回り道も一つのショートカット【舩田善之】

 1994年4月、経済学部を卒業した私は、文学部に編入しました。就職活動をしながら、進路や将来についてこのままでいいのかどうか悩んだあげく、モンゴル帝国の歴史を学びたいと思い直し、内定を辞退した上での大決断でした。結果として、学部にかけた時間は6年間、その後の「長い」大学院での期間を加えて、合計13年間もの長い学生生活を送ることになろうとは、そして、文学部の教員として大学で働くことになるとは、高校生の時には想像すらしていませんでした。「勉強好きなんだね」と羨みとも憐れみともつかない言葉をかけられることもありましたが、正直に言うと勉強は好きではありません。歴史研究には語学能力が要求されますが、地道な語学学習は苦手です。また、研究者の重要な仕事の一つは論文執筆ですが、文章を書くのも得意な方ではありません。この短文も苦労しながら書いています。

 とは言え、職業としての歴史研究を十分に楽しんでいます。歴史文献を読むことは、すなわち様々な人びとの経験(実体験だったり再解釈された体験だったりしますが)の追体験です。そこからは膨大な人類の叡智と愚かさを知ることができ、感嘆と発見の連続です。また、フィールドワークに出かけて現地を歩くことも、その追体験をより具体化するのに有益で、感動と知的興奮を引き起こしてくれます。

草原で馬を放牧する遊牧民

草原で馬を放牧する遊牧民(モンゴル国ウブルハンガイ県):舩田善之撮影

 私の経歴は、学部の変更に始まり回り道の連続でした。学部に2年間長く在籍した期間でもっと色々なことができたはずなのに、とか、ストレートで来ていれば、今の成果やポジションに到達するのも2年早かったのではないか、と後悔することもしばしばありました。ただし、思い返すと、経済学部で学んだことも歴史研究の糧になり、文学部での卒業論文は、一度目の執筆経験もあってそれなりにまとめることができ、その後の研究の出発点となりました。また、大学院生時代に新史料が発見されて論文のテーマにすることができたり、博士後期課程を満期退学した時点で、いくつかの研究プロジェクトに誘ってもらったりしましたが、2年のタイムラグがこれらのチャンスに巡り逢わせてくれたとも言えます。

 北京に留学した時も、日本に腰を落ち着けたまま研究に没頭して学位論文を完成させるという選択肢もありました。しかし、まだ自分の語学力や研究能力に確信を持てていなかったため、海外で修行する道を選びました。幸いなことに、奨学金を取得することもでき、一線の研究者に師事して研究の幅を広げる機会となりました。

 留学中、現地の若手研究者や他の日本人留学生など研究仲間との議論と、たまたま旅先で行き当たった迫力あるモンゴル帝国時代の石碑との邂逅を経て、石碑を活用した研究テーマとフィールドワークに着手しました。石碑の記載内容を利用した論文を書くためだけであれば、公刊された写真・活字や研究機関所蔵の拓本を調査すれば何とかなります。また、実物を見たければ、ピンポイントでその石碑だけを見に行けば十分です。しかし、研究仲間とともに、ある程度の時間と労力をかけてなるべく広域での包括的な調査を継続して実施し、また情報の共有に努めてきました。上述の石碑から受けたインパクトによって、実物とその立地を自分の目で見ることの重要性を直感し、かつ総合的な把握の必要性も認識していたからです。

張弘略神道碑

張弘略神道碑(中国河北省満城県):井黒忍撮影

 この調査と研究に時間をかけていなければ、私の博士論文はおそらくもっと早く完成していたでしょう。しかし、この回り道も無駄ではありませんでした。この過程で、石碑に関する知識と技術を身につけることができ、また新たなアプローチを指向することができたからです。さらに強調したいのは、当時は可能であった調査が今では難しくなっていることです。この十数年来の中国の経済・社会状況の変化によって、貴重な文化財である石碑は博物館に移管されたり、盗掘に遭って行方不明になったりと、現地から姿を消しつつあるのです。現在、中国の歴史研究者も石碑の調査に従事するようになり、その中にはこれまでの私たちの成果を評価してくれる研究者もいます。博士論文の完成は先延ばしすることになりましたが、石碑の調査・研究では先回りできたと言えるかもしれません。

 成果に直結することや効率性が求められる近年、人文学を学ぶことの意味が問われています。確かに人文学を学ぶこと、研究することは回り道かもしれません。しかし、それは、私たちがより豊かな人生を送るためのショートカットのような気がするのです。


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