いつもポケットに文学を【有元伸子】

  学部二年次の近代文学史の初回の授業で、「一日一冊、文学全集を読め、そうすれば百巻の全集も三カ月で読破できる。多読は比較と評価の目を養う何よりの力となる」と聞かされました。毎日一冊は無理にせよ、代表的な作品ぐらいは読んでやろうじゃないの、と明治の啓蒙期から始まる講談社版の日本現代文学全集や現代作家の文庫本を読み始めました。

  たまたま手にとった『金閣寺』の完成度の高さに驚き、三島由紀夫を集中して読み始めました。こうして書名と作者名だけが記されたシンプルな表紙の新潮文庫の三島由紀夫作品が本棚に一冊ずつ増えていき、三島の遺作となった『豊饒の海』全四巻に出会いました。

  『豊饒の海』は古典作品の『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語です。それぞれ色合いの違う「春の雪」「奔馬」「暁の寺」の三巻を経て、最終巻「天人五衰」の結末部を読み終え、誇張ではなく呆然としました。──こんな小説読んだことがない。今まで私が営々と読み続けてきた四巻にもわたる物語は何だったのだろうか?  それまでの読書体験を無化させてしまうような強烈な印象。それでいてあざとくはなく、むしろ静謐に満ちている。いったいこれはどういうことなのか?──

  このときの『豊饒の海』を何とか読み解きたい、自分の言葉で説明したい、という願望が、私の研究の原点なのでしょう。その後、『豊饒の海』について卒業論文・修士論文でも扱い、現在までに八本の論文も発表しましたが、いまだにもうお終い、すべてわかった、という気にはなりません。おそらく『豊饒の海』を完全に読み解けたと思えたら、私は三島研究からすっぱり足を洗うでしょう。近代小説の何らかの鍵を握る作品だと思っています。

『三島由紀夫 物語る力とジェンダー─『豊饒の海』の世界』

『三島由紀夫 物語る力とジェンダー─『豊饒の海』の世界』

  四年次に入り、卒業論文作成のため三島全集を図書館から借り続けているうちに、どうしても自分の手元に持っておきたくなりました。全三六巻を古本屋で見つけたものの、貧乏学生の生活費二カ月分の金額。親に出世払いの約束で送金してもらい購入しましたが、届いたときには責任感のような重さを感じました。

 まさか購入した三島全集のモトをとろうとしたわけではないのですが、懸命に取り組んだ卒業論文も、書き終えてみるとまだまだやり残したことが多く思えてきました。とくに大作『豊饒の海』が解ききれなかった悔いが強く、すでに教員採用試験に通っていたので迷いはありましたものの大学院を受験し、幸いにも合格をいただいて進学しました。

 大学院で教えを受けた磯貝英夫先生は、かなり自由に研究をさせてくださいました。碩学のもとで大きな視野で文学をとらえる体験をする一方、研究会の先輩たちの文学議論(ほとんど知的格闘技!)にも大いに刺激を受けました。自分が三島研究で検討していきたいテーマは性と語りをめぐる問題ではないか、とおぼろげながら方向性が見えてきたのは、師と仲間に恵まれ、おおらかで刺激に満ちていた、この大学院時代があってこそです。

 ところで、私も文学作品ばかり読んでいたわけではありません。近代文学研究は雑学研究だ、などとも言われますが、心理学や社会学系の本や古典文学など、何気なく読んできたものが、思いがけずひょっこりと研究の中に浮上してくることが何度もありました。あるいは、音楽や落語を聴き、演劇や映画を見ること。学生時代、野田秀樹や如月小春の芝居に通いつめた体験は血肉と化していて、今、三島戯曲を読み解くときにも理屈ではなく感覚面で影響しているはずです。また、街を歩くこと、野山に行くこと。そして何よりも人との出あい。学生時代の交際の密度の濃さと貴重さを、歳を経てしみじみと実感しています。

 現在の私は、卒業論文を書いていた頃よりも、知識や分析技術などは格段に上でしょう。しかし、一冊の本や一言の会話で打ち震えることのできる感受性は、残念ながら若いときには及びません。ぜひ、学生時代に多くの体験を。そして、いつもポケットに文学を!

 

『豊饒の海』月修寺のモデル円照寺にて

『豊饒の海』月修寺のモデル円照寺にて


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