なりゆきで【白井 純】

  研究を始めた契機になったのは、学生時代の恩師の「君は国語学に向いてますな」でした。

  もともと真面目に勉強する性質ではなかったのですが、本を読むことは好きで、哲学書や小説をよく読んでいました。教科としての国語にも早くから親和性を示し、ろくに勉強しなくても成績は良かったのです。数学は全然駄目、英語も頑張ってようやく人並みという有様で、興味もわきませんでした。努力するのは嫌いで、受験勉強も最小限にという態度でしたから、なるべく楽をして優れた部分を発揮できるように考えたのです。こういうと身も蓋もないようですが、「水の低きに就く如し」で、向いていないところを無理して人並みにするのではなく、それぞれが自分の天分を理解して、優れた部分で活動すればいいのだと思います。

サンパウロのパテオ・ド・コレジオ

サンパウロのパテオ・ド・コレジオ

  大学では国文学を専攻することにしましたが、国語学にそれほど関心はありませんでした。そもそもそんな学問があること自体、大学で初めて知ったくらいです。最初は『源氏物語』を研究しようと思っていましたが、源氏ひとすじウン十年の先生曰く「いまさら源氏の研究をするのはお勧めしません」で、困ったなと思っていたところに冒頭の先生に勧誘されたわけです。学生のことなので「そ、そうですか」と上手いこと乗せられて国語学(日本語学)を中心に据えました。そこで漢文訓読について研究するのも良かったのですが、たまたま講座にキリシタン版を専門とする先生がおり、16世紀末にキリスト教宣教師が日本語で残した文献に興味を持ちました。大学入学直後に辻邦生の『背教者ユリアヌス』を読み、なんかキリスト教って面白そう、と思い、宗教学やキリスト教学の授業に出ていたからでしょう。卒業論文もキリシタン版でしたが、国語学という分野の特性をよく理解できなかったので、出来は散々でした。

  それはともかく、「大学院という手もあるのですわ」という指導教員の勧誘によって大学院に進学しました。これも成り行きというか、そもそも就職活動をしていなかったのでどうしようもないのです。就職するなら教職かな、とも思っていましたが、朝一番の授業に耐えられず(起きられず)、深い考えもなく止めてしまっていました。学校の先生になれば毎日早起きしないといけないし、これは自分にはムリと思ったのです。修士課程1年目の半ばにはキリシタン版の先生が他の大学に転出してしまってちょっと困りましたが、当時の大学院は放任が当たり前でしたからまあ仕方ないかという感じでした。大学院に進学して就職の見通しがあったわけでもないのですが、幸いに博士課程1年目を終えたところで指導教員によって研究室の助手に推薦され、拒む理由はなかったのでめでたく研究職に就くことができました。

リオ本日葡辞書

リオ本日葡辞書

  さて、そんななりゆきで始めたキリシタン版の研究ですが、これが実に奥深くて面白いです。キリシタン版は日本で宣教活動を行ったキリスト教宣教師が西洋式の活字印刷機を用いて日本で出版した文献ですが、ヨーロッパからやってきた宣教師にはラテン語の知識があり、ラテン語の文法書や辞書を利用して日本語の分析をして学習し、説教をしたり、宗教書を翻訳したりと宣教活動に役立てています。宣教師は日常的に多言語環境におかれていましたから、様々な発想にその影響がみられ、日本語部分だけ読んでいても正しい理解はできません。そんな文献に付き合ううちに、横文字は苦手でしたがいくらか読めるようになり、キリシタン版の調査のため海外に出ることも珍しくなくなりました。これまでに、イギリス、アメリカ、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギーの図書館で調査をしました。昨年はブラジルのサンパウロ大学で授業を担当して2ヶ月近く滞在しましたが、その合間に出かけたリオデジャネイロの図書館で、幸運にもキリシタン版の一つ『日葡辞書』を発見しました。現存が確認できる4冊目の『日葡辞書』で、中南米で初めて発見されたキリシタン版として注目されています。イエズス会のあるところ文献ありということで、今後は、中国のマカオやインドのゴアにも行ってみようと思っています。


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