地理学者をめざしたきっかけ─中山修一先生の授業と広島大学のインド調査─【後藤拓也】

  もともと「高校の地理の教員になりたい」という願望を持っていた私は、一年間の浪人生活の末,1993年(平成5年)に晴れて広島大学の教育学部に入学することができました。その年は、総合科学部がかつての東千田キャンパスから現在の東広島キャンパスに移転した年でもあり、図らずも私は、1年次から西条で学ぶ最初の学年(05生,通称ゼロゴ)として広大に入学することになったのです。

 総合科学部で学んだ1年次を終え、2年次になると楽しみにしていた教育学部での専門教育が始まりました。社会科の地理を専攻していた私は、当時の教育学部で地理学を担当されていた中山修一先生(現:広島大学名誉教授)から最初に専門科目を受けることになります。中山先生は、広大で1967年から始まるインド調査に長く関わってこられた、インド地域研究の大家ともいえる地理学者です。その中山先生から受けた授業は、当時の私にとっては非常に新鮮であり、地理学はもちろん、まだ行ったこともなかったインドへの関心を掻き立てられるものでした。

 中山先生の授業内容については、紙幅の都合上、ここに全てを書くことはできません。例えば,先生は初回の授業にカセットデッキを持参され、ゴダイゴの名曲「ガンダーラ」を学生に聴かせた後、その歌詞の意味からインドの歴史を説明されるなど、ひときわユニークな方法で授業を進められました。また、先生ご自身がインド調査に関わることになった経緯や、大学院生時代に1カ月かけて航路(!)で渡印された際の苦労話など、当時20歳そこそこの私には刺激的な内容ばかりでした。まさかその10年後に、自分が伝統ある広大のインド調査に参加させて頂くことになるとは、当時は夢にも思っていませんでしたが。

 いずれにせよ、高校教員を目指していた私が、地理学やインド研究に惹かれたきっかけの一つが、学部時代に受けた中山先生の授業にあったことだけは確かです。3年次からは文学部でも専門教育を受けることになり、恩師である岡橋秀典先生(現:奈良大学教授)を始めとする地理学教室の先生方のご指導を受け、地理学への関心はゆるぎないものになりました。その後、文学部の大学院に進学し、学位取得後は、岡橋先生の下で初めてのインド調査にも参加させて頂きました。結局、当初の希望であった高校教員にはなりませんでしたが、大学で地理学を教えるという仕事に就くことができました。

インドの農村でフィールドワークを行う筆者

インドの農村でフィールドワークを行う筆者(右から二人目)

 「地理学はフィールドワークが大事」ということは、ほとんどの大学の地理学教室で教えている決まり文句だと思います。しかし、大学単位で一つのフィールド(国や地域)を50年以上も継続して調査している事例は、全国あまたの地理学教室を見渡してもそう多くはありません(むしろ大変貴重です)。1967年から続く広大の研究者や出身者を中心とするインド調査は、まさにそうしたフィールドワークの継続性を体現している希有な例といえるでしょう。そこに長く関わってこられた中山先生や岡橋先生のご指導を、多感な学部時代に受けることができたのは、私にとって本当に幸運だったと思います。

 今年度から縁あって母校の地理学教室の一員となり、インド調査についてもこれまで以上に意欲的に取り組んでいきたいと考えています。現在の私は、かつて教えを受けた中山先生や岡橋先生に比べると、インド研究の能力はまだ足元にも及ばないレベルであることは自覚しています。しかしインド研究では、現地調査で苦労することが多い分、まだ学界で発表されていない事実を知ることもあり、私のような生半可な研究者であっても、大きなやりがいを感じることが少なくありません。また何より、インド調査で得られた知識や経験は、授業などの教育内容に還元することができ、それは学生のフィールドに対する関心を高めることにつながります。そのことは、かつて中山先生や岡橋先生の教えを受け、地理学やインド研究に惹かれるようになった私自身が、誰よりも理解しているつもりです。今後も、伝統ある広大のインド調査に関われることを感謝しつつ、少しでも先生方の研究レベルに近づくことができればと思っています。

 

インド・ハリヤーナー州の農村景観

筆者の調査フィールドであるインド・ハリヤーナー州の農村景観
(スプリンクラーによる灌漑が行き届いた小麦畑が広がる,この地方の典型的な農村景観)

 


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