広島大学大学院統合生命科学研究科 生物工学プログラム
健康長寿学研究室 教授 水沼 正樹
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E-mail:mmizu49120@hiroshima-u.ac.jp
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本研究成果のポイント
- 線虫※1は熱ショック転写因子※2の機能欠損により、低温環境(9℃)でこれまで知られていなかった休眠※3状態に移行する事を発見し、『低温休眠』と命名(図1)
- 低温休眠の制御に関わる遺伝子および神経回路の同定に成功(図2)
- 低温休眠を利用した長寿変異株を単離する実験手法を開発(図3)
図1:低温休眠現象の概要図
線虫はhsf-1機能欠損により低温(9℃)で孵化直後に成長を停止し、休眠状態へ移行する(低温休眠)。低温休眠は通常の飼育温度(20℃)で解除され、成長を再開する。
概要
広島大学大学院統合生命科学研究科の堀川誠 研究員、水沼正樹 教授の研究グループと、東京大学大学院薬学系研究科の福山征光 講師、マックス・プランク研究所(ドイツ)のAdam Antebi教授らのグループは、モデル生物の線虫(Caenorhabditis elegans)※1において熱ショック応答に関わるhsf-1遺伝子の機能欠損により低温環境(9 ℃)で未知の休眠※3状態が形成される事を発見し、『低温休眠』と命名しました。そして、遺伝学的解析により低温休眠制御に関わる神経回路および遺伝子を複数同定する事に成功しました(図2)。また、低温休眠は既知の長寿遺伝子※4による制御を受けている事も発見し、その知見に基づいて新しい長寿変異株を単離する実験手法を開発、実証実験により複数の長寿変異株の獲得に成功しました(図3)。
低温休眠は生物の低温応答・低温適応を調べるための新しい研究基盤として利用できる事が期待され、昆虫の越冬状態や恒温動物の冬眠など高等動物の休眠研究への応用も期待されます。また、低温休眠は長寿変異株の探索にも応用できる事から、新規の寿命制御遺伝子・寿命制御メカニズムの探索・解明や抗加齢創薬など抗加齢研究への応用も期待されます。
本研究成果は、国際学術雑誌「Nature Communications」に7月10日付でオンライン掲載されました。
背景
生物は成長や生殖、個体の生存が難しい環境条件(高温・低温・乾燥・貧栄養など)では成長や個体の活動を一時的に低下・停止させた休眠状態に移行し、環境が回復するまで耐久する生存戦略をとる事が知られています。クマなど、低温環境における恒温動物の冬眠が良く知られている現象です。
これまでの研究により、線虫(Caenorhabditis elegans)の幼虫は飢餓状態や高温環境で成長を停止して休眠する事が明らかになっています。興味深い事に、休眠状態の線虫では加齢の進行も停止する事が分かっています。さらに、既知の線虫の休眠現象にはインスリンシグナルなどの寿命制御メカニズムが関わっており、休眠研究で得られた知見は寿命制御メカニズムの解明においても重要な役割を果たしてきました。一方、線虫では昆虫や脊椎動物でみられるような低温環境での休眠現象(越冬・冬眠)に関する報告はなく、線虫には低温で誘導される休眠現象がないと考えられていました。
研究成果の内容
我々のグループは温度が寿命に与える影響に着目した研究を行ってきており、複数の線虫の熱ショックタンパク質※5が低温環境でも寿命制御に関与する事をあきらかにしていました (堀川ら, 2015年, PLOS Genetics)。そこで、低温環境における熱ショックタンパク質の役割をより深く探究した結果、熱ショックタンパク質の発現を制御するhsf-1遺伝子(Heat shock transcription factor:熱ショック転写因子※2)の機能欠損により孵化直後の線虫の幼虫が低温環境(9℃)で休眠状態に移行する事を発見しました。この休眠状態の線虫は野生株の平均寿命(20℃で約20日)より長い期間生存可能であり、さらに通常の飼育温度(20℃)に戻す事で成長を再開するという全く新しい休眠状態である事が分かったため、この新しい休眠現象を『低温休眠』と命名しました(図1)。
次に我々は、低温休眠現象の制御メカニズムを調べる事で線虫の低温応答・低温適応メカニズムが解明できると考え、さらなる解析を進めた結果、これまで低温応答・低温適応への関与が知られていなかった神経回路が低温休眠の制御に関わっている事を明らかにし、機能未知の新規遺伝子rcd-1(Regulator of cold-inducible diapause 1)をはじめとした複数の遺伝子を低温休眠の制御遺伝子として同定しました(図2)。
また、hsf-1遺伝子の機能欠損株は短寿命である事から長寿遺伝子の導入により寿命を回復させた際に低温休眠の表現型がどう変わるか試したところ、低温休眠の誘導が長寿遺伝子導入により抑制される事を発見しました。この事より低温休眠現象は抗加齢研究にも応用可能であると予想されたため、低温休眠を利用した長寿変異株の遺伝学的スクリーニング※6手法を考案し、実証実験により複数の長寿変異株の単離に成功しました(図3)。
今後の展開
今後は、我々が開発した遺伝学的スクリーニング手法で得られた長寿変異株を中心に低温休眠制御遺伝子のさらなる同定を進め、飢餓応答的・高温誘導的な既知の休眠現象との比較解析などにより、低温休眠の制御メカニズムの全体像とその特異性を明らかにする事、および温度と寿命制御の相互作用を明らかにする事を目指します。線虫の低温休眠研究で得られた知見は、昆虫や脊椎動物などの高等動物における越冬・冬眠現象の理解に貢献する事も期待されます。
研究費
本研究は、日本学術振興会・文部科学省科研費基盤研究(C)(JP22K06596) (堀川誠)、基盤研究(B)(JP22H02260)(水沼正樹)、日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業(PRIME)「全ライフコースを対象とした個体の機能低下機構の解明」研究開発領域における研究開発課題「S-アデノシルメチオニン(SAM)代謝が関与する寿命延長メカニズムの解明(研究開発者:水沼正樹)(21gm6110029h0004)」、「アミノ酸応答異常による個体の機能低下機構の解明(研究開発者:福山征光)(21gm6110017h0004) 」、「内藤記念科学振興財団、小柳財団 (堀川誠)」、「高木俊介パン科学技術振興財団、白石科学振興会(水沼正樹)」、広島大学自然科学研究支援開発センター(N-BARD)および広島大学の支援を受け実施したものです。
論文情報
- 論文タイトル:Regulatory mechanism of cold-inducible diapause in Caenorhabditis elegans
- 著者名:堀川 誠1,*, 福山 征光2, Adam Antebi3, 水沼 正樹1,4,*
1. 広島大学大学院統合生命科学研究科
2. 東京大学大学院薬学系研究科
3. マックス・プランク研究所
4. 広島大学健康長寿研究拠点(HiHA)
※責任著者 - 掲載誌:Nature Communications
- DOI:https://doi.org/10.1038/s41467-024-50111-8
用語解説
※1 線虫(Caenorhabditis elegans):発生学や抗加齢研究の分野で幅広く利用されている線形動物のモデル生物。ミミズのような形態で体長は約1mm。標準的な実験環境でのライフサイクルは約3日、平均寿命は約20日。
※2 熱ショック転写因子:HSF1(Heat shock transcription factor)。熱ショックタンパク質の発現などを制御する熱ショック応答の中枢的制御因子のひとつ。
※3 休眠:生物の環境適応戦略の一種で、栄養不足や環境温度の低下、乾燥など生存に適さない環境条件で個体の活動や成長を抑制・停止し、環境条件が回復するまで耐久する状態。
※4 長寿遺伝子:遺伝子導入により個体の老化を抑制し、寿命延長が可能な遺伝子。線虫から哺乳類まで進化的に保存されたインスリンシグナル経路の転写因子FoxO(線虫遺伝子名:daf-16)などが有名。
※5 熱ショックタンパク質:HSP(Heat shock protein)。タンパク質の折り畳みを制御するタンパク質で、熱ショック時のタンパク質変性を抑制する事で個体生存に寄与する。
※6 遺伝学的スクリーニング:薬剤や放射線処理などによりランダム遺伝子変異を誘導し、特定の表現型を持つ変異株を選別する手法。寿命変異株のスクリーニングでは長期的な解析が必要となる寿命そのものではなく、ストレス耐性や休眠など寿命と相関性が高い表現型を利用して変異株が選別される。
参考資料
図2:低温休眠の制御メカニズム
hsf-1機能欠損株において、特定の神経回路や特定の遺伝子の働きにより通常の成長が阻害され、低温休眠が誘導されます。一方、インスリンシグナル転写因子daf-16などの長寿遺伝子は、低温休眠の誘導を阻害して通常成長を促します。
図3:低温休眠を利用した長寿変異株スクリーニングの概要図
遺伝子変異により低温休眠誘導が抑制された変異株を選択的に回収する事で、長寿変異株が高確率で得られます。