古典と対話する【小川陽子】

 もともと古典文学が好きで、大学は国文学を専門的に学べるところに行きたいと思い、広島大学文学部に進学しました。広大日文研究室には、学部生から大学院生まで学年を超えて一緒に学ぶ、研究会という仕組みがあります。友達と誘い合って1年次に参加した平安文学研究会でその年に扱っていたのは『松陰中納言物語』でした。いわゆる中世王朝物語のひとつですが、皆さんはご存知でしょうか?私はまったく知りませんでした。現代に生きる私が『源氏物語』を面白いと感じるように、中世の人々もこれを愛読し、自分なりの新たな物語まで作り出していた――よく考えてみれば不思議でも何でもありませんが、古典といえば『源氏物語』『枕草子』と思っていた大学1年生の私にとっては衝撃的な出会いでした。別の年には『源氏小鏡』も読みました。『松陰中納言物語』と同じく中世に作られたものですが、こちらは『源氏物語』の梗概書(注釈兼ダイジェスト版のようなもの)です。注を付けたり簡便にしたり、はたまた新たな物語を創作したり。物語愛好家というのはいつの時代にもいて、思い思いの角度から作品と向き合っているのだということを、研究会や授業で出会った数々の作品から実感しました。そうこうするうちに気付いたのは、どうやら私は、物語の内容と同じかそれ以上に、物語を取り巻く人々や、物語を受け継いでいくという行為そのものに興味があるらしいということでした。

 とはいえ、やはり『源氏物語』の魅力は捨て難い。卒論の対象として選んだのは、『源氏物語』最後のヒロイン・浮舟でした。選んだ理由はいくつかありますが、とりわけ大きな理由のひとつが、五十四もの巻を積み重ね、言葉を尽くしてきた物語が、大団円とはほど遠い、まるで読者を放り出すかのような結びとなっているのが不思議でならなかったことでした。そんなわけで学部の3年・4年と2年かけて浮舟と格闘しましたが、とても面白く、しかしとても難しく、読めば読むほどわからないことが増えていきました。

 学部と大学院の狭間にあたる春休みの直前ごろに指導教員の妹尾好信先生から教えていただいたのが『山路の露』でした。『山路の露』は、『源氏物語』の〈その後〉を描いた物語、現代の感覚で言えば二次創作のような作品で、『松陰中納言物語』と同じく中世王朝物語と呼ばれるものです。遙か遠い昔に、私と同じように『源氏物語』の結末に心惹かれ、ついには自ら筆を執って浮舟たちの〈その後〉を作り出した人がいたのです。それまでに研究会等で読んで興味を抱いた中世王朝物語や梗概書の世界と、卒論で取り組んだ(しかし解決しなかった)テーマとが、まさに重なり合うような作品でした。

 そんな作品に巡りあえただけでも幸運ですが、さらに幸いなことに、この『山路の露』を研究対象としたことによって、もうひとつ大事な世界に出会いました。古典作品の伝本調査です。古代中世の文学作品は、人の手で書き写すことが幾度も繰り返されて現代まで伝わってきています。手書きの世界ですから、うっかり1行飛ばしてしまうこともあれば、書き間違えることもあります。加えて、とりわけ物語の場合は、意図的に文章や場面を書き換えてしまうこともあります(現代なら著作権侵害となるところですが、古代中世の物語の場合はもっとおおらかに、自由に、作品の言葉と付き合っていたのです)。結果として、同じ物語であっても写本ごとに微妙に、あるいは大胆に、異なる世界が繰り広げられることになります。なんとややこしい…いやいや、これが抜群に面白いのです。

 現存する『山路の露』のほとんどを大学院前期の2年間で見てまわりましたが、見に行くたびに異なる本文があらわれ、時にはその本の書写や伝来にかかわった人が奥書や蔵書印あるいは書き入れといった形で顔をのぞかせているのにも出くわしました。学部生の頃に漠然と感じていた、物語を取り巻く人や物語を受け継ぐという行為への関心が、『山路の露』諸本の調査によって一気に高まりました。『山路の露』をはじめとする中世王朝物語の数々がどのような人々によって読まれてきたのか、現存する伝本を手掛かりとして解明していくことが、私の主たる研究テーマのひとつであり続けています。

 大学院生の頃に見せていただいた『山路の露』のうち2本は、縁あって、現在は私の手もとにあります。これらに書かれている文字はデータ化し、いつでも内容が確認できる状態にしましたが、今でも時おり箱から出して本そのものを愛でています。そうすると、『源氏物語』を読んでその結末に関心を寄せ、ついには自ら続きを作り出した『山路の露』の作者や、『山路の露』を書き写したり所蔵したりして楽しみ、現代まで伝えた多くの人、そして学部・大学院等で一緒に物語を読んだ先生や友人、先輩後輩、研究仲間――『山路の露』と私を取り巻く過去・現在のたくさんの方と向き合っているような気持ちになります。古典との対話は、作品が生まれてから今この瞬間までの、時代を超えてその作品とかかわった人々との対話でもあるのです。これから広島大学に来られる皆さんがその対話に加わってくださるのを楽しみにしています。

架蔵『山路の露』

架蔵『山路の露』

架蔵『山路の露』

架蔵『山路の露』


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