心が癒される扉【李 麗】

  みなさんにとって、自らの心が癒される扉は、なんでしょうか。旅をすることでしょうか?音楽を聴くことでしょうか?美味しい料理を食べることでしょうか?私の心が癒される扉は、文学作品を読むことです。

  2013年、私は交換留学生として奈良女子大学で一年間勉強しました。留学に来た最初の3ヶ月は、研究テーマも決まっていないし、履修した授業もよく理解できないし、まだ日本の日常生活にも慣れていません。そのため、いままで経験したことのない孤独に襲われた自分は、他人を拒否するように壁に取り込まれていました。しかし、まもなく一つの転機が訪れました。ある日、私は学生寮の扉から出て、図書館の扉を開きました。自分の世界に閉じこもっていた私は、そこで日本の近代文学作品と出会ったのです。夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎、里見弴、志賀直哉、永井荷風、田山花袋、宮本百合子などによって生み出された世界に私は惹かれました。留学してから半年後、文学作品のおかげで、研究の楽しさを少し感じ始めることができました。そして、文学作品という媒体があることによって、日本人の友達もできました。私にとって、文学作品との出会いは自分を変える契機だったのかもしれません。さらに、私が他人と繋がるための手段でもあり得たのではないでしょうか。日本近代文学作品の世界に一歩踏み出したことで、心が癒される扉がふっと現れたのです。

鈴木三重吉が主宰した『赤い鳥』の創刊号など

鈴木三重吉が主宰した『赤い鳥』の創刊号など(李麗 撮影)

  研究をしている過程では、扉の向こうには、また別の扉があると思います。中国大連理工大学の博士前期課程の修了後、私はまた日本に留学できました。広島大学文学研究科の博士後期課程に入学してから、指導教員である溝渕園子先生のおかげで、児童文学作品という新たな扉を見つけたのです。それは、広島出身の鈴木三重吉が主宰した児童文芸雑誌『赤い鳥』と出会ったことがきっかけでした。その後、この雑誌に掲載された面白い童話や不思議な挿絵などに魅了されました。雑誌を読みながら、誌面に描き出された世界を体験することは、日常生活に生きている私と非日常の世界(雑誌の世界)に引き込まれた私との対話を叶えてくれるものでした。まるで不思議な世界を二つの私が一緒に旅をしたような感じです。このような読書体験をすると、ますます児童文学に近づいてみたくなりました。それと同時に、児童文学とは何かを考えるようになり、児童文学について研究を進めていく中で、偶然アジア児童文学大会を知ったのです。これから、児童文学をどのように研究したらよいかと困惑していた私は、中国大陸(長沙市)で開催された第14回アジア児童文学大会に参加しました。

  大会では「アジア児童文学の境遇とこれから」をめぐり、各国の研究者たちの素晴らしい発表を聞かせていただきました。立場や研究視点などが違う発表を聴講した後、児童文学は古今に通じ、中国と外国のものを融合させることのできる分野だとしみじみ感じました。児童文学は子どもによって独占される財産ではなく、大人でも楽しめるものです。児童文学の分野で活躍している作家、画家、出版関係者および小学校の教師などによる興味深い発表を聞かせていただき、児童文学作品の執筆段階から挿絵の配置の段階まで、また、出版・発売の段階から読まれる段階までは、それぞれ独立しているのではなく、互いに緊密に繋がっているということがはっきり分かりました。児童文学作品は作者、読者、出版社、あるいは読者たちがお互いに協働することで成り立っているのです。

  大会の現場にいる方から、中学生の息子が一度自殺を図ったことがあるので、自殺に関わる日本の児童文学作品を推薦してほしいという願いがありました。その話を聞いて、私は自分の無力さを心苦しく思いました。そして、児童文学を通してもっと多くの人の生活に関心を持ち、社会の片隅にまで足を運ぶべきなのだと実感しました。現在の私にできることはあまりにも少なく、何の力にもなれないかもしれません。今後私はこれからどのように児童文学の研究を進めていくのか、ずっと考えに耽っています。

中国の長沙市で開催されたアジア児童文学大会の現場

中国の長沙市で開催されたアジア児童文学大会の現場(李麗 撮影)

 


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