理解につながる可能性があります。またこの新たな計算手法をGPU計算・並列計算へと拡張し、さらに発展させることで、がん転移の機序の解明等へ貢献することが期待できます。

 

用語解説

※トポロジカル欠陥…局所的に組織の向きを定義できないような空間上の特異点
※パーコレーション…空間中に点在する領域が連結して巨大な繋がりになる現象。例えば多孔質材料において、穴の数・大きさが一定のレベルに達すると、穴の領域が全体を貫通して液体や気体を通すことができるようになる現象。
※恒常性…生体の内部や外部環境の変化に関わらず、体内の状態を一定に保つこと
※発生…受精卵から成体に至るまで、多様な組織や器官をもつ体を作る過程のこと
※上皮細胞…皮膚、内臓や血管などの表面を覆っている細胞
※間葉系様細胞…上皮細胞と比べ接着性が弱く、遊走性を持つ細胞で、間葉系細胞(非上皮系の間葉を構成する細胞)に似た形状・振る舞いを持つ細胞
※力学的相互作用…押したり、引いたり、といった力を介した相互作用
※ヘキサティック相…結晶の性質を保持した液体状態。二次元結晶が融解する際に現れる。

 

【お問い合わせ先】

 広島大学大学院統合生命科学研究科 数理生命科学プログラム
 准教授 斉藤 稔 
 Tel:082-424-7335 
 E-mail:nensaito*hiroshima-u.ac.jp

 (注: *は半角@に置き換えてください)


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