文学は嘘の世界か【古川昌文】

 物語の文章が新聞の報道文や電気製品の取扱説明書と明らかに異なるのは、それが「虚構」であるという点です。では、世の中に数多ある物語はただの「嘘」にすきないのでしょうか。

 大昔から人間は物語を欲してきました。共同体の成立をめぐる神話、風土と結びついた多種多様な言い伝え、偉い先人が語った喩え話、旅人から聞く不思議な体験談、こうしたものを人々は欲し、語り継いできました。

 私たち一人ひとりもまた物語を作り出しています。過去を回想したり、未来を思い描いたり、現実にはありえないような空想に浸ったり。それどころか、意識しなくてもいつのまにか勝手に物語を作ることもあります。最たるものが眠っているときに紡ぐ夢です。非合理で、起承転結もへったくれもないけれど、それは物語の形をしています。

 こうしたものすべてを文学と呼ぶことはできないでしょう。しかし少なくとも文学を産む土壌であるに違いありません。この豊かな土壌の中心にあるのは言葉です。言葉のないイメージのみによる物語であっても、イメージの連なりを関連づけひとつのまとまりを形作るのは言葉の論理です。音や映像だけでできた物語にも、論理としての言葉が見えないところに介在している、とすれば、私たちはなんと不自由に言葉に縛りつけられていることか。そしてその拘束からなんと豊穣な言葉の組み合わせが、詩が、物語が立ち上がることか。

 文学を研究するということは、そうした物語から、言葉から、離れることのできない人間の営みを探求することに他なりません。とりわけ文学研究は、日常的な意志伝達の手段としての言葉よりも、一見すると日々の生活には不必要にみえる、しかし実のところそれなしには人間の人間たるゆえんが消え失せてしまうような、過剰性としての言葉に向けられています。

 私はカフカを好んで読んできました。朝起きたら虫になっていた、というあの『変身』の作者です。カフカはいかに自分が言葉に縛られているかにとても自覚的だった人です。表現する手段として言葉を使おうとしても、逆に言葉が蜘蛛の巣のように絡みついてきて、表現を不可能にしてしまう。次々と襲ってくる言葉を手なずけ、解きほぐし、早く自分の「生」をすっきり表現してしまいたい。その一心でカフカは毎晩のように机に向かって書きなぐりました。日記に「一語を置くだけで十分で、あとはそっぽを向くことができたなら」と叶わない願望を書いたりしています。虫になって部屋を這いずり回る『変身』の主人公は言葉に手足を縛られたカフカの姿と無縁ではないでしょう。

 これは異常な状態かもしれません。けれどもそれは言葉という過剰なものを抱え込んでしまった人間の異常です。言い換えれば、質や程度の差はあっても、このような異常を誰もが少しずつ抱えている。だとすれば、矛盾した言い方ですが、そうした異常性もまた人間の普遍に通じているのです。

 カフカの死後、20年以上がたって初めてドイツで全集が刊行されると、未完の長編から断片に至るまで多くの人に熱狂的に迎えられ、カフカという名はあっという間に「ドイツ語文学」という枠を超えて「世界文学」の特等席を占めるようになりました。カフカの言葉が作り出す植物の根のような迷宮は、たとえどんなに異常であったとしても、普通の人たちから隔絶した異常ではなく、普通の人たちが分有する異常だったからに他なりません。

 「当時のプラハを知らない人にカフカは理解できない」と言った人がいます(カフカはプラハの人です)。ある意味ではその通りかもしれません。カフカは天下国家や普遍真理を語った人ではなく自分の中の不可解な内面世界を表現しようとした人ですから、その世界は限定的です。物語の舞台は概ね狭い生活圏に閉じ込められています。要するに、ローカルかつ個人的です。

 逆説的に聞こえるかもしれませんが、そうであるからこそカフカのテクストに多くの人が惹きつけられるのです。人はつい自分が本当には知らないことを知的に語ってしまうものです。自分に本当に見えるもの、感じるものだけに限定して書くことはとても難しいことです。それに成功すれば文字通り「本当」が表現されるでしょう。それは私的な「本当」にすぎないかもしれない、けれども「本当」であるということ、この一点が人の心を打ち、動かします。ゴッホの描く強烈な太陽やムンクの叫びも同様でしょう。それは普通ではありません。では現実のデフォルメでしょうか。いや、むしろ原初的な「本当」を誰でも理解できるようにデフォルメしたのがいわゆる現実というものではないでしょうか。

 カフカのことばかり書きましたが、文学の世界は、美しいものから醜いものまで、このような「本当」がたくさん埋もれている宝庫です。そこに自分でも気づかないでいた自分自身を発見することができます。読むだけでも楽しいのですが、できたら読んだものについて一緒に語り合い、自分を、世界を広げていきませんか。

 


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