文学を研究するということ【大地真介】

 文学研究科は、何を研究するところでしょうか。例えば、法学研究科は法律を、経済学研究科は経済を、理学研究科は基礎科学を、工学研究科は応用科学を、医学研究科は医療を研究するところでしょうが、それらだけでは大学として画龍点晴を欠いているように思われます。すなわち、それらだけでは、最も重要な〈人生〉というものを直接的かつ総合的に研究するところがないのではないでしょうか。私は、文学研究科は、まさにその〈人生〉を研究するところだと考えています。

 文学研究科には、哲学、文学、歴史学、文化人類学等の分野がありますが、私の専門分野である文学についてお話していきたいと思います。『新明解国語辞典』は、次のように「明解」に文学を定義しています。文学とは、「芸術の一様式。体験を純化したり構想力を駆使したりすることによって得られた作中人物の行為や出来事の描写を通じて、『人生いかに生くべきか』という主テーマが読者の想像力と読解力と豊かな感性により自ら感得されることをねらいとするもの。〔普通、小説・詩歌・戯曲を意味し、広義では、随筆・評論を含む〕」。したがって、文学を学ぶということは、読者として、「想像力と読解力と感性」を磨くことであるといえます。「想像力と読解力と感性」を磨くということを具体的に言えば、語学力を身につけたり、多くの文学や先行研究を読んだり、哲学、歴史学、精神分析学、社会学等の文学周辺の学問領域を学んだりすることです。最近、「文学研究は実学ではない」と言われることがありますが、まったくの見当違いです。言うまでもなく人間は、老若男女、貧富、人種、職種を問わず皆人生を生きているので、「人生いかに生くべきか」ということを研究対象とする文学研究は、むしろ実学以外の何ものでもありません。

  私は、文学を研究していてよかったと感じることが多々ありますが、特に強くそう感じた体験をお話したいと思います。2005年4月から1年間、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に客員研究員として滞在していた際の体験です。この研究留学の目的は、以下の通りでした。1、私が研究しているウィリアム・フォークナー(アメリカを代表する小説家の一人であり、ノーベル賞受賞作家)の著名な研究者から論文指導を受けること。2、全米屈指の規模のバークレーの図書館で研究資料を収集すること。3、フォークナーが生涯の大半を過ごしたミシシッピで毎年開催されるフォークナー国際会議に出席すること。4、アメリカの主要な地域を見て回ること。5、ミズーリの大学にあるフォークナー研究センターを訪ねること。以上の目的のうち最後のものについては、東京大学の平石貴樹先生から、「留学中にフォークナー研究センターのロバート・ハムリン先生を訪ねなさい」と何度も言われていたので留学の目的に加えたのですが、正直なところ、あまり気乗りはしませんでした。というのも、フォークナー研究センターはフォークナーの直筆原稿等の第一次資料を多く所有しているところなのですが、私の専門は一次資料の研究ではないので、わざわざカリフォルニアからミズーリに行くほどのことだろうかと思わないでもなかったからです。

カリフォルニア大学バークレー校

カリフォルニア大学バークレー校

  留学生活を始めて三カ月が過ぎた夏、フォークナー研究センターを訪れました。特定の資料を拝見したいというのではなくセンターの主な資料を概観させていただきたいとハムリン先生に申し上げたところ、実に快く応じてくださいました。フォークナーの直筆原稿や貴重な写真を見て感激しましたが、何よりも感銘を受けたのは、ハムリン先生が話してくださった、伝記にも書かれていないフォークナーの逸話の数々でした。その中でも特に印象深かったのは、フォークナーは、無名時代の彼の庇護者かつ文学的指導者であった弁護士のフィル・ストーンから晩年絶交され、つらい思いをしていたという話でした。その絶交の主な理由は、フォークナーがリベラルな小説を書いたことを保守的なストーンは受け入れられなかったことにあります。フォークナーは、アメリカ南部の特権階級が犯した罪(黒人奴隷制度等)を糾弾する小説を書きました。フォークナー自身が南部貴族の末裔だったので、その小説は自己批判的なものとなりましたが、近年、アメリカ文学の研究者の間では、「フォークナーの糾弾は生ぬるい」、「フォークナーの人種差別意識は隠しきれない」と言ってフォークナーを非難するような風潮があります。私自身は、そのような非難は重箱の隅をつつくようなものだと思っていたのですが、ハムリン先生のお話を聞いて一層その思いを強くしました。人種差別主義が色濃く残る南部の田舎町でリベラルな小説を書き続けるというのは、実に大変なことであり、無二の親友からも絶交されるほどのリスクがあったのです(当時の南部ではKKK等による黒人や進歩主義者に対するリンチも横行していました)。フォークナーは、そのことを承知の上で、覚悟を決め、信念を貫いたのだということが、ハムリン先生のお話からよく分かりました。そのとき私は、文学と人生の真髄に触れたような気がしましたし、本当に文学を研究していてよかったと思った次第です。

サウスイースト・ミズーリ州立大学

フォークナー研究センターのあるサウスイースト・ミズーリ州立大学


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