メールマガジン No.78(2017年3月号)

リテラ友の会 メールマガジン No.78(2017年3月号)  2017/3/29

□□目次□□
1.文学研究科(文学部)退職教員あいさつ
2.平成28年度優秀卒業論文発表会
3.文学研究科(文学部)ニュース
4.広報・社会連携委員会より

1.文学研究科(文学部)退職教員あいさつ

【 母校からの卒業 】

                            応用哲学・古典学講座(倫理学分野)教授  越智 貢

   私の在籍期間は教員としては35年、学生時代を含めると47年です。
半世紀近くになる大学生活ですから、私の人生のほとんどをこの大学の中で、この大学とともに過ごしてきたことになります。その意味では、まことに箱入り息子のように広島大学が私を育て、作り上げたといっても過言ではありません。その作品が佳作であったかそれとも駄作であったのかが少々気掛かりですが、私としては、これまで精一杯やってきたことで満足したいと思います。
   顧みれば、大学紛争が続く1970年に入学し、ヘルメットや立看、クラ討やアジ演説の中で大学生活を始めたのでした。それから47年を経た広島大学は、同じ大学とは思えないほどの変貌ぶりを見せています。

   キャンパスも変わりましたし、小講座から大講座へと研究室の形態も変わりました。それとともに学生の姿も様変わりです。かつて東千田キャンパスの倫理学教室では社会に背を向けているような男子学生が目立ちましたが、いまや華やかな女子学生や留学生たちが社会で活躍するために勉学に勤しんでいます。

   研究環境も変わりました。私が学部生、大学院生、助手、講師、助教授の時代を過ごした旧キャンパスでは、夏は蚊取り線香と扇風機、冬はガスストーブと電気ストーブが手放せませんでした。当時の見果てぬ夢はエアコンがある教官室です。それを思えば、現在の研究環境はまさに天国と言ってよいのかもしれません。

   その間、実は、私たち倫理学研究者の研究領域にも大きな変化が到来しました。応用倫理学の登場です。これは旧来の研究スタイルからの解放を意味していますが、私の歴史的役割は、どうも、その解放を推し進める仲介者を務めることにあったようです。応用倫理学に関わる仕事として私がエネルギーを注いだのは主に情報倫理学と教育倫理学でしたが、それらのバトンもいまや若いランナーたちがしっかり受け継いでくれています。

   ようやく私にも卒業の順番が回ってきました。どこか心の奥深くに感じる、これで肩の荷を下ろすことができるという喜びは、長く私を育んでくれた広島大学からの最後の贈り物なのかもしれません。
   長い間、お世話になりました。これまで支えていただいた皆様に、心より感謝申し上げます。

 

越智先生最終講義
越智先生最終講義

越智教授の最終講義の様子(2月18日)

 

【わたしは古代人】
                         応用哲学・古典学講座(中国思想文化学分野)教授  市來 津由彦

  分野教員以外どなたも知らぬ場に1998年に赴任し、19年もの間お世話になりました。

  この間、赴任前91年の大学設置基準大綱化、赴任直後の大学院部局化、続く法人化、近年のTop100、SGUと、国立大学は大波小波でした。研究面では、80年頃を境に、「戦後」の「物語」により後景化していた個別の事実に密着して研究認識を更新する潮流が始まりました。加えて90年代後半以降は、ネットやメール、検索など、研究技法が電子技術に覆われるようになり、19年前と比べると技法面でも資料や研究視点面でも大いなる変貌を遂げ、わたしはケータイも持たない古代人なので、ついていくのに困難を覚えております。

  その古代人としてのわたしは、近代以前の主として中国の思想文化に関する文献資料(近代以前かつ主に近千年のもの)を然るべき技術によって解読し、そこに立ち現れる古人の思考とそれを支える文化を今に開示することを仕事としております。もとより技術面では電子技術を大いに利用しておりますが、時代潮流的なものに心が過度に反応すると、数百年の射程の資料上の古人の声が聞こえなくなります。声を聞くというこの部分については、手仕事で古人と対話を進め、「今」ではないその声のところに「今」の価値観を問い直す機縁が時に立ち現れることを伝えられれば幸いと願っております。当初、こうしたことの大切さに関して無自覚でしたが、進展する電子技術による思考がこの間、院生・学生達に自明化しつつあり、授業における対話の中でしだいに思うようになりました。

  広島大学文学研究科というこの場を去るにあたり、研究科の教職員、また上記のようにいつもいろいろ学ばせてくれた学生の皆様には、感謝の気持以外のなにものもありません。ほんとうにありがとうございました。ではでは、ごきげんよう。

2.平成28年度優秀卒業論文発表会

    2月17日(金)文学部大講義室(リテラ)におきまして、「平成28年度優秀卒業論文発表会」が開催されました。今回のメールマガジンでは、その中から2人の卒業論文の要旨を紹介いたします。また、指導教員からも一言添えていただきました。

○「10〜12世紀アンダルスと地中海商業」    歴史学コース 西洋史学専攻 久納早智

   アンダルス、すなわちイスラーム統治下のイベリア半島は、もっぱらキリスト教世界を対象とする西欧中世史はもちろん、イスラーム史においても同世界の周縁とみなされ、依然として蓄積がきわめて少ない研究領域である。本論文では、ヨーロッパかイスラームかという二分法を全面的に排し、とくにアンダルスを結節点の一つとする地中海商業ネットワークの実像を、キリスト教徒による地中海覇権の拡大に先立つ10〜12世紀を中心に明らかにした。

   アンダルスで活躍した商人は総じてムスリムおよびユダヤ人であり、両者の間では協業が頻繁に行われている。他方、キリスト教徒商人の事例はごく少数ながら、その存在を示す史料がないわけではない。彼らは利害さえ一致すれば、協業とはいかないまでも協力を厭わなかったのであり、そこには宗教や国家の差異を超えた開放的なネットワークが存在したものと考えられる。

   そうしたネットワークの結節点となった主要な港湾都市は、アルメリアおよびデニアである。それらはエジプトのフスタートで発見されたゲニザ文書群のなかで最も頻繁に言及される都市であり、アレクサンドリア経由で繰り広げられた東方との商業関係がつとに強調されている。だが、アルメリアの城郭内やデニアの郊外区で出土した陶器群がマグレブおよびイフリーキヤ一帯に広く分布していることから、アンダルスの海上商業はむしろ北アフリカ沿岸部との中・近距離交易を基盤にしていたものと考えられる。それゆえ、アンダルスは対岸との緊密な政治的、経済的、文化的な関係に深く依存していたのであり、両者は地中海を介して、決して切り離すことのできない同一の文化圏に属したのである。

[指導教員コメント 足立 孝准教授]

   久納早智さんの卒業論文は、ただでさえ研究蓄積の希薄なアンダルス史にあって、果敢にも商業史・海域史に取り組んだ事実上国内初の試みです。それゆえ、スペイン語、フランス語、英語の文献を広く渉猟・消化すると同時に、その大半を英仏西語の対訳に頼らざるをえなかったものの、アラビア語、ヘブライ語、ラテン語史料と、近年著しく発掘調査が進んでいる最新の考古学知見を突き合わせて、この分野ではまさしくパイオニアともいうべき成果を上げてくれました。あくまでも卒業論文とはいえ、古代は地中海世界と表現されるのに、中世はヨーロッパと表現されるのはなぜか、こうした学説史上の「移行」の是非を問ううえでも、きわめて重要な仕事になったように思われます。

   今後は本学の大学院に進学することになっていますが、西洋史にかぎらず歴史学一般は、労多くして益少なしを地で行く学問領域の一つです。飛び道具にうったえることなく、あたかも地べたを這いずるかのように史料を読む、そうしたよい意味での愚鈍さを一層発揮して、未踏の分野をさらに開拓してくれるものと期待しています。
 

久納早智

発表する 久納 早智さん

○「横光利一研究―〈マルキシズムとの格闘時代〉からの脱却―」
                                                  日本・中国文学語学コース 日本文学語学専攻  森 夢実

   本論文で扱った作家・横光利一は、新感覚派を牽引する存在として、擬人法や独特の比喩など新しい表現を用いた作品を数多く発表し、昭和初期文壇の最前線で活躍したことが知られています。この時期、文壇では新感覚派とともにプロレタリア文学陣営が力を持っており、両者は互いに反発、影響し合っていました。

   横光もまたこの時期に、プロレタリア文学や、プロレタリア文学が理論的基盤とするマルキシズムを意識した作品を発表しています。本論文では、そういった作品の中でも、横光が後に〈マルキシズムとの格闘時代〉として振り返る時期である昭和2年から5年に発表された評論と小説を取り上げ、横光のプロレタリア文学、マルキシズムに対する意識を探りました。

   明らかになったのは、横光はプロレタリア文学に反発しながらも、マルキシズム自体は容認していたということです。横光は評論において、文学のあるべき姿として、マルキシズムの唯物論に影響を受けた〈唯物論的文学〉というあり方を提示しています。横光の〈マルキシズムとの格闘時代〉とは、この〈唯物論的文学〉の実践によって、プロレタリア文学に対抗しようとした時期であるといえます。

   そして横光が〈マルキシズムとの格闘時代〉を通して実践してきたこの〈唯物論的文学〉というあり方は、昭和5年9月の「機械」においていわば〈唯心論的文学〉へと変化していました。したがって横光は「機械」において〈マルキシズムとの格闘時代〉からの脱却を果たしたといえます。しかしながらこの〈唯物〉から〈唯心〉への変化は突然起こったものではなく、それ以前の作品にも兆候があらわれていました。

   以上を明らかにしたことにより、従来横光の転換点ととらえられてきた「機械」とそれ以前の作品の接続を見出し、「機械」に対して新たな位置づけができたという点に、本研究の一つの意義があります。また〈マルキシズムとの格闘時代〉という観点によって、従来ほとんど論じられてこなかった昭和3年の短編を、新たに横光の文学史の流れに位置づけることができたという点でも、意義のある研究であったといえます。

[指導教員コメント 下岡 友加准教授]

   森夢実さんは高知県出身で、いつも穏やかな笑顔をみんなに見せてくれる落ち着いた優しい学生です。横光利一に興味を持ったきっかけは、高校の授業で「蠅」を学習したことだそうです。不条理な内容が無機的文体と緻密な構成によって支えられている、その内容と形式の鮮やかな合致、横光の「上手さ」が特に印象に残ったそうです。広島大学に入学後も、3年時の研究会で横光の小説「機械」を論じ、そこでの質疑応答のなかで、プロレタリア文学との関係性から横光文学を読み直すという視点を見出しました。

   今回優秀論文に選ばれた森さんの論では、「機械」「上海」といった横光の著名な作品だけでなく、「眼に見えた虱」「花婿の感想」「高架線」のように一般的にはあまり知られていない作品も扱われています。森さんの論文の独自性と達成点は、先行研究によって十分な評価が与えられてこなかった、このようなマイナー作品を含めた昭和3年から5年に至る間の小説群を「唯物論的文学観」に基づく世界構築、その試行錯誤の軌跡として読み直し、この時期の横光の文学活動に新たな評価軸を提示しえた点にあります。

   卒業後、森さんは国家公務員として働かれる予定ですが、論文で見せてくれた確かな分析力と思考力はどのような場においても必要とされるものでしょう。森さんの今後一層のご活躍を期待しております。

森夢実さん

発表する 森 夢実さん

3.文学研究科(文学部)ニュース

○平成29年度広島大学入学式

日時:平成29年4月3日(月)11時 開式
場所:東広島運動公園体育館(アクアパーク)

4.広報・社会連携委員会より 【広報・社会連携委員会委員  伊藤奈保子】

   広島大学の構内では白いモクレンの花が香り、桜のつぼみも膨らみはじめている。
  この春、医師で僧侶である田中雅博氏が命を全うした。科学と非科学の間に立って、人間の「いのち」をまっすぐに見つめ、行動した人である。「われわれ人間とは何か、どこからきて、どこへ行くのか」―。人は、その問題を常に追及し、生の苦しみに泣き、喜びを歌い、そして、理の解明を試みてきた。肉体的な苦痛を癒すのが医学の分野であれば、精神的な苦痛を救うのが人文社会科学の役割であろう。この2つは両輪でなければならない。

   ヒロシマにある広島大学であればこそ、そのことを大きく掲げるべきだと考える。

   今年度は人文科学の研究、教育に従事された市來津由彦教授、越智貢教授が文学部、文学研究科を退職され、広報活動を支えてくださった職員の方々が異動される。皆様に敬意と深い感謝の意を表するとともに、ご健康とご活躍を祈念する。そして、3月23日に、新たな門出を迎えた文学部卒業者157名、大学院の博士課程前期修了者52名、博士課程後期修了者5名に、幸多かれと心から願う。この学舎で培った理と智を以って、それぞれに進む道で活躍され、悔いのない人生を送ってほしい。

   やがて龍王山にさわやかな風が吹き、頬を桜色に染めた新入生のさんざめきが聞こえてくるだろう。新しい芽がまた、この大学に芽吹く。

 

////////////////////////////

リテラ友の会・メールマガジン

オーナー:広島大学大学院文学研究科長  久保田 啓一
編集長:広報・社会連携委員長  高永 茂
発行:広報・社会連携委員会

広島大学大学院文学研究科・文学部に関するご意見・ご要望、
メールマガジンへのご意見、配信中止・配信先変更についてのご連絡は
下記にお願いいたします。
広島大学大学院文学研究科 情報企画室
電話 (082)424-4395
FAX (082)424-0315
電子メール bunkoho@hiroshima-u.ac.jp

バック・ナンバーはこちらでご覧いただくことができます。

////////////////////////////

 


up