大学院統合生命科学研究科 教授 坊農秀雅
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E-mail:bonohu*hiroshima-u.ac.jp
(*は半角@に置き換えてください)
〜抵抗性の発達に寄与する可能性のある遺伝子を発見〜
本研究成果のポイント
- トコジラミの殺虫剤への抵抗性の獲得などにより、ここ20年被害が再び増加しています。
- 抵抗性獲得の原因遺伝子を探るため、トコジラミにおけるピレスロイド(殺虫剤の成分の一種)が効くトコジラミ(感受性系統)と効かないトコジラミ(抵抗性系統)のゲノム配列を決定しました。
- ゲノム解読*1により、公共データベースにすでに登録されているトコジラミのゲノム配列(リファレンスゲノム)と比べ、より長く繋がったDNA断片が多く得られました。
- 感受性系統(本研究とリファレンスゲノム)と抵抗性系統が持つ遺伝子のアミノ酸配列を比較し、抵抗性系統に特異的なアミノ酸の変異を持つ転写産物*2を729個発見しました。
- これらの変異は、ピレスロイドへの抵抗性の発達に寄与する可能性があり、今後はゲノム編集などの遺伝子機能解析技術を利用して、遺伝子の変異と抵抗性発達の関係を明らかにすることで、より効果的な薬剤の開発につながることが期待されます。
概要
広島大学大学院統合生命科学研究科の栂浩平研究員と坊農秀雅教授、フマキラー株式会社の木本芙美子研究員、藤井裕城研究員らは、感受性系統および抵抗性系統のトコジラミ(Cimex lectularius)のゲノム配列を決定しました。
トコジラミはクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)やピレスロイドといった殺虫剤の開発により、1960年代以降は大規模な蔓延は見られなくなりました。しかし、この20年でトコジラミによる被害が再び増加しています。その原因の一つが、殺虫剤への抵抗性の獲得です。本研究ではその原因遺伝子を探索するため、日本における抵抗性系統と感受性系統の全ゲノム解読を行いました。その結果、既存のトコジラミのゲノム配列(リファレンスゲノム)より、連続性の高い*3ゲノム配列を構築することに成功しました。加えて、遺伝子のアミノ酸配列を比較することで、抵抗性系統に特異的な変異を持つ729の転写産物を特定しました。その中には、他の昆虫で殺虫剤へ応答することが知られるDNA修復などの生理機能に関与する遺伝子が多く含まれていました。そのほかには、飢餓に応答して糖の取り込みを促進する遺伝子にも変異が多く見られることがわかりました。明らかになった遺伝子はゲノム編集などの遺伝子機能解析を通じて、遺伝子の変異と殺虫剤抵抗性の発達との関係を明らかにできることが期待されます。
論文情報
本研究成果は、2024年9月24日に学術誌Insectsでオンライン掲載されました。
- 著者:Kouhei Toga1,2, Fumiko Kimoto3, Hiroki Fujii3 and Hidemasa Bono1,2,*
*Corresponding author
1)広島大学大学院統合生命科学研究科
2)広島大学ゲノム編集イノベーションセンター
3)フマキラー株式会社 - 論文タイトル:Genome-wide Search for Gene Mutations likely Conferring Insecticide Resistance in the Common Bed Bug, Cimex lectularius.
- 掲載誌:Insects
- DOI:10.3390/insects15100737
背景
トコジラミは吸血性の昆虫で、吸血されると強いかゆみが生じます。ここ20年でトコジラミの被害が世界中で増加しています。その原因の一つは、海外旅行で人の行き来の増加ですが、トコジラミの殺虫剤への抵抗性の発達も主要な要因です。日本でも2000年以降、トコジラミの相談件数が急増しています。抵抗性発達には殺虫剤の代謝に関わる遺伝子の発現の変化や、殺虫剤の感受に関わる遺伝子の配列の変化が起きることが他の昆虫で知られています。トコジラミでもそれらの情報と一致するように、遺伝子の発現データや遺伝子配列が得られていました。このように、トコジラミでは抵抗性の発達に関与する遺伝子の情報は、他の昆虫に大きく依存しています。この問題を解決するためには、実際に抵抗性系統の全ゲノムを決定し、抵抗性系統で見られる変異の全貌を明らかにする必要があります。本研究ではより精度の良いゲノムを決定するため、HiFiリードを利用したロングリードシーケンシングにより、感受性と抵抗性の系統の全ゲノムを決定し、それらの遺伝子配列を比較しました。
研究成果の内容
フマキラー株式会社が保有する日本国内で採集された、殺虫剤への感受性および抵抗性を持つトコジラミを用いて、抵抗性の程度を検証しました。その結果、抵抗性系統は感受性系統の約2万倍の抵抗性を示すことが明らかになりました。両系統のゲノム解読を行った結果、感受性は644Mb、抵抗性は614Mbのゲノムサイズのゲノム配列が得られました。ゲノム解読はコンピューター上でDNA断片を繋ぎ合わせ、より大きなDNA断片を構築することで行います。得られた“大きなDNA断片”の大きさが長ければ長いほど完全性が高いことになります(理想は染色体の長さと同じ)。本研究では、そのゲノムの完全性を示す指標の一つであるN50*4の値が、1.5Mbと2.1Mbであり、リファレンスゲノムの0.55Mbを大きく上回りました。続いて、得られたゲノム配列から遺伝子領域を探索したところ、両系統とも約13, 000の遺伝子が存在することがわかりました。これらの遺伝子のアミノ酸配列を比較した結果、抵抗性系統特有の変異を持つ遺伝子が599遺伝子(729の転写産物)見つかりました(図1a)。その中には、すでに他の昆虫で抵抗性に関与することが知られる遺伝子が多く含まれており(図1b-g)、得られた遺伝子リストが抵抗性の発達と関係することが示唆されます。そのほかにも、DNA修復、リソソーム内で働く酵素など、殺虫剤に応答して発現が上昇することが知られる遺伝子が多く含まれていました。殺虫剤への応答性は現在までに不明ですが、飢餓状態になると糖の取り込みを促進するトランスポーター遺伝子も確認されました。
今後の展開
明らかになった変異を持つ遺伝子は、殺虫剤抵抗性の発達に関係する可能性がありますが、その機能は詳細に調べる必要があります。ゲノム編集のような遺伝子機能解析により、変異と抵抗性との関係を詳細に調べることで、殺虫剤抵抗性の進化メカニズムを明らかにできるようになると期待されます。また今回明らかになった変異を基に、野外に生息する個体における殺虫剤抵抗性の予測にも活用できると考えられます。
用語解説
*1 ゲノム解読:DNA断片をコンピューター上で繋ぎ合わせることで行います。繋ぎ合わせたDNA断片を得ることが重要で、理想は繋ぎ合わせた複数のDNA断片が各染色体の長さと同一となることです。
*2 転写産物:遺伝子から転写されたmRNA
*3 連続性が高いとは、より長く繋げられたDNA断片が多く得られたということを意味します。
*4 N50:ゲノム解読はコンピューター上でDNA断片を繋ぎ合わせて行います。そのため、そのDNA断片が長ければ長いほど(染色体の長さと同等になることが理想)完全性が高いと言えます。N50はDNA断片を大きい順に足していき、全体の長さの半分の長さに達したときのDNA断片の長さを言う。N50はゲノムの完全性を示す指標の一つです。
参考資料
本研究で明らかになった抵抗性系統で特異的に見られた変異を持つ遺伝子。(a)各転写産物における変異の数と転写産物の総数を示しています。(b−g)他の昆虫において抵抗性系統で変異が見られる遺伝子のアミノ酸の違いをトコジラミで比較しました。“Susceptible”は本研究の抵抗性系統およびリファレンスゲノム、“Resistant”は本研究の抵抗性系統のアミノ酸配列を示しています。