ひねくれ者の歴史学【上田新也】

 私は近世ベトナム史というマイナーな分野を研究していますが、この道に入った経緯はあまり格好良いものではありません。小学生の頃から歴史が好きではありましたが、私の大学入学当時はいわゆる「就職氷河期」であったため、就職に有利と言われていた法学部に入りました。特に法律に興味があったわけではなかったので、アルバイトでお金をためては自転車で日本中をツーリングしていました。その後、法学部に入った甲斐あってと言うべきか、甲斐なくと言うべきなのかわかりませんが、一旦は就職したものの自分自身のあまりの「サラリーマン的才能」のなさに心底うんざりし、もともと歴史、特に中国史が好きであったこともあって歴史研究者を志して広島大学の文学部に編入学しました。

 編入先として広島大学文学部を選んだ理由は全く格好良いものではありません。第一に研究職志望であったので、学部だけでなく大学院まで東洋史を研究できる環境が整っている国公立であること(さすがに2回大学に行かせてもらうのに私立が良いとは親に言えないので…)、第二に編入学試験で漢文の試験を課していないこと(法学部卒業なので当時は漢文を全く勉強していませんでした)、第三に編入学試験の実施が比較的遅いこと(夏に退職したので、早めに編入学試験が実施されると準備が間に合わない)。当時、これらの条件を満たしていたのがたまたま広島大学文学部くらいしかありませんでした。要するに単なる成り行きでしかなかったのですが、当時の広島大学の東洋史がどこの馬の骨とも知れない風来坊のような人間を平然と拾い上げてくれたことには今でも非常に感謝しています。

 そんな経緯で編入学したため、広島大学の東洋史に世界的にも珍しい前近代ベトナム史の研究者がいることも入学してから知りました。当時、私は漠然と前近代史というのは決めていたのですが、中国史の演習で読む漢籍は知識人の取り澄ました感じが、風来坊の私にはどうにも肌が合わない感じがしました(今考えれば士大夫が書いたものなので、それが当然なのですが…)。しかしベトナム史の演習で触れた漢文史料はどことなく「土の香り」が漂う感じで、それが私には妙にしっくりきました。なぜかはよくわかりませんが、高校生の頃から自転車で野宿しつつツーリングしていた泥臭い人間なので(警察に家出少年と勘違いされて何度か職質されました)、恐らくそういう史料の方が私の性に合っていたのでしょう。以来、ベトナム史の「土の香り」漂う史料と格闘し続けるはめになって現在に至ります。

ベトナム中部・輞池村の史料

ベトナム中部・輞池村の史料

 そんな成り行き任せで出会ったベトナムの漢文史料ですが、現在でも未収集の史料がベトナムの村落には大量に眠っています。時には「土の香り」どころか実際に土がこびり付いていたりする史料ですが、現在の私はベトナムの村々を巡ってそのような史料を撮影して電子化しつつ、近世ベトナムの村落社会を研究しています。それらの史料を読み解いていくと、当時の人々があの手この手で税金を軽くしようと画策していたり、ある女性が村の長老を口汚く罵って村八分にされていたりして、そのあまりの「人間臭さ」に思わず笑ってしまったりします。もちろん教科書に載るような著名な人物や事件を分析するのも立派な歴史学です。しかし主役だけでは演劇が成り立たないように、歴史というのも過去の無数の人々の営みの積み重ねの上に成り立っているのであって、歴史上の偉人や大事件はそれらの氷山の一角にすぎません。ベトナム村落文書の魅力はそのような埋もれてしまいがちな市井の人々の生活の営みを感じられることにあります。そういう意味では、学部生の頃にベトナムの史料を読んだ時に感じた「なんとなくしっくりくる」という感覚は決して間違いではなく、どうもひねくれ者の私にはぴったりの史料であったようです。ただの結果論といえばそれまでですが、格好良く言えば出会うべくして出会ったということなのでしょう。人生分からないものです。

 長々と書いてきましたが、歴史は好きだけれども歴史上の偉人にはあんまり興味がないひねくれ者、あるいはひねくれ者と言われて褒められていると感じてしまうほどにひねくれてしまった人間にはベトナム史は非常に向いていると思います。

撮影前の史料整理 (ベトナム中部・蘇陀村)

撮影前の史料整理 (ベトナム中部・蘇陀村)


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