文学を通して世界へ―日本文学研究の楽しさ【ダルミ カタリン】

 「弁護士になって、困った人々を助けたい!」というのは、10代の私の夢でした。そのため、高校では法学部への進学を目指し、特別試験科目であった文学・語学、歴史、そしてラテン語の勉強に没頭していました。週6時間以上もあった文学・語学の授業ではハンガリーの文学はもちろん、シェイクスピア、ゲーテやドストエフスキーなど、ヨーロッパの多くの作家について学びました。ラテン語の授業ではまた、文法を覚えるためにキケロの散文やホラチウスの詩などを一生懸命に読み解いていき、古典文学の美しさを味わうことができました。夏休みになると、父が愛読して集めていたアメリカのサイエンス・フィクションやイギリスの歴史小説、あるいは母の世界文学集など、家にある本を手あたり次第に読み、本の世界に没頭していました。
 このように本に囲まれて過ごしてきた高校生時代の終わりごろには、やはり世界を自分の目で見てみたいという気持ちが強くなり、法学部に進学したい希望が薄れてしまいました。それで珍しい言語を学んで、国際的な仕事をしてみたいという新しい目標を立て、法学部よりも競争が厳しかった人文学部の東洋言語・文化系学科への進学を決意しました。幸い試験に合格し、大学では日本語と日本文化(いわゆる「日本学」)を専攻しながら、副専攻としてロシア語とロシア文学を学ぶことができました。

Dalmi Katalin, Paczolay Gyula: Japán közmondások

(日本のことわざ集のハンガリー語訳)

  日本文学と初めて出会ったのは、大学に進学してから数か月後でした。日本を舞台にした小説を以前も読んだことはありましたが、私が生まれ育った田舎の街では、日本の小説を手に入れることはやや困難でした。しかし、大学の授業でブダペストには国際交流基金の図書館があることを知り、友達と一緒に通うようになりました。
  当時、村上春樹の小説『羊をめぐる冒険』のハンガリー語訳が出版されたばかりで、国際交流基金の図書館では、村上春樹の特別コーナーが設けられていました。その珍しいタイトルと表紙に惹かれ、すぐにその一冊を借りることにしました。そして、本を実際に読んでみると、そこにはそれまでには出会ったことのない不思議で魅力的な物語世界が広がっており、その世界観に魅了されました。本を読み終えても謎が多く残り、この本を一体どのように解釈すればいいのか、考えても納得のいく説明をなかなか見つかることができませんでした。
  学生時代には、その数は決して多くありませんでしたが、国際交流基金の図書館に置かれている日本の小説のほとんどを読破しました。しかし、色んな作品を読んでも、私はやはり、ハンガリーではまだよく知られていない村上春樹について調べ、ハンガリー人読者に紹介したい、という気持ちが固まりました。そこで、学部3年生の時に日本に短期留学をした際に、村上春樹文学に関する研究本を何冊か買って帰り、卒業論文を書き上げました。

CREA〈するめ基金〉熊本のスペシャルトークイベントで手に入れた村上春樹のサイン

  遠い国である日本に対して興味を持っているハンガリー人は多くいるにもかかわらず、ハンガリー語に翻訳されている日本の小説の数はそんなに多くありません。そのため、日本文学についてもっと研究してハンガリー人読者や日本学を勉強している学生に紹介したいと思い、学部卒業後に就職をせず、大学院に進学しました。大学院では、翻訳に挑戦しながら、村上春樹を中心に、日本文学の研究を続けていきました。しかし、修士論文、それから日本で博士論文を書き上げた今でも、村上春樹の小説や日本文学をよく分かったと思っていません。村上春樹の小説、そして日本文学の知られていない魅力は、まだまだたくさん残っています。
  当然ながら、進学する直前に安定したキャリアが保証されている弁護士ではなく、人文学研究の道を選択するのにはある程度の勇気が必要でした。しかし、一回限りの人生では、失敗してもいいから、やってみたいことに挑戦してみるべきだと私は信じています。弁護士になって困った人を助けることは恐らく、私にとってはもう一生できないことでしょう。けれども、後悔はしていません。日本文学を研究し、その魅力を多くの人に伝えることができたら、それはそれでとても有意義なことだと思いますし、何よりも楽しいことなのです。


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