4/22朝会 木を切る

 おはようございます。今日は、桜の木の話をします。まず、詩を一篇紹介します。川崎洋さんの「木」という詩です。

   木       川崎洋
 木は遠足に行かない
 木はしっこもうんこもしない
 木は眠るのも立ったまま
 木はくしゃみをしない
 木はソフトクリームを食べない
 ほんとうは
 木は口笛をふくのかもしれない
 泣くことだってあるかもしれない
 一人ごとを言うのかもしれない
 でも
 木は木を切らない
 そして
 百年も千年も生きる

 少し前のことになりますが、桜の木のことを思い出してください。入学式の日は残念ながら雨でしたが、学校が始まった週は桜が満開でした。桜を見て、はっとするのは、人に美しいものを愛する心があるからです。
 私が附属小学校に通う道の途中に、桜並木がありました。つい立ち止まって見とれてしまうほど、美しく花を咲かせてきました。花だけではありません。木の幹や枝も、太くて、ごつごつしていて、頑丈そうで、曲がりくねっていて、尊敬してしまうほど、立派でした。物語に出てきて、「わしはなあ・・・」と語り出しそうな雰囲気のある木でした。
 でも、今年は桜に見とれることなく、その道を通り過ぎてしまいました。なぜでしょうか。始業式があったから、緊張していて気づかなかったのでしょうか。それとも、朝早くて、眠たかったからでしょうか。
 違います。冬の間に、木が切られてしまっていたからです。なぜ木は切られたのでしょう。なぜ人は桜の木を切ったのでしょうか。それは、木が年を取ったので、台風や強い風で折れてしまいそうで、危険だからです。桜の木の下は、小学生や中学生の通学路になっていました。桜の木が切られたのは、人々の安全のためでした。
 人々の安全と、美しさを求める心とを比べたら、安全が優先されます。それは、必要なことです。でも、最近いろいろなところで安全のために木が切られています。みなさんの家の近くでも木が切られたところがあるのではないでしょうか。
 木は何も言いません。遠足にもいきません。でも、木は待っていたかもしれません。今年も人々が自分の下を通り、花や幹を見上げるのを待っていたかもしれません。暮らしの中の危険を取り除くことは必要なことです。でも、木が切られて悲しく思った心、残念に思った自分の心は大事に取っておいてもよいものだと思います。毎日の生活の中に、とっておきたい心があります。そういう自分の「とっておきの心」に気づき、大事にしましょう。
 今日の校長先生のお話は、ここまでです。

 


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