続 らんこんとる・あれこれ【安嶋紀昭】

  恩師故秋山光和博士の「お別れの会」に際して、何かお話をと司会者から急な要請がありました。そこで、頂戴した学恩の数々を縷々述べようと試みたのですが、いざとなると何も頭に浮かびません。思い出すのは、精々がところ猫のトイレの掃除法を実演付きで教えていただいた程度です。パリでの約一年を含めて六年間身近にお仕えし、その後も度重なる調査に随行したのに、情けないことでした。しかし、ふと気が付けば私は今、先生と同じことをしています。先生は私に、いつでも包み隠さず、ご自身の背中を見せて下さっていた訳です。

調査風景

調査風景

 東京国立博物館から広島大学に出向して、ある時、このような学生に出会いました。文学部では、上級生有志が準備に奔走し、毎年四月に新入生歓迎のための一泊合宿をします。その行事の折、整列途中で一人の学生がこちらに駆けて来ました。「先生、私絶対に文化財やりたいんです。どうしたら入れますか」と必死の形相で問われた私は、とっさに「一年生の成績が全部優(当時は優が最高)だったら入れてあげる」と答えました。晴れやかに「頑張ります」と叫び、勢いよくお辞儀をして駆け戻って行った彼女は本当にオール優を取り、雪舟の天橋立図をテーマに画期的な卒論を書き上げました。経済的理由で大学院進学を諦めた時は私の研究室で号泣しましたが、東洋史出身の夫君とともに築いた暖かな家庭には、今でも年に何回か同級生たちが子連れで集まり、賑やかで楽しい一時を過ごすそうです。

 また、このような学生にも出会いました。ゼミナール入試(現在のひかりかがやき入試)では、二次で発表を課していた時期があります。広島県北出身の彼女は、夏休みを利用してわざわざ滋賀県立琵琶湖文化館にまで出掛け、課題作品に関して先行研究では不明な疑問点を学芸員に質し、自分なりに得心した意見を纏め上げてきました。学生のやる気は、教員の栄養剤に他なりません。合格した高三の秋、私は保護者の了解を条件に調査への同行を許しましたが、一緒の調査は市立美術館の学芸員を勤める現在に至るも続いています。国宝・重要文化財を含む日本古画の実査数で、彼女の右に出る学芸員は全国に一人もいません。そういえば彼女は、準備で徹夜に近い状態が続いたらしく、演習発表の途中で失神したことがありました。弛みない日々の努力が、今の彼女をしっかりと支えているのです。
 
 あるいはまた、このような学生にも出会いました。私は皆と作品を前にする時、まず「この作品の本質を端的に表す一点はどこか」、と問うことにしています。「文化財学は作品が基本」などと嘯くのは簡単ですが、先入観に惑わされずに本質を捉え得る学者は意外と少ない。作品をわかったつもりで、実は上っ面しか見ていない訳です。その点、天性の鑑識眼に恵まれた彼女は私の意図を一度も外したことがない代わりに、作文には実に苦労しました。論文指導における彼女の滂沱たる涙と私の血を吐くが如き怒声は、そのまま、かつての私と秋山先生の姿でもありました。今や彼女は、国立大学で自分が怒る側に回っています。

 人とも作品とも、出会いは全て良き縁に因ります。この他、自治体の専門職やら公私美術館の学芸員やら装潢師(国宝等を扱う資格を有する修復技術者)やらと、門下生は皆自分の力で道を切り開きつつ歩んでいます。しかし、卒業後に会うと、皆口を揃えて言うのです。「社会って想像していたより遙かに気楽で、拍子抜けしちゃいました。学生の時の方が、よっぽど大変だった」と。それが誰のせいか、私の目の黒いうちは決して言わせません。

 

実習の様子


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