文学研究と国際的学問のすすめ【ヴァリンズ、デイヴィッド】

 私は、イギリスのケンブリッジ大学を卒業した後、ポスト構造主義という現代批評理論、特に脱構築理論に興味を持っていたので、この学問領域の研究教育で有名なサセックス大学で、批評理論を専攻して修士号を取得しました。ジェフリー・ベニントンやホーミー・バーバーのような、世に知られたたくさんの批評家や理論学者の指導を受けました。私の修士論文は、ロマン派の詩人コウルリッジの作品を脱構築理論の視点から研究したものでした。指導してくれたのは、のちに香港大学、マンチェスター大学の教授となったジェレミー・タンブリング先生でした。特に私の興味を引いたのは、コウルリッジやその他のロマン派の哲学者たちが、知の起源、つまり「知る」ということは何処から生じるのか、という問題に関して殆ど無限とも言えるほど、繰り返し、繰り返し、問い続けているということ、そして、彼らは、かりにも何らかの知を得るには、その一連の問いを恣意的に中断しなければならない、ということを強調しているということでした。この考え方は、現代の脱構築理論の提唱者ジャック・デリダの考え方と非常によく似ている、と私は思い付いたのです。デリダは、既存の結論を無限に「置換」すること、逆説的ですが、この「置換」に関するさらなる問いに関しても延期し、先送りにする必要があることを説きました。 脱構築理論は、しばしばロマン主義とは相反するものだと見なされていましたが、批評家の中には、少数ですが、私の主張する、いわば「脱構築的な崇高」、換言すれば、脱構築理論とロマン主義の接点について論じた人たちもいたのです。タンブリング先生は、このテーマについてもっと研究してみるように、と私に提案してくれました。

 サセックス大学を出た後、私は、オックスフォード大学で博士号を取るために進学しました。依然として、コウルリッジに焦点を絞りながら、今度は、感情もしくは情緒と知的探求とがどのような関係を持っているのかという観点から、彼の作品を研究しました。哲学的な理解というものは、主観的な情緒に由来し、また、哲学的理解自体が主観的情緒を生み出す、という彼の理論に光を当てました。私の論文指導をしてくれたのは、ロイ・パーク博士で、最終試験は、外部審査員としてケンブリッジ大学のジョン・ビアー教授が加わってくれました。ビアー教授とのつながりは、これ以降も私の人生に大きな影響を与えていて、現在、私が広島大学に勤めているのも、私自身の研究業績のみならず、彼の推薦状が、文学研究科のイギリス分野の専門家に大きな説得力を持ったからでした。

 その後、イギリス西部に位置する、ブリストルにあるウエスト・オブ・イングランド大学で教鞭をとっていた年の夏、私は、一週間のコウルリッジ研究会に参加しました。そこで、私は、ジョン・ビアー教授のみならずジェームズ・エンゲル、トマス・マックファーランド、モートン・パーレー、ニコラス・ロウのような、たくさんの著名なロマン主義の学者に会いました。このような研究者たちの数人、特にニコラス・ロウが私の最初の著書である『コウルリッジとロマン主義の心理学』が出版されるに先だってその原稿にコメントを加えてくれました。偶然にも、のちになってジェレミー・タンブリング先生とジョン・ビアー教授とは、私が香港大学の英文学研究員として勤めているときにそこで会うことになりました。ビアー教授は、私が2003年にパルグレーヴ・マクミラン社から出版することになった『コウルリッジ作品選集―崇高について』を編集するように、と提案をしてくれたのでした。2000年の10月に広島大学に移ってからも、私は、様々なテーマで論文を書き、日本国内やその他の場所で発表してきました。最近では、『オックスフォード版サミュエル・テイラー・コウルリッジ便覧』所収の論文を執筆依頼され、コウルリッジの「テーブル・トーク」について書きました。また、物語における表現と意識に関する、まもなく出版される本のために「情緒的空間とロマン派の意識」と題した論文を書きました。ロマン主義の研究に加えて、一八世紀の英詩、一九世紀のアメリカの詩と小説(それからそれに関わる哲学的思想)、イギリスのヴィクトリア朝の詩作品、それからモダニストの詩や小説についても研究成果を発表したり、大学で教えたりしています。

 文学のすばらしいところは、他の分野、歴史であれ、言語学であれ、文化研究、哲学、道徳、政治学、心理学であれ、そういった全ての学問が重なる部分で、そういった学問を統合する、より広い視点で、より深くより広い範囲のテーマを扱うことができることだと思います。文学は、言葉による主体性の表現であるだけではなく、思想に関する、思想の表現でもあるからです。形而上学、倫理学、経済史、社会史についてでもある。加えて、文学と文学批評は、主観と客観的事実・状況との関係に焦点が絞られており、主観的直感に客観的表現を与えようとするもの、私たちの経験のこの二つの面を統合し、融和させようとするものでもあります。そして、文学研究は、個々人の考え方や問いを大切にし、文学的、批評的、理論的文章に反応する、自分自身の理論や議論を発展させることに重きを置く。だからこそ、文学研究は、個々の視点に基づいた議論や表現の機会を多く与え、様々なテーマに関しての自分の考えを発表し、自己表現能力を鍛えることに役立つのです。


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