「物語と場所」【松永京子】

 「ここではない、どこか遠くの知らない場所に行ってみたい」という思いは、多くの人が抱いたことのある願望かもしれません。幼少期の私にとって、小説は、未来に対するいいようのない不安を取り除いてくれる存在であると同時に、そのような望みを叶えてくれる手段でもありました。シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』、ドストエフスキーの『罪と罰』、モーパッサンの『脂肪の塊』、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』、マーガレット・ミッツェルの『風と共に去りぬ』等々――埃をかぶって本棚に眠っている世界文学全集や書店に整然と並ぶ単行本を手に取ってページをめくれば、そこには聞いたことのないカタカナの土地に生きる人びとの物語が、一瞬にして時と場所を超えて広がっているのですから、これほどお手軽なものはありません。本という箱のなかに埋もれた物語は、「いま」「ここ」でくすぶった気持ちで過ごしていた私を、いままで見たことも聞いたこともない場所へと連れ出してくれると同時に、その物語を生み出した人や場所について、もっと知りたいという気持ちにもさせてくれました。

 「ここではない、どこか遠くの知らない場所」に実際に足を運び、初めて長期滞在したのは、マーク・トウェインやジョン・スタインベックについて学ぼうと、交換留学生としてワシントン州の大学に留学した学部生のときでした。毎週100頁以上課される小説や詩や戯曲を、日差しを反射して煌くキャンパスの芝生の上や、深夜まで静かに学生を迎え入れてくれる図書館で、辞書を引く間も惜しんで、ひたすら読み続けたのを思い出します。そして、いま思えば、そのときに出会った物語のひとつが、のちの私の人生を大きく変えるきっかけとなったのでした。

  レスリー・マーモン・シルコウの短編「ストーリーテラー」は、これまで読んできたどの文学作品よりも、〈物語〉と〈場所〉のつながりを鮮烈に感じさせる物語でした。シルコウはこの短編のなかで、銃やナイフといった武器を使うのではなく、アラスカの自然や物語の力によって、両親を殺した植民者の男を死に追いやるアラスカ先住民女性に光を当てています。シルコウはもともとニューメキシコ州出身で、先住民族ラグーナ・プエブロの土地で育ったバックグラウンドをもちますが、口承伝統と現実が交錯し、〈場所〉と〈物語〉が複雑に絡み合うこの作品を、アラスカに居住した体験に基づいて執筆しました。

ロスアラモスのBradbury Science Museum

ロスアラモスのBradbury Science Museum。
ロスアラモスは1943年に原爆開発を目的に建設された町である。(松永撮影)

  アメリカ北西部でシルコウのアラスカの物語に出会った私は、帰国後、アメリカ南西部のニューメキシコを舞台としたシルコウの小説『セレモニー』を卒業論文の題材としてとりあげることにしました。話が少しそれますが、私の祖父母は入市被爆者として広島の原爆を体験しています。広島で生まれ育った私は、原爆の「物語」に囲まれて育ったといっても過言ではありません。小学生のときから、平和記念資料館や平和公園を訪れたり、広島の原爆で亡くなった約20万の人びとの命について考えるために、新聞やチラシから切り抜いた人の写真を学校全体で20万集めて体育館の壁に貼り付けたりと、平和教育の「洗礼」を受けて育ちました。このような場所を故郷とする私にとって『セレモニー』は、「ここではない、どこか遠くの知らない場所」が、実は私がよく知っている(と思っていた)場所やその歴史と、深く結びついていることを教えてくれました。小説のクライマックスでは、主人公のテイヨが辿り着いたウラン鉱山跡地が次のように表現されています。「そこには終わりはない。境界もなかった。彼はすべての生き物の運命、地球の運命さえもが集結する場所にたどり着いたのだった」(Silko 246)。プエブロやナヴァホの人びとが居住するニューメキシコは、原爆が開発されたロスアラモスが建設され、世界初の核実験が行われたトリニティサイトがあり、ウラン鉱山が閉山した後も尾鉱が残された場所だったのです。
 
  シルコーのニューメキシコの物語は、私が「いま」「ここ」に住んでいる場所が、いかに植民地主義や人種差別の歴史と密接に関係しているのかを考えるきっかけとなりました。物語は、「ここではない、どこか遠くの知らない場所」へといざなってくれると同時に、私たちの生きる場所が世界とどのようにつながっているのか、あるいは私たちが世界で起こっている(起こった、あるいは起こるかもしれない)出来事とどのように向き合っていくべきかのヒントを与えてくれながら、私を「いま」「ここ」へと導いてくれたのかもしれません。

引用文献
Silko, Leslie Marmon. Ceremony. 1977. Penguin, 1986.

トリニティサイトの標識

トリニティサイトの標識
トリニティサイトは年に2回、4月と10月に一般公開されている。(松永撮影)


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