「辺境」へのまなざし【足立孝】

 わたしはもともと歴史学、わけても西洋史に関心があり、できることならば研究を生業としたいという淡い希望を胸に抱き大学に入学しましたが、当初から中世ヨーロッパ史を専攻しようという明確な意志があったわけではありません。それがいつの間にやら中世ヨーロッパ史を専攻することとなったのは、むろん恩師の存在と、彼の下で学ぶべく大学を選択したという、高校生にしては見上げた根性を持ち合わせていた同級生の存在が何にもまして大きかったように思います。優れた先生だけでなく、同じ時間的枠組みを専門として互いに競い合う相手がいてくれたおかげで、およそさぼることなく、ときには激しい討論を繰り広げながら日がな勉強に打ち込むことができたのです。ただ、専門的な研究対象として選択した地理的枠組みについては、話は別です。流行りのホラーやファンタジー、みなさんにもっと身近なところでは各種ロールプレイング・ゲームの世界観が中世ヨーロッパなるもののイメージに根ざしていることはよく知られていますが、それは往々にして、野盗や狼が跋扈する見渡すかぎりの鬱蒼とした森、そのなかを甲冑を身にまとい馬を進めると、暗くじめじめした牢獄のような石組みの城が忽然と姿を現す、するとこの世とは異なるものが突如として……といった具合に、いささか陳腐なイメージで彩られているはずです。生来の気質によるのでしょうか、わたしはどうしてもそうしたイメージに中世ヨーロッパ全体が回収されてしまうのは我慢がなりませんでした。いうまでもありません、そうした暗く陰鬱としたイメージは、かつて中世が古代でも近代でもない「暗黒時代」とみなされていたからというだけでなく、少なくともある時点までは森深き北西ヨーロッパこそが中世ヨーロッパの典型とみなされていたからです。陽光を求めて地中海へとヴァカンスに向かう北の民よろしく、あるいは同級生がいち早くフランス北部の都市史に手をつけてある種の対抗意識が頭をもたげてきたからかもしれませんが、かくしてわたしは、南フランスはラングドックと呼ばれる地域を専門的に研究することにしたのです。

ウエスカ司教座聖堂教会文書館

ウエスカ司教座聖堂教会文書館

 ところが、卒業論文を仕上げ、前期博士課程に進学するにあたって、恩師にピレネー山脈を越えるよう進言されました。もちろん当初はおおいに悩みました。史料言語はいずれもラテン語でよいのですが、研究文献を消化するためにはそれまで学んできたフランス語ではなく、スペイン語と、バルセローナを中心に使用されるカタルーニャ語という地方言語の習得が必要となります。それ自体は独学で何とかなるとふんでいましたが、結果としてフランス史からスペイン史に身を転ずることになるのが二の足をふんだ最大の理由です。当時のわたしには中世史のメインストリームからさらに遠ざかるような気がしてならなかったのです。けれども、中世にはフランスやスペインなる国民国家はむろん存在しません。それどころか、スペインはイスラーム諸国家を含む複数の王国が乱立状態にありましたし、逆に南フランス一帯は一三世紀前半までフランス王国の一部ですらなく、むしろバルセローナに事実上の首府をおくアラゴン連合王国の政治的かつ文化的ヘゲモニーの下におかれていました。当初から北に中世ヨーロッパの「中心」をおくことを嫌い、南へと向かった身からすれば、このピレネー山脈越えはじつは必然だったのかもしれません。それ以来、九世紀から一三世紀までを時間的枠組みとし、主にカタルーニャ、アラゴン、ナバーラといったイベリア半島北東部の諸地域を研究の対象とすることとなったわけです。

 これらイスラームと相対した諸地域は、一般に中世ヨーロッパの形成という観点から典型的な「辺境」とみなされ、後進的とはいわないまでもその特殊性ばかりが強調されてきた空間です。けれども、あたりまえのことですが、それらを「辺境」とみなしうるのは何らかの「中心」が措定されてはじめて可能になることですし、何をもって「中心」とみなしうるかがアプリオリに規定されたままの現状では、そうした構図そのものの妥当性を疑ってみる必要があるはずです。だから、「辺境」と称せられてきた空間のモデルを史料にそくして構築し、従来とは逆にそこから地中海、ひいては「中心」とみなされてきた北西ヨーロッパを含むヨーロッパ全体の発展様式をあらためて捉えなおさなくてはならないという問題意識をもってつねに仕事に取り組んできたのです。ただ、何とも偉そうなことをいっていますが、一介の歴史研究者として、その作業の根幹をなすのはつねに史料との対話です。ここ数年来、スペインの人口四万人ほどの小都市に足を運び、司教座聖堂教会に付設された文書館で一二・一三世紀の史料を読んできました。それは制度的には文書館を名乗っていますが正式には公開されておらず、一四世紀に建造された石造の小塔の最上階に設けられた、まさしく牢獄のような文書庫のなかで朝から晩まで一人膨大な羊皮紙の山と向き合う作業を繰り返すのです。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』ではないですが、まさしく自らが往時の写字生になったかのような錯覚に陥る瞬間です。およそ修行と呼ぶにふさわしいそうした作業に至福をみいだせる学生を一人でも多く育てられれば、それに代わる喜びはほかにないでしょう。

テルエル県立歴史文書館

テルエル県立歴史文書館


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