人文学へのいざない【下岡友加】

 この「人文学へのいざない」と題されたエッセイを読もうとクリックした人がいったい何を欲しているのか、私には正直よくわかりません。人間を十数年やってきて、誰かや何かにいざなわれなければ、自らの学びたいことを自ら決定することができない人がいるのかな?と、素朴に疑問に思っています。もしあなたが仮にそうだとするならば、失礼ながら、この先大学でどのような専攻を選んだとしても、大成する見込みはまずないという気がいたします。速やかに大学進学はあきらめて、中学或いは高校卒業後、すぐに社会に出て働いてみることを個人的にはお薦めいたします。人はやりたくもないこと、耐えがたいことを強制される環境に置かれてはじめて、自らの嗜好、志向、思考を明確に意識できるものでしょうから。

 しかし、以上のような私の厭味たっぷりの物言いにもかかわらず、まだこの文章を読み続けているあなたは、やはりどこかで「人文学」に惹かれるものがあるのかな?と推察いたします。致し方ありませんね。それでは、「人文学」の一つである「日本近代文学」を専攻してきた私が体感する、本学問研究上のメリット、しかもできるだけプラグマティック(実際的)な要素を二つだけあげておきます。

著者寄稿書の一部

著者寄稿書の一部

 まず、第一の効用は「自らの価値観を相対化し、豊かにする他者=ことばに出会える」ということです。インターネットや様々なメディアが発達した現代ですが、私たちの心を直接に揺さぶるような他者に出会えることは、そんなに多いとは言えないと思います。むしろネット社会で顕著になってきたのは、安価なことばの横行・蔓延・拡散です。対して、時代を超えて残された文学テクスト=ことばの織物は、私たちにさまざまな人々の声と価値観とその試行錯誤を教えてくれます。少なくともそのような示唆を含む強度を持つテクストのみが長い時間を生き抜くことをゆるされているのです。限られた時間=一生をどのように生きていくべきか、否、生きていきたいか。同時代人のみならず、過去やフィクションのなかの人物の生き様を知ることは、あなたの生の選択肢をより豊かにするでしょう。また、テクストに記された一つのことばが、あなたの生を励まし、支えることがあるでしょう。

 次に、第二の効用は「自らを取り巻く世界の構造を客体化できる」ということです。無論、一人の人間が、現在進行中である自身が生きている時間と社会を完全に客観視することは不可能です。しかし、文学テクストという紙の上の黒いインクの染みの羅列が、なぜ読む者の心を動かすのでしょうか。そのシステムを考察し、精読する営みを続けることによって、より巨大で流動的なテクストである現実世界を「読む」能力も自ずから身につきます。その能力によって、私たちは私たちが今、どのような世界に生きているのか、或いは、今なぜ自分がこんなにも生きることが悲しく、辛く、苦しいのかといったことをできるだけ正確に認識することができるのです。それは明日を生きていくため、自らが自らの人生の主人公になるために欠かすことのできない能力です。そして、この読解・認識能力は人間という生物に与えられた天恵であり、智慧だと言えます。

 いかがでしょうか? 一般には虚学と言われる文学ですが、上記のような考えからすれば、まぎれもない「実学」ということになります。それは、大学四年間、或いは一生かけて学んでも汲み尽くせぬほどの深い泉であることを私はここに保証いたします。

ゼミ新歓二次会

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