メールマガジン No.77(2017年1月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.77(2017年1月号)  2017/1/25

□□目次□□
1.広島大学公開講座〈隣人〉との出会いと語らいー旅する人文学ーレポート
2.21世紀の人文学講座2016レポート
3.宮島彫のワークショップ「工芸未来」レポート
4.コラム〜厳島神社五重塔
5.文学研究科(文学部)ニュース
6.広報・社会連携委員会より

1.広島大学公開講座〈隣人〉との出会いと語らいー旅する人文学ーレポート【総合人間学講座教授 河西英通】

 広島大学エクステンションセンターの公開講座「〈隣人〉との出会いと語らい―旅する人文学―」を、2016年11月12日と11月19日の2回にわたって開きました。

 12日は中村平さんの「台湾先住民との出会い」
中村さんは戦前日本による台湾の植民地統治、1930年におこった霧社事件などにもふれながら、民族自治や国際先住民運動について、多くの画像を示して講義されました。当日はあいにく(?)胡子大祭と重なりましたが、出席者のみなさんは熱心に受講し、南の隣人、台湾の(おそらく)未見の歴史と文化を深く勉強されました。

19日は溝渕園子さんの「未知との遭遇―『おろしや国酔夢譚』を読む」
溝渕さんは井上靖の『おろしや国酔夢譚』を素材に、近世から近代にかけて、漂流記が歴史小説に転換する様をわかりやすく説明され、大黒屋光太夫のロシア体験とは何だったのか、夢という言葉に折りたたまれた意味はなにかと、出席者のみなさんと語り合われました。動画なども多用された楽しい講義でした。

受講生の皆さんはベテランの方々ばかりで、かなり突っ込んだ質問や意見も出ましたが、これが公開講座の醍醐味であり、楽しいところです。受講生相互の議論もありました。人文学がもつ自由さを司会者の私も含めて、みな満喫できたのではないでしょうか。ただし、宣伝の仕方をもっと工夫すればよかったかもしれません。2回とも終了後には反省会を開き、そうした話もしました。

 

21世紀人文学講座

公開講座の様子ー溝渕園子准教授

2.21世紀の人文学講座2016レポート【総合人間学講座教授 高永茂】

    昨年12月3日(土)にひと・まちプラザ(広島市まちづくり市民交流プラザ)において、文学研究科主催 リテラ「21世紀の人文学」講座2016が開かれました。講師は文学研究科の衞藤吉則准教授と硲智樹准教授でした。テーマは「哲学・倫理学を通して物の見方を考えてみよう」。参加者は93名で、たいへん活気のある講座となりました。

   衛藤先生の演題は「日本的な物の見方とは?」でした。「日本的な物の見方」の背景に見出される肯定的で積極的な意義に注目して、①感情の論理(簡素・静寂・清明・枯淡を愛する感性)、②点の論理、③総合的な思考という三つの視点から解説がありました。

   硲先生の演題は「西洋的な物の見方とは?」で、西洋的な物の見方を特徴づけるキーワードである「合理的/合理性」を中心に話が展開しました。合理的な思考とは物事を筋道立てて考えること(論証能力)であり、会話の合理性は発言が理由によって支えられている点にあると説明されました。

   2名の講師によって論点がうまく整理されていたので、異なる文化における物の見方の違いを明確に意識できたと思います。今回の講座も幅広い層の参加があり、活発な質疑応答が行われたところにも哲学・倫理学や「ものの見方」に対する関心の高さがうかがえました。ひと・まちプラザのスタッフの皆さまには円滑な運営を行っていただき心から感謝いたします。

 

リテラ「21世紀の人文学」講座2016

衞藤吉則准教授ー演題「日本的な物の見方とは?」

リテラ「21世紀の人文学」講座2016
リテラ「21世紀の人文学」講座2016

硲智樹准教授ー演題「西洋的な物の見方とは?」

リテラ「21世紀の人文学」講座2016

公開講座を終えて記念撮影(中央:筆者高永教授)

3.宮島彫のワークショップ「工芸未来」レポート【地表圏システム学講座准教授 伊藤奈保子】

  直径15㎝の栃の木の盆に、彫刻刀でもみじの葉2枚を彫り込む―。平成28年12月3日、宮島彫の伝統工芸士で宮島細工協同組合理事の広川和男(一仙)氏、助手の大野浩氏、同組合事務局長の森本啓司氏の3人を広島大学東広島キャンパスにお迎えし、宮島彫のワークショップ「工芸未来」を行った。

  平成26年度より、文学研究科文化財学の学生有志を中心に「ひろしま 手技 すご技 再発見プロジェクト」と銘打ち、職人さんや一般の方々のご協力を頂き、主に広島の手仕事をテーマとしてワークショップと展覧会を行っている。

  今回取り上げた宮島彫は、嘉永年間に遡るロクロ細工で成形したお盆に、江戸後期から始まる宮島彫の線刻を施す伝統工芸の見事なコラボレーションだ。広川氏はこの道45年、中国山地の豊かな木材による生活木工品に、厳島神社風景や宮島に自生する草木を、浮かし彫り、沈め彫り、線彫り等の技法を駆使して黙々と彫りこんできた。

  ワークショップには当初定員の40人を大幅に上回る58人が参加。大学ホームページのお知らせと、中国新聞に掲載された予告記事を見て申し込んだ人も少なくなかった。思い思いの彩色を施して作品が仕上がると、歓声を上げる光景が見られた。アンケートでは、「思いのほか作業が難しかった」といった意見が多く寄せられ、あらためて宮島彫の技術の高さに驚嘆する様子がうかがわれた。

  宮島に戦後800人ほどいた木工にかかわる職人は、現在30人弱となり、原料の不足、技術の継承の問題で揺れている。廿日市市営による宮島伝統産業会館では、後継者育成の一環として、今回と同様のお盆作りが行われている。宮島細工の歴史を紐解き、工芸の現在に思いをはせる格好の機会、ぜひ体験されてみてはいかがだろう。

○参加された方の感想を開催いたします
   伊藤先生のワークショップに参加するのは、金唐紙に続いて2回目でした。いつも貴重な体験をさせてもらい、感謝の気持ちでいっぱいです。今回も、プロ使用の彫刻刀に気分は伝統工芸士でした。また丁寧な準備と目配り・心配りのおかげで、スムーズに楽しく作業することができました。作品は居間に飾っています。

宮島彫のワークショップ「工芸未来」

説明される広川和男(一仙)氏

宮島彫のワークショップ「工芸未来」
宮島彫のワークショップ「工芸未来」
宮島彫のワークショップ「工芸未来」

4.コラム〜厳島神社五重塔【歴史文化学講座教授 本多博之】

  厳島(宮島)に近づくフェリーから見える朱色の建造物に五重塔があります。

島の中腹に千畳閣と並んで立っている姿は、麓の厳島社殿とはまた違った趣があります。

 世界遺産「厳島神社」を構成する建造物群の一つですが、非公開なので、内部の様子はあまり知られていません。

  初層(一階)にはもともと釈迦三尊像(釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩)が安置されていました。しかし、明治初年(1868)の神仏分離令により、仏教的要素を持つ建物や彫刻・工芸品が撤去されるなかで、三体の仏像も神社所有物とされた五重塔(本来は仏塔)から切り離され、社殿の出口付近にある大願寺に移されました。初層の四方の壁には「真言八祖図」といって真言宗の成立から日本伝来に深く関わった空海までの八人の高僧の肖像画が掛けられています。また、八枚の人物像の背景には禅宗絵画の代表的なモチーフである瀟湘(しょうそう)八景図の八場面がそれぞれ描かれていて、都の王朝文化と当時の外来文化としての水墨画が融合した貴重な文化財です。さらに初層には朱色に漆塗りされた16本の柱が有り、そこには三体の仏像をはじめ朱柱を寄贈した人々の名前が居住地とともに黒漆で書かれています。その多くが厳島島内や廿日市など島の周辺に住む人々で、しかもその多くが女性です。
  「女人往生」で有名な厳島の神に対する戦国時代(1530年代)の女性たち信仰心の深さがうかがえます。

厳島神社五重塔

厳島神社五重塔

5.文学研究科(文学部)ニュース

○越智 貢 教授 退職記念講演を開催します

【 題 目 】 『倫理学研究秘話』
【 日 時 】 平成29年2月18日(土)15:00~
【 場 所 】 文学研究科B204講義室(リテラ)

6.広報・社会連携委員会より 【広報・社会連携委員会委員  上野貴史】

皆様、明けましておめでとうございます。

  広島大学大学院文学研究科に赴任して、2年の月日が過ぎようとしています。こちらに来る前は、前任校の忙殺から解放される喜びで一杯でしたが、仕事の質は異なるとは言いながら、やはり今でも忙しい日々を送っております。このメルマガもしかり、約1年前に新任教員挨拶を書いた記憶がありますが、すでに今、編集後記を担当することになってしまいました。

さて、今年度の広島での重大事件といえば、やはりオバマ前大統領の広島訪問とカープの優勝と思います。

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

  これは、オバマ前大統領の演説の冒頭部分ですが、"death fell from the sky"「死が空から落ちてきた」という部分がとても気になります。この動詞"fell"は、非対格自動詞と呼ばれる自動詞の一種で、主語の位置にある"death"を動詞の内側に持ち(目的語)、動作主である意味上の主語に意図性がない構造の文となっています。つまり、受動態の「死が空から落とされた」、または能動態の「神様が空から死を落とした」と同じで、落とした行為者が存在しないか神であるかのように述べられています。果たしてそうなのでしょうか?

  カープの優勝で流行語大賞にもなった「神ってる」と同様、それぞれの結果を起こした行為者は明らかなのではないかと思ってしまうのですが。

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オーナー:広島大学大学院文学研究科長  久保田 啓一
編集長:広報・社会連携委員長  高永 茂
発行:広報・社会連携委員会

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