メールマガジン No.102(2021年3月号)

メールマガジン No.102(2021年3月号)
リテラ友の会 メールマガジン No.102(2021年3月号) 2021/3/23

□□目次□□
1.文学部退職教員あいさつ
2.2020年度卒業論文優秀者による発表会報告
3.エッセイ「コロナ禍の休日をどう過ごす?―広島南アルプス縦走記―」
4.文学部ニュース
5.広報委員会より

1.文学部退職教員あいさつ【欧米文学語学・言語学コース(英米文学語学分野)教授 Vallins, David(ヴァリンズ デイヴィッド)】

   2000年から広島大学文学部に勤務されたVallins, David(ヴァリンズ デイヴィッド)教授が今年3月退職され、本国イギリスに帰国されます。退職に際し、英語であいさつ文をいただきましたので、原文のまま掲載いたします。(文末に後半部分だけではありますが、欧米文学語学・言語学コース(英米文学語学分野)の同僚 吉中教授の翻訳文を掲載します。)

   I came to Hiroshima University in 2000 from the University of Hong Kong, where the post-colonial changes were not yet dramatic, though political considerations encouraged the senior staff to appoint non-British scholars to longer-term posts. English was a second language for most Hong Kong students too, but the main difference in Japan was that students wouldn’t engage in debate nearly so eagerly as those in Hong Kong, so that seminars were mainly lectures unless each student was given a particular question to reply to. Another difference, however, was that both students and staff were generally friendlier, without the sense of rivalry and competition that’s so central to everything in Hong Kong. The requirement to teach some language- rather than literature-related courses in Japan is often off-putting for scholars from English-speaking countries, but provided the classes are focused on literature and/or critical thinking I’ve found this no problem. The increasing emphasis on giving 15 weeks of classes in a semester was less appealing, though I understand that this reflects the U.S. model, in contrast with the U.K. pattern of 10 or 11 weeks. One feature of Japan that has remained less satisfactory, however, is the custom of teaching in the middle of the summer: from a non-Japanese perspective, this is very surprising, since the weather is too hot, and in other countries the summer is reserved for activities other than regular classes: in Britain, America, and Hong Kong, teaching usually ends in April or May, with examinations in late May, so that grading is completed by the end of June, allowing staff to attend overseas conferences and generally to be away from the university during July and August; and the impossibility of this pattern in Japan is a significant disadvantage. The extension of teaching into August implies that more classes create better universities, but this schedule significantly limits the opportunities of staff to speak at international conferences and achieve related publications, while its advantages for students are by no means obvious.

  More generally, however, Japan presents many challenges for overseas staff which don’t exist in places such as Hong Kong, Singapore, or Macau. So many documents are received only in Japanese, and meetings are so exclusively held in Japanese, that a degree of bilingualism as well as knowledge of Chinese characters seems almost to be assumed, whereas in Hong Kong, most non-Chinese lecturers didn’t even know the Chinese characters for ‘university’, and meetings, classes, and administrative forms were all in English. The time required to learn Japanese will clearly be subtracted from other activities, so that the research productivity of overseas staff is liable to be reduced, and attracting them from countries where English (or more familiar European languages) are used is more difficult. Orientating Japan more towards international models is always a controversial idea, but I wonder whether this may be necessary in order for Japanese universities to prosper. I have been fortunate, however, in receiving great assistance with Japanese communications, without which my job would have been impossible.

  I should add, however, that the greater friendliness of Hiroshima University, compared with either Hong Kong or U.K. universities, has been a major advantage, and that the freedom of Japan from the politics of social class in Britain has been a particular advantage. My colleagues have been exceptionally friendly and helpful, and this, also, is what has made it possible for me to be here for more than 20 years. I expect I will also miss my students and former students, several of whom have been outstanding scholars, and I wish them and my colleagues all the very best in future.

  私は西暦2000年に香港大学から広島大学に着任しました。・・・(中略:英文をお読みください。欧米やアジアの大学と比較しながら、なぜ自分のような英語を母語とする研究者が日本の大学で苦労するのか、言い換えれば、研究者にとってなぜ広島大学の国際化が難しいのか、興味深い意見が書かれています)・・・私の前任校である香港大学やイギリスの大学に比べて、親切さは、これまで広島大学の主たる長所でしたし、特に、英国の社会階級制度の政治的な側面から日本が解放されているということも利点でした。私の同僚たちは本当に親切でよく私を助けてくれました。これこそが20年以上も私が日本にいることを可能にしてくれたものでした。私の学生や修了生たち、中には傑出した学者になった学生も数人いますが、彼らのことを懐かしく思うでしょう。学生たちや同僚たちの来るべき日々の最善を願っています。

2.2020年度卒業論文優秀者による発表会報告

  さる2月17日(水)13時から卒業論文優秀者による発表会を開催しました。発表者は9人で、いずれの発表も各分野を代表する秀作であり、拝聴して大きな刺激を受けました。また今年度はコロナ禍の中、対面参加とオンライン参加を同時に行うハイブリッド方式をはじめて試みました。みなさまのご尽力のおかけで全く問題なく会を終えることができ、深くお礼申し上げます。対面参加者22名、オンライン参加者42名、例年よりもずっと多い参加者となり、今後もこの方式がスタンダードになるのだなあと実感しました。今回のメルマガでは、発表者の中から2人の卒業論文の要旨を紹介いたします。あわせて、指導教員からのコメントも紹介いたします。

○A Philological Study of Substandard Speech in Oliver Twist
『オリバー・ツイスト』における非標準英語の文献学的研究

欧米文学語学・言語学コース(英米文学語学専攻)本多花衣

  卒業論文では、Charles Dickens (1812-1870)の初期の代表作Oliver Twist (1837-39)を扱いました。Oliver Twistは、主人公である孤児オリバーが様々な逆境に直面しながら強く成長していく姿を描いた長編小説です。救貧院や奉公先での酷い仕打ちに耐えかねたオリバーはひとり徒歩でロンドンへ行き、フェイギンが率いる窃盗団と関わることになります。この泥棒一味をはじめ、下層階級に属する登場人物の発話の中では非標準英語が多く用いられています。本稿では、作品中の非標準英語の用例を収集し、文献学的手法を用いて音韻、文法、語彙の三つの観点から、作品中の非標準英語の言語的特徴や文学的効果について考察しました。

  その結果、ディケンズは下層階級の登場人物たちに共通する言語的特徴を見出すとともに、登場人物それぞれの個性も強調するために、様々な言語的な工夫をしていることがわかりました。ほとんどの場合、非標準英語の使用は話し手の教養の無さを示していますが、時には個人語(idiolect)やおどけた話し方、さらにはディケンズ特有の皮肉を示していました。

  また、下層階級の登場人物による難語の誤用(malapropism)や俗語(slang)の使用例も多く見られました。俗語の使用場面を見ると、語り手や他の登場人物の発話によってその意味を補い、その俗語を知らない読者に理解させようとしているディケンズ特有の工夫も見つけることができました。多様な俗語の使用によって、登場人物の個性がより強調される効果を見出すことができました。
 
  さらに、それぞれの登場人物によって、非標準英語の使用頻度が異なることにも意図があると思いますが、卒業論文では深く触れることができなかったため、今後機会があればさらに研究したいと思っています。

【指導教員コメント 今林修教授】
  本多花衣さんの卒業論文は、ディケンズの初期の代表作『オリバー・ツイスト』における登場人物の非標準英語の使用を、音韻、文法、語彙の面から文献学的手法を用いて精緻に分析したものです。

  まず、驚かされるのは、論文の質もさることながら、圧倒的な分量です。総単語数22,699語、総頁数76頁の英語論文で、『オリバー・ツイスト』の総単語数が157,873語ですから、原作のおよそ14%にあたります。

  また、論文の材料として約800の例文を収集し、Microsoft Excelに手作業で根気よく入力し、それぞれに音韻72項目、文法10項目、語彙114項目の分類ラベルを付与し、それによって分類された事項について先行研究を丹念に参照しながら分析し、纏め上げた労作です。

  正確に言語材料を収集し、筋道を立てて根気よく分類し、それらを基に先行研究を紐解きながら分析するという文献学における基本姿勢は、本多さんが社会人になっても必ず役に立つことと信じています。社会での尚一層のご活躍を期待しています。
 

発表する本多花衣さん

本多さんの発表の一コマ

○京都国立博物館が所蔵している国宝十二天像について
地理学・考古学・文化財学コース  (文化財学専攻)坂本綾乃

 卒業論文では、京都国立博物館が所蔵している国宝十二天像という作品を扱い、先行研究で述べられている表現・技法との比較を行いました。

 本図は、三幅で一鋪を成す縦長の絹本着色画で十二幅あります。また東寺の寺史である『東宝記』から制作年代が大治二年(一一二七)だとわかる貴重な基準作例であり、後七日御修法(ごしちにちのみしほ)に使用された院政期の遺品として知られています。

 私は実際に東京国立博物館で展示された本図を見てから、本図の先行研究である『国宝十二天画像』に載っているカラー写真、赤外線写真、X線写真と安嶋先生と吉村氏が撮影したスライド写真を観察して表現・技法の記述を行いました。

 そもそも美術史とは「いつ」、「どこで」、「誰が」、「何を」、「どのように」、「なぜ」造ったものなのか、歴史上におけるモノの存在意義を客観的な情報に基づき解明するという学問です。十二幅をそれぞれ観察して記述していく中で、私は自身の物事を言語化する能力の未熟さを痛感し、主観的な考えではなく客観的事実に基づいて解明することの難しさを突きつけられました。しかし、自分のできる限りの力で最終的に先行研究とは異なる見解を示すことが出来たのは微力ではありますが、本図の研究の一助になったのではないかと思っています。

 大学院では、本図の観察から得た院政期の美術における特徴から他の院政期の作品についての表現の考察を行いたいと考えています。

【指導教員コメント 安嶋紀昭教授】
 坂本綾乃さんは早くから学芸員志望で、『尾道市史』編纂委員会の協力員に抜擢され、浄土寺所蔵重要文化財両界曼荼羅のX線調査をしながら二十歳の誕生日を迎えたという、珍しい経験の持ち主です。卒論では当研究室秘蔵の膨大な写真資料を丹念に分析し、京都国立博物館所蔵国宝十二天画像の表現・技法について、誤謬に満ちた諸先学の報告を実証的に正しました。今回の発表会で披露してくれたのは、本文字数およそ125000字、掲載図版279点に及ぶ大著における、その成果の一端です。

発表する坂本綾乃さん

坂本さんの発表の一コマ

オンラインで発表者を表彰する友澤文学部長

発表を熱心に聞く会場の様子

3.エッセイ「コロナ禍の休日をどう過ごす?―広島南アルプス縦走記―」 【地理学・考古学・文化財学コース(地理学分野)教授 友澤和夫】

  広島南アルプス?何だそれは、という人は多いと思います。駅で言えばJR山陽本線新井口駅から可部線大町駅間のハイキングコース(図1・図2)をさしており、ウィキペディアにも出てきます。最高峰は火山(ひやま、488m)で、アルプスと言うには確かに低すぎますが、普通に歩くと8時間ほどかかり、踏破するにはそれなりの体力を要します。

図1

(出所:https://www.yamareco.com/modules/yamareco/showmap.php?did=2951549&mode=cyberjapan)

図2

(出所:https://www.yamareco.com/modules/yamareco/graph.php?did=2951549に加筆)

  私は3年ほど前から通勤途中に見える山に登るということをやり始め、ここ1年は安佐北区最高峰の白木山(889m)を専らとしてきました。今日(2月23日)は早くに目が覚めたので、思い切って広島南アルプルに挑戦することにしました。大町駅の近くに車を置いて電車に乗り新井口駅に着いたのは7時前でした。まずは鈴ケ峰に登って、そこから尾根沿いにひたすら歩きます。広島の低山の常ですが、尾根道沿いの雑木は樹勢があって眺望が効きません(写真1。なお、道の両サイドが耕されているようにみえるのは、イノシシによる掘り返しのせい)。例外は、花崗岩の巨石が山頂付近にある場合です。とくに素晴らしいのは、大茶臼山手前の展望岩と武田山からの眺望です。展望岩からは、登頂を終えた柚木城山を挟んで右手にはイオンのアウトレットモール、左手には広島デルタとその奥に広島湾が見えます(写真2)。武田山からは広島デルタの眺めは遠くに退きますが、安佐北・南区の団地群や白木山の山系がよく見えます(写真3)。

写真1

写真2

写真3

  広島南アルプスを構成する山々は、古い歴史を有します。たとえば火山には神武天皇が東征の際に狼煙を上げたという伝承があります。柚木城山と鬼ヶ城山は中世には山城があったとされ、武田山は安芸武田氏が佐東銀山城を置いたことで知られます。高度経済成期以降になると送電用の鉄塔が設置されました。そして現在増えているのは、携帯電話や地上デジタル放送、防災無線用の電波塔です。山頂に造る建物は、時代のニーズによって移り変わってます。また、山麓部の住宅団地の広がりは、上から見ると凄まじく、よくぞここまで開発したものだと感嘆する程です。そうした中にあって、俄には信じがたいのですが、写真4のような人相書も出回っています。

写真4

  ハイキングの前半では歩みは軽快でしたが、後半の火山と武田山への登りでは鍛えられました。文学部棟の階段傾斜(約30°)を遥かに上回る急登を100m以上2回も登らされ随分消耗しました。2リットルのペットボトルも空になったので、名水とされる大町観音水(写真5)を汲み、車に戻ると15時を過ぎていました。

写真5

  ハイキングの効用は多々ありますが、マスクを装着せずに楽しめるという点を、コロナ禍の今であるからこそ強調しておきます。皆さんの団地の裏に出没することがあるかもしれませんが、そのまま放置するか、あるいは声を掛けて下さっても嬉しいです。

4.文学部ニュース

○ ドイツ文学語学3年生廣石卓さんが「第9回京都女子大学ドイツ語俳句コンテスト」で特別賞を受賞しました。
※ 詳細はこちらをご覧ください。

○令和3年度広島大学入学式
学部新入生向け
【日時】2021年4月3日(土) 11時開式(12時頃終了予定)
【場所】東広島運動公園体育館

大学院新入生向け
【日時】2021年4月3日(土) 14時開式(15時頃終了予定)
【場所】広島大学サタケメモリアルホール

※ 詳細はこちらをご覧ください。

5.広報委員会より【広報委員会委員 後藤 拓也】

 メールマガジン第102号は、今年3月に退職されるヴァリンズ先生の御挨拶、2020年度卒業論文優秀者による発表会報告、そして友澤先生より頂いたエッセイ、さらには文学部ニュースと、盛り沢山の内容になっています。
 卒業論文優秀者による発表会には、私の指導学生が発表させて頂いたこともあり、指導教員として初めて参加しました。今年は新型コロナウイルスの影響で、分野を問わず、卒論生は例年にない苦労を強いられたと思います。しかし,各分野9名の発表はいずれも力作ぞろいであり、不測の状況下でも(やり方次第で)研究が進められる事を示してくれた意味で、たいへん頼もしく感じました。
 新型コロナウイルスの影響は、変異種の感染が拡大するなど、まだしばらく続きそうです。来年度もオンラインでの授業や論文指導を行わざるを得ない状況ですが、一刻も早く感染拡大が収束し、学生が不安を感じることなく卒業論文に取り組める環境が戻ってくれることを願うばかりです。

 

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リテラ友の会・メールマガジン

オーナー:広島大学文学部長  友澤和夫
編集長:広報委員長  末永高康
発行:広報委員会

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