1.文学部/人文学プログラム退職教員あいさつ
有馬 卓也 教授 (中国思想文化学分野)

私が大学の教員になったのが31歳の時で、以来34年間(九州大学半年、徳島大学20年と半年、広島大学13年)の大学教員生活でした。その間、改修のための研究室引っ越しが5回、学部改組(カリキュラムの全面改変を含む)が4回、入試改革が1回と、今思い出しても疲れが甦ってくる事柄が多々ありましたが、およそ通常では経験し得ない(と私が思っている)ことが3件ありました、1件目は裁判を傍聴したことです。学生が事件を起こしたその判決を聞きにいった(その時は学生(補導厚生)委員でした)のですが、最初の検事側の陳述を聞いた時に、大学生が罪を犯したというよりは、犯罪者が大学生になっていたという印象を受けました。2件目は大学入試センターに倫理社会と国語で二度行ったということです。
当時の出席者とは今でも交流があり、これはいい体験でした。これらはすべて前任校での出来事ですが、3件目は広大で体験したことです。これは私にとっては衝撃的すぎて、ここには書けませんので秘密です(こっそり聞きたい方はどうぞ)。
楽しい34年間だったという想いで満たされています。ありがとうございました。
金子 肇 教授 (東洋史学分野)
2012(平成24)年4月に着任し、この3月で足掛け13年間、文学部と文学研究科・人間社会科学研究科人文学プログラムでお世話になりました。ただし、1987(昭和62)年から3年間、東千田キャンパスの時代に東洋史学研究室の助手を勤めていましたから、合わせると16年間ほど広島大学に在籍したことになります。
私は、研究生活を通じて3冊の研究書を世に問いましたが、そのうちの2冊は2012年に着任後の13年の間に公刊したものです。他分野の先生方には生産力のない奴と思われる向きもあるでしょう。しかしまあ、史料の収集と解析に時間がかかる歴史学者としては、けっこう頑張ったのではないかと自負しています。
ただ、現在の歴史学という分野、とりわけ東洋史学、さらには私が専門とする中国近現代史の置かれている環境や社会的立場を考えると、必ずしも退職したからといって呑気に構えてばかりはおられません。純粋な学問的意義はともかく、社会に対して中国近現代史研究がなぜ必要か、その存在意義を発信していく必要性はますます高まっていると感じています。また、昨今の日中両国の関係を反映してか、学生の中国やアジアに対する関心が低下していることも気になるところです。これらの点は、東洋史学研究室の今後にも関わることですので、皆さまの益々のご支援とご理解を切にお願い申し上げる次第です。
東洋史学研究室は、和気藹々とした教員や学生たちとの人間関係もあり、私にとってとても過ごしやすい場所でした。教員は皆が酒好きとあって、よく連れだって飲みに行ったものです。体が悪いから飲めないと言いつつ、いつの間にか手酌で飲んでいた八尾先生、飲めるアルコールなら全てにこだわりがある舩田先生、そして豪快に酒をあおる上田先生。退職後も、ぜひお付き合いいただきたいものです。
できるだけ気配を消して、人様に迷惑をかけないというのが私の身上です。それでも、皆さまには何かとご面倒をおかけすることがあったと思います。最後に改めてお礼と感謝の気持ちを述べさせていただきます。有り難うございました。

井内 太郎 教授 (西洋史学分野)
私が広島大学文学部史学科西洋史学専攻に入学したのが、1979(昭和54)年4月のことです。その後、大学院に進学し博士課程後期2年生時の6月に鳥取大学に就職が決まりました。それから5年半を経て1993(平成5)年4月に広島大学文学部(東千田キャンパス)に戻ってきました。したがって学生時代を含めると、41年半ほど広島大学とともにあり、またその間に教職員の方々にお世話になり、学生たちと関わりながら、育てていただいたと思っています。
広島大学での思い出は尽きないのですが、やはり1994(平成6)年に東広島市への文学部の統合移転に携わったのも、良き思い出ですね。おそらく文学部の現職教員の中で千田町の木造講義棟と現キャンパスの文学部棟の両方で講義をした経験があるのは小生だけではないかと思います。移転当初、まだゆめタウンがないどころか、大学周辺が田んぼばかりで、文学部前の道も舗装されておらず、雨が降ると道が水浸しになって大変だったのを思い出します。その時のことを思えば、今は過ごし易くなったことを実感します。
2003(平成15)年に国立大学法人法が施行されて以降、文学部は長い冬の時代を迎えていますが、いつか一筋の光明が差してくることを願ってやみません。皆様のご健康とご多幸をお祈りしながら筆を擱くことにいたします。

文学部(東千田キャンパス)講義棟

文学部ソフトボール大会優勝(2024.11.10)
ピッチャーで4番の二刀流をつとめました。学生からは西洋史のショウちゃんと呼ばれました。
有元 伸子 教授 (日本文学語学分野)
2004(平成16)年4月、法人化の年に3つ目の職場として広島大学に着任して、今年で21年。毎年3月には卒業する学生たちや同僚を見送ってきたのに、自分が送られる側に回るのは、とても不思議な気持ちがしています。
私は日本近現代文学が専門で、三島由紀夫の文学や演劇、地域の女性作家の研究などを行っています。着任当初は近代文学の教員は1名でした。学部の卒業論文主指導は年に10名前後で、14名担当した年もありました。少人数教育を謳っているのにこれでは、と古典文学の教員が退職した後に、その枠を使って近現代文学2名の体制にしていただきました。新任教員に「近代文学」(明治・大正)を委ね、私は「現代文学」(昭和以降)を新設して移ったのです。2名体制を承諾してくださった当時の日文の同僚たちに心より感謝しています。
ご恩に報いたいと、北京研究センターで実施する予備審査で留学生を毎年1名は受け入れることをノルマとし、もちろん内部や他大学からの大学院進学者を積極的に受け入れてきました。ゼミナール入試での入学生、編入生、転コース・転学部生、社会人・フェニックス学生、留学生など、多種多様な学生が集まっていることが私のゼミの特色で、合宿をはじめ折々にさまざまな研究イベントを行ってきました。ずっと走り続け、慌ただしくも楽しく充実した時間でした。

博士課程後期を修了した教え子たちと、昨年末に論文集を刊行しました。
このところ、日文行事の予餞会、日本・中国語学分野の教員の送別会が続き、この後も文学部の送別会が予定されています。つい先日、これまでの教え子たちが退職祝賀会を開いてくれました。1年ぐらい前に発起人から話を聞いたときには、自分のために皆さんに集まってもらうなんて恐れ多くてとんでもないことだと固辞しましたが、私をダシにして久々に同窓生が集まって語らうのもよいのかもと思い直しました。
そうして迎えた当日は、学部・大学院の教え子たちが各地から集まり、懐かしい顔とお話し祝してもらって、本当に本当に幸福でした。私にとってまちがいなく人生最良の日の一つで、夢のような時間でした。現旧の学生の皆さんと、そしてこのような出会いを私に与えてくださった広島大学に感謝の思いが尽きません。
その翌日は、なんだか昨日が人生の絶頂みたいで、この先どうしよう……といった感覚に襲われました。教え子の一人からの「研究者に「引退」の二文字はありません」の言葉を励みに、イニシエーションに集まっ
てくださった皆さんから力をいただいて、次のステップに進もうと思います。頭と身体の衰えと折り合いをつけつつ、もう少し歩みます。
21年間、どうもありがとうございました。広島大学文学部のますますのご発展を祈念しております。
久保田 啓一 教授 (日本文学語学分野)

前年のクリスマスの夜、槇林滉二教授からのお電話で文学部助教授任用が決まったとの知らせを受け、1996(平成8)年1月にご挨拶がてら下関から東広島キャンパスに出向いたのが、私と広島大学との最初の縁でした。通称セノハチとして鉄道おたくで知らない者はいない瀬野・八本松間の急坂を昼間に通るだけで浮き浮きしました。九州や下関から寝台特急で上京する際に何度も通っているのですが、夜間なので車窓からは何も見えなかったのです。そうこうするうちに西条着、線路沿いに並んで立つ煉瓦造りの煙突と酒蔵から立ち昇る白い湯気を、今は撤去されている古い跨線橋の窓から目にして、西条が日本酒で有名な町であると改めて認識した次第です。
4月の着任以来、甘く芳醇な西条の酒は私の口に合い、自宅に買い置きした冷酒をひっかけて大学に通う日々を送ることとなり、月に一度の会議では心置きなく居眠りを決め込んで、左側の山内先生、向かいの勝部先生(お二人とも私と同時のご着任でした)からつつかれて起こされるのが常でした。「酔生夢死」の「死」を先送りして、まずは楽しく酒と学に生きていた日々がなつかしいです。在職29年の後半はそんな境涯から縁遠くなりましたが、精神的には全く変わることなく、日々を楽しむことを心掛けました。広島大学文学部からは、優秀な学生さんを教え、存分に学問する場を与えられました。こんな有難いことはありません。
広島大学から南に黒瀬方面へ3キロほど、東広島市立郷田小学校の校内放送をいつも時計代わりに聴く場所に終の住処を構え、先送りした「死」がいつやって来るかを気にしつつも気にかけず、やり残した学問に一つ一つ形を与えてゆく喜びに身を委ねながら、これからの人生を楽しみたいと思います。本当に有難うございました。
2.2024年度卒業論文優秀者による発表会報告
人文学科の16分野から9名の優秀者が選出され、2025(令和7)年2月17日(月)に令和6年度卒業論文優秀者発表会を開催しました。
発表会には54名の参加があり、参加者からのさまざまな質問により、大変有意義な時間となりました。また、参加者からの質問に堂々と答える発表者の姿は、自身の研究に対する自信と熱意があふれており、文学部における教育研究の締めくくりに相応しいと深く印象に残りました。
今回のメルマガでは、発表者の中から2人の卒業論文の要旨と指導教員からのコメントを紹介いたします。
牧田 智大 さん (地理学・考古学・文化財学コース 地理学分野)
○2024年能登半島地震による離水海岸地形と地殻変動

2024(令和6)年能登半島地震でできた海岸地形について研究しました。地震で半島が隆起し、海岸近くの海底が広く陸化しました。日本地理学会の研究グループが2月に実施した現地調査に同行させてもらい、真っ白に広がる、できたばかりの海岸を目の当たりにして、自然現象の規模の大きさに驚嘆しました。海岸を白く染めていたのは石灰を含む海藻の遺骸でした。地震直後に、この海藻で地震の隆起量が解るということが他大学から報告されました。グループでは、この報告内容を参考に人工衛星の情報をもとに標高を測る測量機器(GNSS)を用いて隆起量を計測しました。
私はさらに詳細な隆起量分布を明らかにすべく、90kmあまりの隆起した海岸を対象に約200m間隔の密度でひたすら計測しました。2024年3月初旬から約1ヶ月にわたり、一人で車中泊をしながら調査しました。厳しい環境下での調査でしたが、日を追うごとに計測したデータで海岸線が描かれていく達成感と、地震直後の珍しい海岸地形を見て回れる高揚感を支えに、何とか乗り越えました。
計測結果は、大局的には衛星画像解析による結果と大きく異ならず、独自性を出すのは簡単ではありませんでした。現地を歩き、510点測ったからこそ解る特徴を考え出したいと、図化の方法を工夫し、多くの人との議論を踏まえ、短波長の変形があることを記した卒業論文としました。
4月から本学大学院の人文学プログラムに進学します。最新の計測機器やそれによって得られる地形データなどを活用して、引き続き活断層の研究に取り組み、分野の発展に貢献できるよう、勉学を続けたいと思います。
○指導教員コメント 後藤秀昭教授
牧田さんの卒業論文の最大のポイントは膨大なフィールドデータです。地震によって甚大な地震被害を受けた地域は道路が寸断され、店も宿もほとんどない状況で、調査をするにも、生活するにも過酷な環境です。そのなかで、地震直後にしか得られない貴重な情報をフィールドから得た努力は高く評価されます。
当地では千年に1度の大地震であり、記録があるなかでは世界最大規模の連続した隆起海岸の出現でした。それにたまたま居合わせた人間として地表の様子を記録し、後世に残そうと一心に調査に励んだものと思います。地理学の学徒としての心意気を感じる仕事です。
江戸時代後期、海岸線の地道な実測と天体観測で日本の海岸線を明らかにした伊能忠敬のように、牧田さんは昼間に海岸で測量を重ね、夜にはデータの解析を行ったと聞きました。孤独で厳しい作業だったと思います。重要な学術的発見をもたらすとともに貴重な地変を記録した論文となっています。
山本 千尋 さん (欧米文学語学・言語学コース 英米文学語学分野)
○The Power of Food and Body in Margaret Atwood’s The Testaments

私はカナダ人作家マーガレット・アトウッドの2019(令和元)年の作品The Testamentsを題材に、“The Power of Food and Body in Margaret Atwood’s The Testaments”というタイトルで卒業論文を書きました。本作はキリスト教原理主義国家ギレアデ共和国を舞台としたディストピア小説で、2017(平成29)年のトランプ大統領就任時に「アトウッドのディストピアが現実になる」と前作のThe Handmaid’s Tale が再び注目を集めたことをきっかけに、34年ぶりにその続編として発表された作品です。
この論文では、以前から食の政治性について強い関心を示してきたアトウッドが、本作において家父長制や権力に対抗する手段として食や身体の描写をどのように使い、それをいかに現代にも見られる女性差別に結びつけたかについて考察しました。作中のメタファーや史実との共通点などに着目し、この作品における食と身体の表象を多角的に分析したことで、アトウッドが作品に描いた抑圧下で抵抗する人々が持つ力を明らかにしています。
英国の植民地として生まれ、常にアメリカの経済に翻弄されてきたカナダの文学を、アトウッドは「サバイバルの文学」と定義しています。研究を進めるにつれ、カナダ文学の研究はカナダのアイデンティティを明らかにするだけでなく、不当に抑圧されてきた人々にナラティブを与える意義を持つと強く感じました。
私はこの春から本学の人間社会科学研究科に進学します。アメリカでは現在、アトウッドが作品で警鐘を鳴らしたように、女性の権利や学問の自由が脅かされているように感じます。しかし、だからこそ、文学研究を通じて何ができるかを考え研究に邁進しようと考えております。
○指導教員コメント 松永京子准教授
山本千尋さんの関心はこれまでも、レスリー・シルコウ作品の身体と物語の関係性や、人種主義への抵抗を読み取ることができるトニ・モリソンの〈食〉のモチーフなどに向けられてきました。今から思えば、カナダ西海岸での生活を経て探究心をさらに深めた山本さんが、カナダ出身のマーガレット・アトウッドの小説 The Testaments を卒業論文でとりあげ、食と身体と社会の複雑な絡まりあいを読み解かれたのは「当然のなりゆき」だったのかもしれません。
山本さんの卒論の秀逸な点は、身体とひと続きである〈食〉が、メタファとしてだけでなくマテリアルなものとして、アトウッド小説のなかで抑圧や抵抗の手段として機能していることを緻密な作品分析によって明らかにされていることです。また、イギリスのサフラジェットの活動やジェンダー不平等とコーヒーのかかわりなどの歴史的文脈をおさえたうえで、エコフェミニズムや「廃棄物研究」にも接続する多角的な視点からのアトウッド論となっています。今後の展開が大いに期待される研究です。