人は研究者として生まれるわけではない【ロリヤール オリヴィエ】

 研究には、自然な成り行きで到るのではありません。つつましい家庭に生まれ、本は家の装飾品だったので、私を研究に向かわせたものは何もなく、小学生のころは、勉強にほとんど魅力を感じていませんでした。
それにもかかわらず、なぜ私が文学、そして外国語としてのフランス語教授法を専攻するようになったのは、私には、インターネット世代よりもずっと前に生まれたという「利点」があったからだと言わなければなりません。というのも、ネットは、素晴らしい情報ツールであると同時に、この情報を掘り下げて考える際には、明らかに障害となるからです。

 このように考えると、本がまだ唯一の学習道具で、個人が知を形成するのは学校であった時代を私が経験したことを改めて思い出させます。私の場合、フランスの学校は、文学の古典を私に発見させてくれたことで、その役割を完璧に担っていました。私が文学に興味を持ち始めたのは、何人かの先生方の情熱のおかげでした。例えば、私の高校の女性の先生は、モリエールのせりふやヴィクトル・ユゴーの描写、あるいはセリーヌが新たな使い方をした言語を私が好きになるようにするすべを知っていました。
また、フランスの学校は、私に分析の魅力と厳密さに配慮することを教えてくれました。そして、私の知の形成において最も決定的だったものは、まさに、かつて「人文学」と呼ばれていたフランス式の古典教育でした。

 

エッフェル塔

構造がよければ、より高くそびえたつ

 まず中学校で、分析することの面白さを私に教えてくれたのは、古典語、つまりラテン語と古典ギリシア語の学習でした。というのも、コミュニケーションの問題がないため、これらの言語は、文学的な関心と、その文法的な構造の特徴である、実に独特な厳密さを求めるために教えられていたからです。うまく構成された文章の良さを私に教えてくれたので、この経験によって、今日、私は言語の習得における統語論的な側面に関心をもつようになりました。

 共和国の学校が、精神を形成し知的な厳密さを要求するための主な切り札を出すのは高校です。そしてこれらの切り札もまた、「フランス式の」教育の二つの特徴に対応しています。

 一つ目は、伝統的に優位に立っている論文の練習です。この練習の目的は二重だといえます。根本的に、問題のさまざまな側面を、分析のさまざまな角度からそれぞれ同程度に厳密に、できる限り掘り下げることを求められますが、形式的には、非常に洗練され、通常3つの部分から成るプランを作るように求められるからです。実際、論を自然に進めるためには、論理の必然を何よりも反映させなければならないものです。

 二つ目は、高校の最終学年の時に受ける哲学の授業です。この授業は、フランスの教育においてはエリート的な地位を占めており、私の高校の場合、週5時間あったので、集中講義と言ってもよいくらいでした。
それゆえ、古典語、小論文そして哲学を学ぶことは、子供のころの私の中の怠惰な部分を打ち砕き、カリカチュアになってしまうほどに、フランス式の古典的教育を象徴しているのです。しかし、これらの教育が、私を変え、研究へと向かわせたことは否定できません。
 

理論的探求の全ては、たとえ目に見えなくても、実践での結果を生む。

  ところで、20年程前に日本で教鞭をとることを決心した時、私は間接的に、自分のキャリアを新たに展開させていました。というのも、制度上、フランス語を教えることが優位に置かれていたからです。そして、自分でも驚いたことには、この新しい目的に、私の文学に対するものと劣らない関心をもって取り組んだことです。結果的に、文学を超えて、私は応用言語学という方向にキャリアを進めて行きました。

 今日私は、日本人学習者に対するオーラル・コミュニケーションの教育における学習段階の問題を深く掘り下げること、より「厳密な」発展段階を構想することを、課題とすると同時にそこに喜びも見出しています。研究成果を実践に移し、その妥当性を評価するために、私が並行して練り上げているフランス語教育の方法論は、これもまた、方法論的「厳密さ」によるものなのです。


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