歴史を転倒するスリル【金子肇】

 私は、1978年4月に広島大学文学部に入学しました。高校時代に歴史の科目が好きで、将来高校の歴史の教師になりたかったのが志望の動機でした。

 それでは、私はなぜ高校教員でなく研究者の道を選ぶことになったのでしょう。当時、進路選択について私の胸中には様々な想いが交錯していたと思います。しかし改めて振り返ると、大きな理由の一つに、学部生時代に出会った一本の論文があったことは間違いのないところです。私は、広大の学部・大学院を通じて、故横山英先生から中国近現代史研究の手ほどきを受けました。横山先生には『辛亥革命研究序説』という著作があります。同書には「辛亥革命研究覚書」(1976年)という論文が収録されていますが、今思えば、その論文が私に研究をめざすきっかけを与えてくれたのでした。

 通常、清朝を倒し共和制を樹立した辛亥革命は、孫文率いる革命派が指導したブルジョア革命と評価されます。その一方、辛亥革命によって誕生した中華民国は、すぐに「軍閥」の袁世凱によって横取りされてしまったと理解されています。この歴史解釈は現在でも日中両国学界に影響力をもっています。ところが、横山先生は先の論文において、周到な史料の読み込みと、通説の側に立つ先行諸研究の再検討によって、歴史解釈をものの見事に転倒させてしまったのです。ここでは詳しく紹介できませんが、横山先生によれば、辛亥革命を指導したのは孫文ら革命派でなく、清朝末期の立憲制を導入する改革のなかで成長した立憲派という政治勢力でした。また、中華民国の成立は革命派の勝利を意味するのでなく、立憲派と革命派、袁世凱率いる北洋派=「軍閥」が連合・同盟した結果によるものでした。その上で、辛亥革命がブルジョア革命であったという通説は否定され、革命は中華民国という絶対主義政権を生み出す変革だったという新解釈が導き出されます。

 手堅い史料解析と先行研究の批判的摂取という歴史学の方法にしっかり立脚しながら、それでいて既存の歴史解釈を切れ味鋭く転倒させていく論理展開のスリリングさ。歴史学の何たるかもよく知らないくせに、否むしろそうであったからこそ、学部生の私は横山先生の論文を読んで、歴史研究、とりわけ中国近現代史研究の面白さにすっかり魅了されてしまったのです。そのおかげで、私は卒業論文のテーマを中国近現代史から選ぶことになりました。思い返してみると、高校教師をめざすのではなく、大学院に進学して本格的に研究してみたいという想いが強くなったのは、卒業論文を書く以前に横山先生の論文に触れてからだったように思います。

 

近代中国の中央と地方

院生時代からの研究成果をまとめた『近代中国の中央と地方』

 もちろん横山先生の論文も、それが書かれた1970年代の実証的・理論的水準の産物にほかなりません。今回、この文章を書くにあたって、久しぶりに『辛亥革命研究序説』を引っ張り出してみましたが、確かに今日的レベルからすれば様々な限界や問題点を指摘することができます。しかし、横山先生の研究に触れることができたからこそ、中華民国期の袁世凱政権や立憲政治の展開を研究する現在の私もあるわけです。

 歴史学、とりわけ文献史学の本領は、何よりも地道な史料批判・史料解析の積み重ねにあります。また、錯綜した史実に分け入り整序していく分析方法や問題意識も、日頃から鍛えておかねばなりません。そして、そこにはさらに、学界の諸先輩が築き上げてきた歴史理解が、克服すべき先行研究として立ちはだかります。そうした関門を乗り越えて初めて、過去の歴史的世界、歴史的事象を再構成することもできるわけで、歴史解釈を転倒するのはそれほど容易なことではありません。しかし、そうだからこそ「歴史を転倒するスリル」は未だに抗しがたい魅力をもって私を引きつけてやまないのです。

 さて、このスリル、あなたも味わってみませんか。

中国近代史の演習風景

中国近代史の演習風景


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