拠りどころへの<近さ>と<遠さ>【後藤雄太】

 今から振り返ると、僕が思想的なものに関心を持ったきっかけは、中学生の頃にたまたま読んだ宮沢賢治の童話や詩だったように思います。
 当時の僕は、生きていること・存在していることに対する得も言われぬ「拠りどころの無さ」を感じていました(今もそうかもしれません)。精神的に不安定で、不登校気味の子どもでした。こうした不安な思いは、思春期の子どもには、多かれ少なかれつきものではあります。そして、多くの場合、こうした不安は、年齢を重ねていくにつれ消えていくもののようですが、僕の場合、残念ながら――もしかしたら、幸運なことに――そうした思いが消えることはありませんでした。

 さて、そうした思いを払拭したくて読書に励むようになっていくのですが、その際に特別な声をかけてくれたのが賢治というわけです。彼の作品の中で僕のアンテナに引っかかってきたのは、「雨ニモマケズ」のような修身的にも受け取られてしまう作品ではなく、例えば彼の詩集『春と修羅』の序で描かれているような、幽邃な時空の姿でした。

  わたくしといふ現象は
  假定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
   (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといっしょに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
   (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
      (『春と修羅』序より)

 こうした存在観が、今でも自分の思想のベースになっているように思います。もちろん、「雨ニモマケズ」の素晴らしさを否定しているわけではありませんが、あの詩の真価は、賢治の絢爛たる世界観を前提にして、はじめて理解できるのではないかと思います。この広大無辺の宇宙が、むしろ「デクノボー」としての倫理的生き方という一点へと集約していく様は、やはり感動的です。

 この「賢治体験」後は、文学ではなく、むしろ思想――特に賢治が深い影響を受けた仏教――を勉強するようになりました。仏教の勉強を進めていくにつれ、その原点であるインド仏教ひいてはインド哲学全般に関心を抱くようになり、広島大学文学部のインド哲学専攻に進学しました。特に力を入れて勉強したのは、絶対的なもの・固定的なものは存在しないという「空」の思想を説く中観派の哲学です。

存在肯定の倫理I ニヒリズムからの問い

『存在肯定の倫理I ニヒリズムからの問い』

 大学院からは、人生や社会の問題により直接的にアプローチできる倫理学専攻に移りました。学部時代における「空」への問題関心とも重なる「ニヒリズム」をテーマに研究を開始しました。主に手掛かりとした哲学者は、「ニヒリズム」を自身の哲学における重要なテーマとしたニーチェ、そしてニーチェのニヒリズム論を存在論的観点から批判的に継承したハイデガーです。ちなみに、この研究成果をまとめた博士論文を改稿・増補し、『存在肯定の倫理Ⅰ ニヒリズムからの問い』(ナカニシヤ出版)として出版しています。

 大学院修了後は、生命倫理や情報倫理など、いわゆる「応用倫理学」の研究も始めるようになります。研究を始めた直接的なきっかけは、看護学校で非常勤講師をするのに「生命倫理」の知識が必要だったり、「情報倫理」の研究プロジェクトに参加する必要があったり、といった「外的な要請」だったのですが、結果的に、自分の研究を社会とリンクさせてくれる良いきっかけになったと思っています。応用倫理学の研究を通して改めて実感したことは、現代社会において、少なからぬ人々が「拠りどころ」を喪失してしまっているということです。そもそも「拠りどころ」が確かなものであるなら、これほど倫理的問題が噴出するわけがありません。例えば、生命倫理的な問題としては、僕たち現代人はどのように「死」というものを受け止めていったらよいかといった問題が挙げられます。また、情報倫理的問題としては、現代の少なからぬ若者が、SNSやネットゲームを介した人間関係の中に、自らの「拠りどころ」を求めているという現象が挙げられます。

 以上のように、過去のテキストや現実的問題を通して、「拠りどころ」について思索してきたわけですが、その思索の道を歩めば歩むほど、「拠りどころ」の<遠さ>が身に迫ってきます。しかしまた、時折その<近さ>が瞬き、ふと不思議な安心感がやってくることもあります(ごくたまに、ですが)。

 おそらく、どこかに「たどり着いてしまう」のではなく、揺れ続けること、<明滅>を<明滅>として受けとめることが大切なのではないかと感じているところです。

教育と倫理

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