大学院統合生命科学研究科 教授 坊農秀雅
Tel:082-424-4013
E-mail:bonohu*hiroshima-u.ac.jp
(注: *は半角@に置き換えてください)
本研究成果のポイント
- 高温による熱ストレスに対する生物の応答は、長年研究されてきましたが、タンパク質を保護する機能に焦点が当てられてきました。しかし、熱ストレスはさまざまな要素(細胞膜など)に影響を与えます。このことから、まだ解明されていない遺伝子や制御メカニズムがあるのではと考えました。
- そこで本研究では、公共データベースからヒトとマウスの熱ストレスに関する遺伝子発現データを収集し、メタ解析(※)を行いました。また、転写因子結合情報、文献情報を統合し、解析しました。これにより、これまであまり注目されてこなかった熱ストレス応答遺伝子の候補や制御機構が発見されました。
- 本研究で得られた情報は、気候変動による温度上昇に対し、医療のみならず農業などの産業分野で対応するための基盤的な情報になると考えられます。
概要
広島大学大学院統合生命科学研究科の米澤奏良大学院生、坊農秀雅教授は、公共データベース(以下、公共DB)に蓄積されている大量の遺伝子発現データを取得し、ヒトとマウスをターゲットとして遺伝子発現データのメタ解析により、これまで知られていたタンパク質の保護に関連する遺伝子の他に、新規の熱ストレス応答候補遺伝子を発見しました。
また異なる公共DBから転写因子結合情報、および文献情報を取得し、統合した解析を実施しました。これにより、これまで知られていなかった遺伝子が、熱ストレス応答の制御メカニズムによって制御されている可能性が示唆されました。このような遺伝子は熱ストレスに対する重要な機能を有していると予想されます。
このように、公共DBの有効利用により新規の発見を行うバイオデジタルトランスフォーメーション(バイオDX)により、気候変動に対応するための新たな知見が得られました。
本研究成果は、スイスの出版社 Multidisciplinary Digital Publishing Institute(MDPI)のInternational Journal of Molecular Sciences誌に2023年8月30日に掲載されました。
発表論文
- 著者:Sora Yonezawa1), Hidemasa Bono*2)
* Corresponding author(責任著者) - 論文タイトル:Meta-Analysis of Heat-Stressed Transcriptomes Using the Public Gene Expression Database from Human and Mouse samples
- DOI: https://doi.org/10.3390/ijms241713444
背景
生物が生きるために最適な温度より更に高い温度は、「熱ストレス」という環境ストレスを引き起こします。この熱ストレスによる我々人間に現れる生理的な症状としては、熱中症(熱射病、heat stroke)があり、近年、高温による影響は年々増しています。
この熱ストレスは、更に小さいレベル、細胞レベルでも影響を及ぼします。例えば、細胞膜の流動性の増加や、活性酸素の発生、更にはタンパク質の凝集など様々な部分に影響を与えます。これに対し、熱ストレスへの対応に必要な遺伝子の発現を上昇させる熱ストレス応答(熱ショック応答)と呼ばれるメカニズムを生物は有しています。これらの遺伝子から作られるタンパク質が持つ主な機能としては、タンパク質の凝集の防止などがあります
熱ストレス応答に関する研究は1960年代から続いていますが、熱ストレスに対して発現が上昇する遺伝子の調査により、タンパク質の保護に関するタンパク質を作る遺伝子が多く発見されたことや、また生物種を超えて発見されたことを背景に、この部分に主に焦点が当てられてきました。しかしながら熱ストレスは多角的な影響を与えるため、例えば細胞膜など他の細胞を構成する要素も無視できない、すなわちタンパク質の保護以外の他の機能を持つ遺伝子も熱ストレス応答に関わっているのではないかと考えました。そこで今回、公共DBから取得したデータを用いたバイオDXにより、熱ストレス応答の全容を改めて捉え直すことを目指すと共に、これまで注目されてこなかった熱ストレス応答遺伝子を発見することを目指しました。
研究成果の内容
<遺伝子発現データのメタ解析>
ヒト、マウスから高温に曝された遺伝子データと、通常の状態の遺伝子データをペアとして合計564ペアのRNA-Seq(※)による網羅的な遺伝子発現データを公共DBから収集しました。収集したデータに対し、当研究室で用いられている遺伝子の評価方法により、発現が上昇した遺伝子、および下降した遺伝子をそれぞれ抽出しました。共通する熱ストレス応答メカニズムを探るため、次にヒトとマウスで共通する遺伝子(発現上昇:76遺伝子、発現下降:37遺伝子)を抽出し、含まれている機能などを調査しました(図1)。
<複数の公共DBのデータを統合した解析>
更に、発現上昇が認められた76遺伝子に注目し、熱ストレス応答遺伝子の発現を制御する転写因子の結合情報、リストに含まれている遺伝子の文献情報(報告件数)を統合することで、抽出した遺伝子の評価を行いました。
この研究により、これまで報告されている遺伝子やメカニズムと共に、ヒトとマウスで共通して発現が上昇する76遺伝子のうち、あまり注目されてこなかった遺伝子(ABHD3, USPL1など)が、熱ストレス応答の制御機構に関わる転写因子によって制御されていることが示唆されました。
今後の展望
この研究は、これまで研究されてきた「熱ストレス応答」という生命現象に対し、新しいアプローチ(バイオDX)により解析することを目指した、「温故知新」と呼べる研究だと考えられます。
また近年、気候変動による温度上昇による悪影響が懸念される中、本研究で得られた知見は、育種などの農業を含めた産業分野で活用するための基盤的な情報になると期待されます。
今後は、複数の公共DBのデータ統合と、対象とする生物種の拡大により、熱ストレス応答のより包括的な知見を得ることで、気候変動への対応を加速させることを目指します。その第一歩として、熱ストレスによって大きな影響を受けるイネを対象に、この研究手法を用いて解析を行うことで、育種への活用に向け検討を行います。特に、イネとヒト(またはマウス)で共通する機能を持つ遺伝子や未知の制御メカニズムが存在するかどうか、今後の研究で明らかにする予定です。このように、生物が有する熱ストレス応答の未知のメカニズムを、公共DBを活用し、さまざまな生物との比較解析を行うことで明らかにしたいと考えています。
参考資料
図1:本研究の解析の全体図
用語説明
※メタ解析:複数の研究データを統合し、より高い見地から解析する手法
※RNA-Seq:DNAシーケンシンサーによる塩基配列解読によって、サンプル中の RNA 量(遺伝子発現量)を測定する技術