チベットの恩師から学んだこと【根本裕史】

 その日、私の携帯電話は不吉な音を鳴らしていました。インドにいる恩師の逝去を告げる悲しい知らせでした。旅先で外を歩いていた時のことでした。

 私をチベット仏教の研究へと導いてくれた恩師は、ロサン・ツルティム先生です。インド・ラダック地方出身のチベット僧です。チベット語で「先生」を意味する敬称「ゲン」をつけて、ゲン・ロサンとお呼びしていました。ゲン・ロサンは、チベット仏教ゲルク派の大僧院デプン・ゴマン学堂で教鞭をとる一流の学者でした。2016年5月、ご病気のために60歳を前にしてこの世を去りました。

 今から15年ほど前、文学研究科で仏教学を専攻する学生であった私は、チベット仏教の大学者ツォンカパの中観思想を自身の研究テーマに選びました。しかし、日本の仏教学においてチベット仏教研究の意義はあまり認知されておらず、その方法論も確立していません。そこで、私は知人の勧めに従い、ツォンカパの伝統を継承するゲルク派の僧院で、チベット人僧侶から直接学ぶことにしたのです。博士課程後期に進学した2004年にインドに渡航し、2年間の留学生活の大半を、デプン・ゴマン学堂で過ごしました。南インドのカルナータカ州ムンドゴッドに亡命チベット人によって再建されたデプン・ゴマン学堂には、赤い法衣をまとった1500人以上の僧侶が在籍し、認識論、論理学、般若経解釈学、中観思想などを学んでいます。私は僧侶ではありませんが、彼らに交ぜてもらい、ゲン・ロサンのもとで勉強しました。

ゲン・ロサンによる講義の様子

ゲン・ロサンによる講義の様子

 チベット語の聞き取りも覚束ない私のために、最初にゲン・ロサンが個人指導をして下さった時のことを覚えています。チベット語に不安を抱えながら、朝一番で到着した私の緊張をほぐすように師は語りかけ、『七十義』という般若経の入門書の行間に込められた意味を解き明かしながら、一切相智、空性、勝義諦、世俗諦といった重要概念について、初学者の私にも分かる言葉で、流れるように滑らかに説明しました。不思議なことに、その説明はすんなりと頭に入り、理解できました。「なぜ分かるのかが分からない」という奇妙な感覚さえありました。

 ゲン・ロサンは、その日の夕方に行われる認識論の講義にも来るように告げました。その講義は20人ほどの他の僧侶と一緒でしたから、様子は全く違います。ゲン・ロサンはテクストに書かれてある事柄を次々に論証式の形で提示し、学生達に問い掛けをします。すると、学生達は一斉に答えを言います。ゲン・ロサンがテクストを引用しようとすると、学生達もゲン・ロサンに合わせて同じ箇所を暗唱します。ほとんどの学生達はテクストを丸暗記していました。当然、私はこうしたやり取りには全くついて行けません。内容も高度でした。何しろ初回からいきなり「自己認識」をめぐる難解な議論が展開されるのですから。夕方の講義は、朝の懇切丁寧な個人レッスンとはわけが違いました。しかし、これこそが本場物なのだと実感しました。私は決して意気消沈しませんでした。毎回部屋に戻ってから、録音した講義の音源を何度も聞き返していれば、少しずつ理解できることを知ったからです。録音をノートに書き起こす作業を通じて、ゲン・ロサンの議論の内容がとてつもなく面白いものばかりであることに気付きました。この頃の輝かしい体験の数々があったからこそ、私は後先を何も考えず、チベット仏教研究を志したのだと思います。

 さて、その後、帰国して博士課程後期を無事に修了するも、私は自分の未来が見えず、自信を失っていました。そんな私に向かって、ゲン・ロサンは精進が大切であると説いたことがあります。単に「努力しなさい」「頑張りなさい」という意味ではありません。精進とは良い行ないをして、そこに喜びを見出すことです。研究を続けよ、そこに喜びを見出すことができるならば、自ずと未来は開ける——そのようなメッセージであると理解しました。

 ゲン・ロサンは勉強には厳しい所もありましたが、常に自信と勇気と希望を与えてくれる先生でした。文献を正確に読むことは大事ですが、文献に書かれてあることだけが全てではないことも、私は師から教わりました。ゲン・ロサンの教えが私にチベット仏教研究の方向性を示してくれたと思います。

 現在、広島大学大学院文学研究科は、日本においてチベット学の研究ができる数少ない研究教育機関の一つとなっています。自分自身の研究や、学生の論文指導を通じて、今は亡き師に蒔いてもらった幾つもの種を開花させることができるように、精進したいと思います。

デプン僧院の集会堂前

デプン僧院の集会堂前


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