メールマガジン No.73(2016年5月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.73(2016年5月号)
2016/5/23 広島大学大学院文学研究科・文学部

□□目次□□
1.文学部・文学研究科長からのご挨拶
2.新任教員挨拶
3.「総合人間学」特別講義レポート
4.オリエンテーションキャンプ参加記
5.広報・社会連携委員会より

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【1.文学部・文学研究科長からのご挨拶 文学部・文学研究科長 久保田啓一】                                      

 4月より文学研究科長を拝命しました久保田啓一と申します。江戸時代の文学を研究対象としており、いろいろな未知の資料を発掘して、江戸時代の人々の表現意識や価値観を彼らに即して汲み上げ、これまでの常識や定説をひっくり返してゆくことに無上の楽しみを抱きつつ、研究生活を送ってきました。研究科・学部の管理運営などという柄にもない仕事を仰せつかり、いささか途方に暮れております。2年の任期はともかく勤め上げよう、あと残りは23ヶ月かと指を折りつつ、あわただしい日々を過ごしております。

  最近、幕末福井藩の松平慶永とその周辺が記録した未翻刻の和歌・漢詩・俳諧の雑記帖をあれこれと読んでおりまして、田安徳川家の人脈を通して慶永が全国の諸大名と濃密な文化圏を作っていたこと、親藩・譜代・外様の別なく多くの大名が文芸を通じて慶永と親交を結んでいたこと、そして慶永が幕末の動乱に決して心を乱すことなく文芸に遊ぶ余裕を持ち続けたことが、厖大な資料の行間から生き生きと浮かび上がってくるような感じを持ちました。幕末・明治の激動期を悠揚迫らぬ一貫した態度で生き抜くのは並大抵のことではなかったはずです。慶永の内面深くに確固としてある自信と文芸愛好の趣味、この二つが慶永の支えであったに違いないと、読み進めるうちに確信を得ることができました。

 人とはどのような存在か、人がよりよく生きるにはどうすればよいかを究極の課題とする人文学は、人の心が動揺し、人間社会があちこちで軋み出した現代において、人間が本来持つはずの知性・良心の再確認に是非とも必要な学問です。これまでの学問の蓄積を大切にし、その上で人文学の価値をより広く深く伝えることができれば、文学研究科は重要な使命を果たすことになります。そのためのお手伝いとして微力を尽くすつもりです。2年後の御放免を心の支えて……。

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【2.新任教員挨拶】

  文学研究科では、4月に4人の教員が着任いたしました。今号から2回にわたって、新任教員のコラムを掲載いたします。

○4月1日付で英語学講座に着任しました大野英志と申します。

  中世英語英文学、特にGeoffrey Chaucerの言語を研究対象としています。特定の文法・語彙項目(現在は、非人称構文)について、英語史上で14世紀後半にどのような状況にあったのかを踏まえた上で、その用法がChaucerの作品にどのように現れ、それによってどういった解釈が可能となるのかを明らかにしようとしています。ただ、用例の分析においては、個人的(主観的)な「読み」も大切にしながらも、コーパス言語学、語用論、認知言語学などの諸言語理論(の一部)を用いて、可能な限り客観的な説明に努めています。

  中世英語英文学との出会いは、学部3年次の "The General Prologue to TheCanterbury Tales" の講読でした。語順や語彙が現代とは違い、また弱強五歩格の脚韻詩という詩形も当時の私には不慣れで、グロッサリーを引きながらもなかなか意味を取ることができませんでした。しかし、その「謎解き」的要素が私の好奇心を強くそそりました。そして、その後の卒業論文以来、その「謎解き」に取り組んでいます。

  文法・語彙項目の当時の用法を知るには、私が学生だった1990年代には、刊本の他に紙媒体のコンコーダンスしかありませんでしたが、その後電子コーパスが整備され、現在ではある程度のテクストを電子的に処理できるようになりました。しかしながら、そのコーパスも全てのテクストを収録しているわけではなく、またコーパスがあるとはいえ、その用例を正確に読む方法は示されていません。そこにこそ、テクスト精読を基礎とする広島大学の英語学講座が強みを発揮できると考えます。そして、微力ながらこの点において貢献できるように精進したいと思います。皆様方のご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

☆大野准教授のプロフィールはこちらをご覧下さい。           

○平成28年4月1日に着任しました、倉田賢一と申します。イギリス小説と文学理論を担当します。
  もともとの専門は19世紀の作家であるジョージ・エリオットの小説と精神分析(フロイト・ラカン)的解釈ですが、長期的には19世紀・20世紀小説全般、また文学理論の諸部門について研究をすすめることで、近代小説の本質的価値が何であるのかを考えていきたいと思っています。

  近代小説の本質的価値などと言いますとなにやら大げさで、また「本質」一般が疑いの目をもって見られる今日ではありますが、「文学」を(見方によっては不相応に)高い地位へと押し上げたものは近代リアリズム小説であり、それがいま(これも見方によっては不相応に)低い地位へと押し下げられようとしているところ、「文学」研究をあらためて自己定義することが必要とされているように思われます。

  この点、「文学」も学生の「論理的思考力」や「課題解決能力」を高めることで社会に貢献するのだ、とするのが一般的です。もちろん、解けないようにできている知恵の輪にとりくんでいるうちに、解けるようにできている知恵の輪がいつのまにか解きやすくなっている、ということはあるかもしれません。しかしそれが、解けない知恵の輪にとりくむことそれ自体の(あるいは自己破壊的な)魅力のすべてだとは思えません。リアリズム小説の魅力は、現実がそのままに映されているのを見ることそれ自体の快楽というよりは、むしろ現実が論理的にわりきれず、探偵小説のようにはすっきりと解決できないものであることに、思いをいたすことの不快とつきあうことにあるのではないでしょうか。

  直近で検討しているカズオ・イシグロの小説も、信頼できないナラティヴのわりきれなさにもやもやする、一種の不快を楽しむことを読者に教えているように思われます。それが一体何なのかを考えていきたいと思います。

☆倉田准教授のプロフィールはこちらをご覧下さい。

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【3.「総合人間学」特別講義レポート 総合人間学講座教授 河西英通】

ウィリアム・スティール先生「明治日本:西洋化とその不満」を聴く―集中講義「総合人間学」特別講義―
                                           
  文学研究科の一年は集中講義「総合人間学」から始まる。すでに10年近い歴史があり、当初は合宿スタイルをとっていたが、諸般の事情により全日程をリテラ教室で行うようにしたのは、2012年度からである。同年から特別講義を組み込み、毎回、外国人研究者をゲストスピーカーに招いてきた。5回目になる今年は、国際基督教大学(ICU)の名誉教授ウィリアム・スティール先生を招聘し、Meiji Japan: Westernization and its Discontents(明治日本:西洋化とその不満)と題して約1時間の講義をうかがった。

  明治維新につながるペリー来航から説きおこし、吉田松陰や横井小南らの思想を分析することで、ナショナリズムと西洋志向が共存していたことが指摘された。Westernizationとは近代化を意味したが、反近代の思想と行動が存在していたことも『開化因循興廃鏡』や佐田介石の「馬鹿番付」の紹介により知ることができた。文明開化といえば福沢諭吉だが、彼の著作をパロディ化した万亭応賀の『学門の雀』のセンスも愉快である。

  スティール先生の立脚点は多元主義である。歴史は多面体であり、解釈もさまざまに可能であるという視点に立っている。直截にいうならば、〈地方主義と国家主義〉の両面から歴史を見て行こうとする立場である。先生の主著が『もう一つの近代―側面からみた幕末維新』(ぺりかん社、1998)と題されていることは、まさに象徴的だろう。

  当日の参加者は約100名。いくつかの質問が出され、戦後日本のとらえかた、文化のせめぎあいのありようなどが、短い時間ながら議論された。先生はいくつかの印象深い言葉を強調した。なかでもCritical Thinking(批判的思考)とDoubt(疑え)が心に残った。大学で学び、大学に生き、大学を愛する者なら、すべからく求められる責務であることを改めて教えていただいた。受講生の皆さんともども、深く感謝したい。
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【4.オリエンテーションキャンプ参加記 総合人間学講座准教授 溝渕園子】

  文学部では、毎年4月に「新入生オリエンテーションキャンプ」が行われています。今年も同月16日・17日、新入生と2年生・3年生、教職員の総勢約300名が、「国立山口徳地青少年自然の家」に集まって親睦を深めました。40年以上の歴史を持つこの行事(通称「オリキャン」)に、私は就学相談室の室員として初めて参加しました。

 「オリキャン」は、まず、熊本地方を中心とする地震で犠牲になった方々に黙祷を捧げ、入所式から始まりました。その後、新入生との交流を図るさまざまなスタンツや企画が続き、当日に向けて上級生が1年間準備を重ねてきた成果が発揮されました。あいにく天候が安定せず、初日の夜は強い風雨に見舞われるというハプニングもありましたが、実行委員会の適切な対応と参加者各自の協力により、2日間のキャンプは無事終了しました。

 新入生にとって、「オリキャン」は、文学部の様子を知る機会であるばかりでなく、班活動などを通して、学年や分野をこえた今後の人間関係を築くきっかけにもなりうるようです。それが、たとえば自らの進路を考える際、手がかりのつへとつながることもあると聞きました。

  参加した学生の「広大に来て良かった」という言葉は、こうした学生主体の「オリキャン」を支える力なのかもしれません。この行事が、参加者それぞれに何かと向き合い、新たな視点や理解の得られる場であり続けることを願っています。

  最後になりましたが、執筆にあたり、新入生歓迎行事実行委員会執行部の佐藤魁人さん(文学部3年・総局長)、秦光平さん(同・企画局長)、赤尾真明さん(同・総務局長)に協力していただきました。ここに記して感謝いたします。

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【5. 広報・社会連携委員会より 広報・社会連携委員長 高永 茂】

  メールマガジンNo.73をお届けします。
  4月には文学部・文学研究科に様々な変化がありました。久保田研究科長の就任、新任教員の着任、そして新入生の入学です。この編集後記を書いている高永も、今回からメールマガジンを担当することになりました。本号では、新研究科長と新任教員の挨拶、新入生のために開催されたオリエンテーションキャンプの記事などを掲載しています。これからも、文学部・文学研究科の行事や活動について随時お伝えしていきたいと思っています。
よろしくお願い申し上げます。
  なお、新任の教員は4名ですが、中村先生とロリヤール先生の記事は次号に掲載する予定です。

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リテラ友の会・メールマガジン

オーナー:広島大学大学院文学研究科長  久保田 啓一
編集長:広報・社会連携委員長  高永 茂
発行:広報・社会連携委員会

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