「お前の恨みを否定の王冠のように身にまとえ」【奈良勝司】

  生きていればこの世のなか、楽しくないこともあります。学校で友達と話をあわせるのが辛い、消費税はあがる、夏は暑い、犬は吠える、、、。そうした人々の救いになるのが、音楽やTVドラマです。明るく前向きな歌詞、ハッピーエンドの物語。こうしたものに支えられることで、私たちは日々をやり過ごし、明日も頑張っていけるのです。
「くそくらえ」。
  以上の構図に私がいだいた実感です。

  日々公共の電波からお気楽なご都合主義がたれ流され、みなが夢中になっているのに私は満足できませんでした。現実に問題があるのに、それとかけ離れた仮想現実に耽溺したって、それは現実逃避じゃないのか。現状の固定化・延命じゃないのか。そのように私は、現実におきている諸問題と、そのごまかしの対処法の両方を憎みました。どうせ電波を受信するのなら、人間椅子の「遺言状放送」みたいな曲を受けとりたいよ。

  こういう考え方をする人間を、しかし日本の社会は受けつけません。けなす作品を好きな人もいることを考えないという、私自身の問題もありました。結果、「君、変わってるね」「自分、理屈っぽいね」「サイテー」などと煙たがられるのでした。

  そんなわけで欝々としていた奈良君でしたが、大学に入った時デスメタルバンドをやっていた友達などから薦められた洋楽(ロック)を聴いて、いたくショックを受けました。メロディのかっこ良さ、ほとばしるエネルギーにくわえて、歌詞に偽善やごまかしがなく、人間の暗部や「業」が正面から絶妙のセンスで表現されていたからです。

  「怒りや苛立ちを表に出すべきではない」。そう思わされてきた私にとって、洋楽ロックは革命的でした。憤りや不都合な真実を描きながら、そこには逆説的な心地よさがありました。ネガティブな感情がポシティブな力に変換されていました。これらの偉大な歌が曲としても魅力にみち、世界でメガヒットしていたことも私を勇気づけました。タイトルにあげたのは、TOOLというアメリカのヘヴィロックバンドのThe Grudgeという曲の冒頭部分です。うわっ面の綺麗ごとのうすら寒さと、怒りや絶望由来の美しさ・勇気。この対照を目の当たりにした私は、後者の感性に誠実に生きていこうと考えました(今でも私はロックを聴いてドーピングをしながらでないと、論文や本が書けません)。

  しかし、ここで問題が2つ。①愛想と協調が正義であるこの社会で「本当のこと」だけを言って飯が食えるのか。②考えごとを好んで満員電車を憎み、効率的な事務仕事がどうにも不得手で苦痛な私が、そもそも「ちゃんとした社会人」になれるのか。

  以上をふまえ、結論として私が大学研究者の道を選んだのは、上述の苦手項目を強いられることが比較的少なく、自分が調べた事実や導きだした論を伝えることに価値が認められ、需要がある仕事だからです。そして日本史(とりわけ明治維新史)に携わっているのは、自分を苦しめつつも人々にとっては「合理的」で(そうなるに至った理由がちゃんとあり)、それゆえに一朝一夕には変えられない強じんさをもつ今の日本社会の土台の構造を、近代の出発点に遡って自分なりに捉えてみようと考えたからです。

近代日本の出発点を〈鏡〉として映し出せるなら、
古文書に限らず地図皿(古伊万里)などの骨董品も解読の対象になります。

  ここまで読んでお分かりのように、私は最初から学問としての日本史に憧れていたというよりも、自分が生きていくために明らかにせざるを得ない日本社会というものへの切り込み方を、さしあたり明治維新史という素材に見出したのだと思います。しかも、時流に抗って辛酸をなめた人々に光を当てることで、メインストリームとしての日本近代が何を「抱え込んでしまったのか」を浮き彫りにするという搦め手の方法論とともに(私の最初の研究は、のちに明治政府をつくる人々ともっとも対立した末期徳川政権の改革派の分析で、彼らという〈鏡〉を通して維新政権の本質を逆照射することでした)。

  以上、極私的な経験を通して私が皆さんに伝えたいのは、人の進路なぞというものは王道があるわけではなく、単純な「好き」に導かれるとも限らず、ひねくれたかたちで決まり得るということです。憧れや知識欲とはいささか違ったかたちで明治維新史にふみこんでしまった私ですが、不思議に20年ほどたった今でも飽きがきません。それは恐らく、歴史学が人や社会の営みの全てを扱っており、明治維新史が現在の日本のよかれ悪しかれ土台となったからだと思います。純粋な好意に身を任せるのも良いのですが、愛憎が入り混じった「逃れ得ないもの」にまみれてみるのもいいのではないでしょうか。

国際学会での発表は、3重(過去・外国・非主流派)の意味で
今の日本を映し出す〈鏡〉になります。


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