言語学は科学です【上野貴史】

・研究を始めた契機
 現在は、理論言語学、特に歴史統語論を専門として研究を行っているが、その契機は、恐らく大学入学のための英語の受験勉強であったように思う。当時、高校で使用していた参考書(確か『英語構文の理解』というタイトルであった)の中に、全国の大学入試で出題されたかなり難解な英文が掲載されており、それを和訳するときに、何か数学の問題を解くのに近い感覚を持ったことを覚えている。英語を訳すときには、英語の公式、即ち文法というものが論理正しくあり、この公式に当てはまらないものがあると、1行に何十分もかけてその英文と格闘したことを記憶している。後に、大学で言語学という専門分野に入り、このような高校時代の格闘が、言語学という分野であることを知ることになる。
 
 このことから、現在、統語論を生成文法理論を用いながら、研究しているのだが、もう一つの歴史言語学については、その契機はさらに遡る。小学生の頃から、歴史、特に古代史に関心があり、小学校の卒業論集に「将来の夢は、歴史学者になること」と書いたほどである(今でも、言語学より歴史学の方に興味があるが…)。こういうことがあってか、研究者となりたての頃は、現代語(イタリア語・英語・日本語)を研究していたが、今では、古典語からの通時的推移に関心が移り、歴史統語論に重点を置いている。

クルスカ辞典

1583年に設立された世界で最も古いアカデミーである
クルスカ学会による言語学分野所蔵の1741年のクルスカ辞典

・専門分野
 言語学は語学とは異なり、人間が話す言語の普遍性を探究する科学的学問である。とは言え、何かの個別言語を対象にしないことには、人間言語の普遍性を見出せない。そこで、私は、イタリア語、英語、日本語を対象言語とし、各言語の違いを指摘するのではなく、共通している部分(普遍性)を見出すことを目指している。

 日本語には、
『かやうなる女・翁なんどの古言するは、いとうるさく、』(大鏡)
という古典語から、
『このような女や翁などが昔のことを言うのは、とても煩わしく、』
などと訳せる現代語への推移がある。現代語訳の下線部分の「の」は、室町時代まで見られず、格助詞の「の」が補文標識(C)となったものである。たかが「の」の追加ではあるが、樹形図で示しているように、文法的には補文標識の発達は、言語構造をより複雑にする仕組みと連動している。このような日本語の補文標識の発達は、他の言語においてもよく類似した形で見られる。イタリア語においても、古イタリア語では、日本語の「の」にあたる補文標識が発達していないが、現代語ではまさに日本語の「の」にあたるdiという補文標識を発達させている。このような日本語とイタリア語における補文標識の発達は、同じような統語構造を変化させているだけでなく、日本語の後置詞「の」とイタリア語の前置詞diが補文標識に文法化していることも興味深い。

 言語学分野に入ってくる学生は、言語学を語学と同じものと勘違いしている学生が多い。授業では、言語学は、語学・文学とは全く異質な、言語の構造を明らかにする科学であるということを意識的に強調している。「こんな風に思う」、「こんな感じ」ということは、言語学には通じない。正しく根拠を持って一定の規則を論証する必要がある。

Tree Diagram(樹形図)

Tree Diagram(樹形図)


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